2007/09/30

紫の花とコスモス




2007/09/29

SCHOOL BUS







夜行バスの中ですね。
夜行バスの一番後部座席に座って旅行している気分を味わいたい人はこちらへ
(^_^)
http://www.flickr.com/photo_zoom.gne?id=1457130515&size=l

2007/09/28

ユーモアの生まれる場所

ユーモアはどこで生まれるのだろうか。
過酷な労働環境下で、狂わず、腐らず生きていくためにはどうしたらよいかについて、僕は以前職場の後輩たちと話をしたことがある。
その時僕は彼らに、「答えはおそらく『ユーモア』にある。」とひどく真面目な顔で答えたものだ(いやはや、僕にはユーモアがなかったのだ)。
ユーモアはどこで生まれるのだろう。その場所がわかれば、僕もユーモアを産めるかもしれない。  その場所をしかし、僕は見つけることは出来なかった。ユーモアとうなぎの産卵場はその後もずっと謎のままだった。
おとといのブログ「ポジティブなイメージを発信するということ」を読み返していて、納得がいかないので書き直していたら、ユーモアの生まれる場所を発見した。
それは悲劇と喜劇が入れ替わる場所。
悲劇と喜劇がせめぎ合う場所。
この悲劇と喜劇の波打ち際こそが、ユーモアの産卵場だったのだ。

2007/09/26

full moon


full moon, originally uploaded by slowhand7530.

ポジティブなイメージを発信するということ

私たちは普段、自分が発信しているイメージを意識せずに生活しているけれども、実際には私たちは自分の周囲に様々なイメージを発信しながら生きている。
明るいユーモアを発信しながら生きている人もいれば、怒りと呪いの言動を発散させながら生きている人もいる。

むかし僕は病院の前で一人の中年女性が呪詛のことばを吐きながら放置自転車に八つ当たりしている姿を見てやりきれない思いになり、僕達は周囲に泥団子を投げつけながら生きているのではないかと感じた。
私たちがそれを意識していようがいまいが、人生とは絶えざる泥団子の投げつけ合いなのではないか。

伊丹十三氏はそのエッセイの中で、「あっ、あぶない。その一瞬が死を招く」などといった交通標語の愚劣さと無意味さについて言及したあと、ただひとつ京都の町で見かけたある標語には感心したと述べている。僕の記憶が正しければ、その標語は「人車 整然と行く 美しさ」というものであった。多くの交通標語が、「こんな事をするとたいへんなことになりますよ」というネガティブなイメージで構成されているのに対し、この京都の交通標語はポジティブなイメージで作られていることがわかる。

私たちは普段泥団子ばかり投げているけれども、ごくたまに花束を投げることも出来る。
悲しく、やりきれない現実の中で、思い通りにならない自分を抱えながら、それでもなお怒りや呪いの発信を控えて、ポジティブなイメージを発信するということは、困難だが大切なことである。しかし困難な状況の中で、暗いカードを選ばずに、明るいカードを提示することは可能だろうか。どのような心証が、そのような明るいカードの選択を可能にするのだろうか。

映画「ダイ・ハード」シリーズの中でブルース・ウィリス演じるニューヨーク市警の刑事ジョン・マクレーンは、しばしば非常に困難な状況の中で意外な言葉を口にする。テロリストの策略を阻止するために大空港の地下をたったひとりで奔走し、ついに息が切れて走り続けることが出来なくなったときに、彼は言う。
「タバコをやめなきゃな」。
これはユーモアである。おそらくこれは彼の頭の中で自分の置かれている状況が悲劇から喜劇に入れ替わった瞬間に発せられた言葉なのだ。自分の置かれている状況に違う方向から光を当てると悲劇が喜劇に変わったり、喜劇が悲劇に変わったりする。困難な状況のなかで明るいカードを提示できるためには、自分の置かれている状況を固定視せず、様々な見方が可能であること、従って我々は様々なカードの選択が可能であることに気が付くことが大切なのかもしれない。

2007/09/25

オレンジの飛行機雲

夕方自宅の前で暗くなった空を見上げたら、はるか上空にジェット機が見えました。
残照で飛行機雲がオレンジ色に光っている!
急いで二階へカメラを取りに戻ったけど瞬く間に隣の屋根の影に消えてしまいました。
撮れたのはこの一枚だけ。


jet in the sunset, originally uploaded by slowhand7530.

過去貧乏 未来貧乏 今貧乏

悲しい過去、不幸な過去、憎むべき過去という失われた過去の呪いによって、私たちはしばしば今を幸せに生きることができない。同じように、悲しい未来、不幸な未来、不本意な未来というまだ到来していない未来の幻影によって、私たちはしばしば今を充分に生きることができない。
過去は私たちの記憶の中にしか存在せず、私たちはみな明日にはどうなるかわからないという点において、過去も未来も幻影であるにもかかわらず、私たちはしばしば幻影に現実をむしばまれて、「いま」を貧しいものにしてしまう。過去貧乏(かこびんぼう)のせいで今貧乏(いまびんぼう)、未来貧乏(みらいびんぼう)のせいで今貧乏(いまびんぼう)になってしまう。
あと一週間しか生きられない人にとっても、生まれて一週間で死んでいく人にとっても、私たちには「今」しか与えられていないという点で平等である。
明日死ぬ人も、50年後に死ぬ人も、今を丁寧に生きるしかない点で平等である。
「私たちには今しか与えられていない」という平等さにおいてしか、私たちは明日死んでいく人を慰め、時には叱ることが出来ないのではないだろうか。

2007/09/21

日暮れて道遠し

いやはや、この年になっても、まだ「自分という車」の運転が上手にならない。
アクセルとブレーキの操作が下手である。クラッチがうまくつながらない。ハンドル操作が雑である。スムーズに発進できない。穏やかにブレーキを踏めない。ふいにガス欠になって立ち往生する。自分という車の操作に手一杯で、ほかの車に気を配る余裕がない。調子よく走っているかと思えば飛ばしすぎてしまう。ほかの車と仲良く走れない。わがままな運転をして、ほかの車の顰蹙を買う。
この年になっても、自分という車の全体像が見えない。
スポーツカーのような気もするが、ほかのスポーツカーの走りっぷりを見て落ち込む。トラックになろうかとも思うが、のろのろ走るのは生理的に耐えられない。
いつまでたってもこんな状態である。
やれやれ。

2007/09/20

デザインとしての風景

design 1





design 2, originally uploaded by slowhand7530.




design 3, originally uploaded by slowhand7530.




design 4, originally uploaded by slowhand7530.

2007/09/19

男湯と女湯

僕は大学生の頃下宿生活をしていて、お風呂はいつも銭湯でした。
皆さんもよくご存じかと思いますが、男湯と女湯の間には高い塀があって向こうの様子は見ることは出来ません。でも向こうの音は意外と良く聞こえるのです。

女湯はとにかく賑やかです。近所の噂やテレビの話題、久しぶりに会った人との挨拶など、明るく元気にハツラツと、さんざめく笑い声は銭湯の高い天井に反射して、まるで球場の歓声のように男湯に響いてきます。
男湯はどうでしょう。これがまた驚くほど静かなんですね。聞こえるのはシャワーの音と、お湯を浴びるザーッという音ばかり。たまに聞こえても咳払い。ほとんど会話らしいものはありません。

当時僕はフェミニズム理論を少しだけかじっていたので、女性というジェンダーは社会的な創造物であり、彼女たちは男社会から「女性」という役割を押しつけられているのかもしれないとぼんやりと考えていました。でも僕がこの銭湯の体験を通じて感じたことは、男と女というのは、単に社会的な役割ではなく、そもそも人種が違うんだということでした。その後僕も結婚し、妻と娘との暮らしを経験しましたが、女性は違う人種だという実感はこの家庭生活でさらに強まりました。

個人の体験というものは、あくまで個人的な体験であり、もちろん普遍的な真理ではありません。例外もいっぱいあります。でも私たちが、これは真実だと深く感じていることというのは、理論的に導かれたものではなく、結局その人が実際に経験したささやかな実感がすべてなのかもしれません。

さて話は変わりますが、やはり僕が学生の頃聞いていたある深夜放送で、ことばの定義をリスナーから募集するというコーナーがありました。
その週のお題は「絶体絶命」でした。パーソナリティーが読み上げる「私にとっての絶体絶命」は、いずれもたいへん面白かったですが、あるリスナーの投書はこんな内容でした。
「銭湯で湯船にもぐってみたら、女湯へ通じる穴があったので、これはラッキーと息を止めたまま潜ってむこうへくぐり抜けようとしたが、身体の真ん中あたりでつっかえて進むことも引き返すことも出来なくなった状態のこと。」

絶体絶命ですね。

Antenoron filiforme


ぼんやり歩いていても目を引く小さな赤い花の群れ。
本で調べると水引(ミズヒキ)という植物です。
水引と言えば祝儀封筒や進物にかけるあの水引です。



盛時を過ぎた紫陽花と燃え上がる水引。


水引のつぼみです。
開花すると花弁の3枚が赤、1枚が白で、その紅白の取り合わせが和名のいわれだそうです。

2007/09/17

Colorful guitars!


Colorful guitars!, originally uploaded by slowhand7530.

acorn


acorn, originally uploaded by slowhand7530.

paper cutout tree



昨日の夕方、曇り空をバックに街路樹を撮ったら切り絵風になりました。
白黒の写真に見えますがカラー写真です。

僕の写真

僕は朝の犬の散歩の当番です。
以前は犬の散歩は気がすすみませんでしたが、カメラを持ち歩くようになってからは散歩が楽しみです。
僕の撮った写真はこの散歩の時に撮ったものが多いです。普段も持ち歩くようにはしていますが、なかなか人前では恥ずかしくて写真を撮れません。

僕が写真を始めて気が付いたことは、写真の上手下手は確実にある、そして僕は確実にヘタであり、上手な人は限りなく上手であるということです。だから富士山のような、みんなが撮る写真を撮ると、いかに自分がヘタかがわかってへこみます。でも富士山のふもとの小石を撮れば、ほかの人は撮っていないので、あまりへこまずにすみます。だから僕の写真は切り口だけが勝負です。

それから写真を撮り始めて気付いたことは、写真は撮ることよりも、捨てることが大切だということです。気に入った撮影対象は、カメラの条件を変えて、たくさん撮ります。どれも自分のこだわりが入りますので、捨てにくいですが、何十枚撮っても、採用する写真は基本的にたった1~2枚にします。あとはがんばって全て捨てるのです。僕がほかの人の良い写真を見るのは、撮る技術を学ぶためではなく、この「捨てる眼」を養うためです。仮に対象に愛着があっても、自分がよいと思う写真がなかったら全て捨てるのです。未練は残りますが。

僕の(心の)師匠のブログです。
http://shiology.com/shiology/

この方は成蹊大学の先生です。たまたま見つけて、その写真と文章に感動しました。僕が写真を撮り始めたのも、ブログを始めたのも、この方のブログがきっかけです。だから僕のブログはこの方の影響が濃いです。
彼は(僕が思うに)生粋のエスタブリッシュメントです。僕とは違う世界の人ですが、僕が人生を雑に生きてきたのに対し、彼のように丁寧に生きたら、人生はもっと濃いものになっていただろうなと思って、そうだ、人生を丁寧に生きる練習をしようと思って自分のブログを始めたのです。まあ、これは余談でした。

2007/09/16

夏の名残

森にひっそりと朝顔が咲いていました。


夏の名残, originally uploaded by slowhand7530.

夏の名残

きれいなそらいろ。


夏の名残, originally uploaded by slowhand7530.

2007/09/15

ぺたり


gecho 6, originally uploaded by slowhand7530.

おお、窓の外にやもりが!

空の五線譜


staff notation in the sky, originally uploaded by slowhand7530.

どんな音楽が聞こえてきますか?
僕はモーツァルトのピアノコンチェルトNo.13の第1楽章です。
♫♬♫♬♬♫♬♫♬♬♫♬♫♬♬♫♬♫♬♬♫♬♫♬

Dreamcatcher on my hand


Dreamcatcher on my hand, originally uploaded by slowhand7530.

2007/09/14

Dreamcatcher

インディアンが子供を悪夢から守るために用いたお守り。
良い夢は糸に引っかかり、悪い夢は網をすり抜けていくという。
ターコイズブルーのビーズが綺麗。


Dreamcatcher, originally uploaded by slowhand7530.

2007/09/12

fringed iris in the rain


fringed iris in the rain, originally uploaded by slowhand7530.

2007/09/09

芸と人生の終わり

映画「あげまん」の舞踊監修をされた猿若清三郎氏は、伊丹さんに花柳界のあるエピソードを話されたことがある。
猿若氏が芸達者な高齢の芸者に「このお仕事をいつまでおやりになるつもりですか」と尋ねたところ
そのひとはこのように答えたという。
「一生です。でも一つだけ辞めるきっかけがあります。
それはお座敷で立ち上がるときに、床やお膳に無意識に手をついたときです。その時が私の引退」
伊丹さんはこの話に興味を示し、早速脚本に活かしたいと答えた(「伊丹十三の映画」新潮社より)。

ゆかしく、潔い話である。芸を志すものにとっての理想かもしれない。
僕はその話を読んだあと、ぼんやりとお風呂で考えていた。
そしてふと気が付いた。
これは、自分の芸の終焉は自分が決めるという意思の表明なのだ。
厳しい自己統率と現実とのぎりぎりのせめぎ合いの中で、老いという現実があるべき自分とのギャップを生み出したとき
そのギャップがこの線を越えたら辞めます、という表明なのだ。
逆に言えば、老いが芸を劣化させてもこの線を越えなければ誰に何と言われようと辞めないという意思の表れであり
みんなが辞めないでと言っても、この線を越えたら私は自分から辞めますという表明でもある。
彼女は、いつまで続けるか、いつ辞めるかは、私が決めるのだ。その事に関しては誰にも口を挟ませないと言っているのだ。

この話で思い出すエピソードがもう一つある。
それは僕が大学生の時に読んだ雑誌ブルータスのヘミングウェイ特集の中の一節だ。
ヘミングウェイは親友のホッチナーにある時こう言った。
"Hotch, if I cannot exist on my own terms, then existence is impossible.
Do you understand? That is how I lived and that is how I must live."
「ホッチ、俺は自分の好きに生きてきたし、それが無理なら生きていくつもりはないんだ。
わかるか?俺はそんな風に生きてきたし、これからもその考えを変えるつもりはない」
そしてほどなく彼は猟銃自殺を遂げた。

伊丹さんは完璧主義の人だった。
どんな小さな事もなおざりにせず、徹底的にあるべき理想を追求する人だった。
徹底して理想を追求する人は、逆に言えば理想通りでない現実に我慢ならない人だったということでもある。
死の直前、彼は普段と全く変わらず、悩んでいる様子は微塵もなかったと、彼と交流のあった人たちは一様に述べている。
それが自殺であったなら、彼は事も無げに死んでいった。
まるで去っていく部屋の電灯を事務的にパチンと切るように。

僕は自己統率の人がみんな自殺すると言っているのではない。
それに伊丹さんの死は、やはり他殺だったのかもしれない。
でももし彼の死が自殺だったとしたら(そしてその疑念は最近僕の中に芽生えたのだ)、
僕は僕のこころの中の伊丹さんを埋葬するために、ある物語が必要なのだ。
ただこの仮説は物語としては弱い。
彼は確かに完璧主義の人だったけれども、自分の周りの人たちには非常に優しかった。決して怒鳴ったりしなかったのだ。
内心はいらだっていたかもしれないが、出来ない人に対しても、基本的に優しいまなざしを向けていたからである。
彼には、出来ないことを許す気持ちがあったのだ。
そんな彼が自分をも許していなかったとどうして言えるだろう。

しかしこの老いた芸者の話は、全く手がかりのない彼の死の重要なヒントのような気がする。
それで誤解を招くことを承知でこのような文章を書いた。

2007/09/08

ハナズオウの紅葉

面白い紅葉のパターン。
モザイク模様がヨーロッパの農場の航空写真に似ていますね。

ハナズオウの紅葉

モザイク模様のアップ。

ハナズオウの豆

2007/09/07

ポーの大渦

小学校の時に学研の科学と学習の、「学習」の付録の短編集に載っていたエドガー・ポーの短編「メールシュトレームの大渦」(当時の付録に載っていたタイトルはモスケーシュトロームの大渦」だったと思う)は、ノルウェー沖の大渦に巻き込まれた漁師兄弟の話である。

二人は他の漁師たちが恐れて近づこうとしない大渦の近くで漁をするのを得意としていた。その場所はいつも豊漁を約束されていたからである。だがその日二人は潮の時間を間違えて大渦に巻き込まれてしまう。
漁船は巨大な大渦の中をゆっくりと回転しながら、徐々に渦の中心部、死の奈落に近づいていく。はるか下方の渦の中心部からは霧が立ち登り、そこから全てを粉々に破壊しつくしてしまう渦の獰猛な叫び声が耳を聾するように轟いている。
兄は、いずれ船ごと自分を飲み込んでしまう大渦の死の恐怖で気が狂ってしまい、じっと渦を見つめたまま動かない。弟も茫然と渦の中を眺めていた。
やがて弟は、大渦の斜面を回転している自分の船以外の材木や芥を見ているうちに、物体の形によって渦への落下速度が異なることに気が付いた。そして円筒形をした物体の落下速度がもっとも遅いことに気が付き、船にあった樽にロープで自分をくくりつけて船から飛び降りるのである。
何時間経過しただろう。徐々に樽につかまった彼と船の距離は開いて行き、遠く下方に見えていた船は、兄もろとも渦の中心に吸い込まれてしまう。
やがて月が昇り、次第に渦の中心が上昇し、ついに渦は消えて、彼は仲間の漁船に救助される。

兄は死に、弟は生き残った。何が二人を分けたのか。
兄は、「死」という脳が作り出した将来のバーチャルイメージに捕らえられたまま死んでしまい、弟は渦の斜面のリアルを足場に生還した。

脳は人を殺す。
脳はみずから作ったバーチャルで人を殺すのである。

臨済録

養老孟司先生と内田樹先生の対談集「逆立ち日本論」を読み終える。
養老先生も内田先生も、二人とも遠心力系。ぶんぶん振り回す。痛快だ。
僕は読書中に気になった所や面白いページの耳を折る習慣があるが、この本で耳を折ったのは10カ所。いずれもオツムの肥やしになりそうなところで、やがて折った耳の数カ所からは芽が出るだろう。
その中で一番大きな樹になりそうなところが第八章の養老先生の言葉。
「随処に主となる。これは『臨済録』で臨済禅僧が伝えた言葉です。随処(ずいしょ)に主と作(な)れば、立処(りっしょ)皆真なり。」

AからBを目指して移動するとき、移動中に人は何を考えるだろう。
Bを真の目的と考えると、移動中は仮の人生である。
脳の中ではまだ到着してもいないBというバーチャルなイメージがリアルになり、逆にリアルである今現在の移動時間はバーチャルになる。
脳の中ではリアルとバーチャルが逆転しているのだ。

「丁寧」とは、AとBの間を限りなく細分化して、その一つ一つの枡に自分を入れていくことでリアルを取り戻す試みである。それを臨済禅僧はこのように表現された。

随処に主と作れば、立処皆真なり。

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2007/09/06

師匠の言葉は「技」である。

内田樹先生の著作の特殊性は、求心性ではなく、遠心性にあることを以前述べた。
僕はもう内田先生の著作を25冊も読んだ。最初の何冊かを読んだとき、読後に僕の心に驚きと感動以外には何も残っていないことが不思議だった。僕がこれまで耽溺してきた作家は、読み終わったあとに確実にその著者の強いテイストが残って、僕は著者に憑依されたようになるのだが、内田先生の本はそれがない。その理由が今日やっとわかった。それはマジックショーの縄抜けの妙技なのだ。非常に鮮やかで、驚きと感嘆があるが、情緒に訴えるものではない。子供がお父さんの手品を見て、「もう一回やって!」と何度もせがむように、僕は何度でも師匠の本を読むし、新刊が出るとすぐ買ってしまう。

それは「技」なのだ。師匠の言葉は「技」である。僕はその技の鮮やかさを何度でも見たいのだ。もしそれが「情緒」であったら、読んだあとに何かが残る。もしそれが「情報」であったら、もう読まない。情報は、手に入ったら終わりなのだ。僕が内田先生の本を何度も読み、25冊も買ってしまったのは、それが「技」だからだ。僕はそれを習得したい。技は日参しなければ手に入らない。技は何度も道場に通って練習しなければ自分のものにならないのだ。だから僕は道場に通うように師匠の本を何冊でも読む。それは師匠の乱取りを見ているのだ。師匠は道場の中央に立って、かかってくる問題を順番に一つずつあざやかに投げていく。僕はそれを感嘆して見ている。最初の頃は何が起きたのかわからない。合気道の空気投げのようだ。やがて師匠の動きが見えてくる。なるほど、確かにこうすれば相手が飛んでいく。でもその師匠の動きは事後的に確認できるが、自分にも同じ投げが出来るとは思えない。なぜそんな投げが出来るのかが、わからない。でも何度も通っているうちに、どこからこの投げが生まれてくるかが見えてくる。最近ようやく、見えてきたのです。

2007/09/05

お風呂に持ってはいるもの

子供の頃に始めて飲んだ紅茶は、すごく紅茶の味がした。
それを僕は紅茶を飲むたびに思い出す。鮮烈な赤、フルーティーな香りと渋み。
今も好きで紅茶を飲むけれど、始めて飲んだ紅茶の味はもう戻ってこない。
今紅茶を飲むのは、あのときの体験を思い出したくて飲んでいるのかもしれない。
それは紅茶に限らず、全て僕達が普段口にするものに共通する落胆かもしれない。それぞれの食べ物や飲み物に、始めて口にしたときの鮮烈な原体験が刻印されている。僕達は今もそれを追体験したくて淡い期待とともに食べ物を口するけれど、その期待がかなえられることはすごく少ない。

でも例外が二つある。
みなさんはお風呂に何を持って入りますか?
僕は気楽に読める本と一緒に、よく食べ物を持ってお風呂に入ります。
夏ならおかき、冬ならミカン。
お風呂で食べる食べ物のおいしさは特別です。おかきなら、醤油の香りがすごくするし、みかんはまるで始めて食べるように味の輪郭が鮮明です。
たぶんね、お風呂の湿度が関係していると思う。年齢とともに嗅覚も味覚も落ちるけれど、湿度の高いところでは知覚神経の末端が潤って刺激を伝達しやすくなっているんじゃないだろうか。
まだ試したことはないけれど、紅茶もお風呂で飲むと、もっとおいしいんじゃないかな。
もう一つの例外は空腹です。
僕は大学時代にあることを心に決めて三日間水も食べ物も全く口にしなかったことがある。そしてそのことをクラスや友人の誰にも黙っていた。最後の三日目に、なんと午前の体育の授業で短距離のマラソンがあった。死ぬかと思った。お昼になって学食でランチを食べたとき、最初に口にしたキューリの味は今も覚えている。
それはこの世で始めて口にするキューリの味でした。

僕達は普段三日間も断食できないけど、お風呂でならもっと簡単に原体験を思い出すことができる。楽しい本を読みながら、しみじみとおかきを味わう。

みなさんはお風呂に何を持って入りますか?


20070905, originally uploaded by slowhand7530.

2007/09/02

デッキチェアー

5~6年前ホームセンターで安い値段で買ったデッキチェアー。
これがすごく気持ちがいい。お風呂上がりに扇風機に吹かれながらまどろんだり、休日に本を読みながらうたた寝をしたりするのに欠かせない相棒でした。
ところが先日その真っ赤なキャンバス地が破れてしまった(そう、布は真っ赤な帆布だったのです)。
大ショック。
僕にはもうデッキチェアーのない生活は考えられなかったので、ネットで探してみましたが一般的な帆布は売っているがデッキチェアー用の帆布という物は売っていない。そもそももう夏が終わりなのでデッキチェアー自体が売っていない。
それで仕方なく今日ホームセンターへ行ったら、中国製の綿100%の暖簾が売っていた。綿だから弱いけど、これを二つ折りにするとデッキチェアーの幅にぴったり!買って帰って娘にミシンで仕上げてもらいました。デザインも気に入っています。娘に感謝!


deckchair, originally uploaded by slowhand7530.

2007/09/01

September sky


September sky, originally uploaded by slowhand7530.

my cup

15年前にインディアナ大学に吸引細胞診の勉強に行ったときに買ったマグカップ。
最近本当によくコーヒーを飲みます。



my cup, originally uploaded by slowhand7530.

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