2008/01/14

主人公の死

伊丹監督の死にまつわる謎。
それは自殺も他殺も僕達を納得させないという点ではないでしょうか。
僕はかつて彼が自殺したことを自分に納得させるために文章を一つ書きました。
でもやっぱりしっくりしない。
それは彼と彼の仕事を愛していた人たちにとっての、共通の感情ではないでしょうか。
彼が自殺するはずがない。

他殺ならまだ納得できる。彼には敵が多かったし。
でも他殺であった場合に一番解せないのは彼の死に際しての、彼の周りの人たちの反応でした。
彼の一番身近にいて、彼をもっとも愛していた人たちは誰も声を上げなかった。
これは他殺です!徹底的に調べて下さいと。
自分たちの身に危険が及ぶことを恐れたのでしょうか。
それは考えられない。
大江氏も、彼の妻も、こういった悪に対しては徹底的に戦うタイプの人たちです。
それならなぜ彼等は口をつぐんだのか。

監督は自分の身を護るためにどうすればよいかを確実に知っていた。
にもかかわらず彼はあっけないほど簡単に死んだ。

僕には彼の最後の瞬間が見える気がした。
部屋に殺し屋が入ってきたときに監督はまったく驚いていない。
それがはっきり見える。
彼はこう言ったに違いない。

ドアが静かに開いて二人の殺し屋が部屋に入ってくる。
監督は振り返って言う。
「やあ。お待ちしていましたよ。さあ、始めますか」

このものの言い方ほど彼に似つかわしい言葉はあるだろうか。
彼が監督としてこのシーンを撮っていたら、脚本で主人公にこれ以外の発言を許すはずはないだろう。

僕にとってこの話の解決の糸口は、彼のこの態度だった。
そうか。彼は自分の死をおとなしく受け入れたのだ。

それからは簡単だった。
取引があったな。
裏の世界の人も妻を脅迫の材料にした方が有効だと考えた。
あんたが死んでくれたら、嫁さんは許してやるよ。それで彼は取引に応じた。
彼の死は「主人公の自殺」というドラマでした。
他殺とわかったのでは、加害者に迷惑がかかる。それはあくまで自殺でなければならない。
そこで彼は一応自殺として世間を納得させるためのお膳立ては整えた。
「要するに、公権が自殺として処理しやすいような程度のお膳立てでよいのだ」
そして彼は彼を遠くから愛していた人たちにヒントを残していった。
僕の死を納得できない人たちは、このずさんなお膳立てが鍵だ。わかりたい人は気付くがよい。

彼が腹を括っていたことは真行寺の言葉にも表れている。
「君はまだ生きる可能性があると思っているね。
だが人生は実に中途半端な、そう、道端のどぶのような所で突然終わるもんだよ」

ただ彼は加害者を恨んでいない。それは映画を見ればよくわかる。
ビワコを狙う人たちを、ちゃんと人間として、丁寧に描いている。それぞれのひと。それぞれの事情。
大江氏の「取り替え子」を読むと、監督は青年期に松山でひどい暴力の被害に遭っている。
それは彼のトラウマとなり、暴力に屈することなく闘うことが、彼の仕事のテーマの一つになった。
彼はそれがあくまで彼自身の事情によるものであることは知っていた。
精神分析家岸田氏との関わりを通じて、彼は自分のトラウマをはっきり自覚していたはずである。
だから彼はそれを乗り越えるために、暴力に屈しない映画をいくつも作った。
彼自身が暴力の悪夢を乗り越えるため、また暴力に苦しんでいる世の中の人々が、再び顔を上げて前を向いて生きていけるように。
それは加害者が憎いからではない。彼は彼等の事情も知っている。彼の映画のせいで彼等が生きづらくなることも。
だからある意味で、彼は自分の製作物に落とし前をつけたのだ。
そして彼は従容として死を受け入れた。

ビワコもそれを知っていた。彼が彼女を救うためにみずから死を選んだことを。
彼の死を無駄にしてはならない。彼は命を賭して彼女の生命を護ったのだ。
そのためには、彼が脚本を書いた最後の映画に「これは他殺だ」と叫んではならない。
彼は命をかけて自分を救ったのだから、私がしっかりと生きていくことが、彼の供養そのものなのだ。
その後のビワコの毅然とした生き方は、彼が彼女に託した使命なのだ。

以上は僕がようやくたどり着いた彼の死の謎を解く物語です。
ただしこれはあくまで僕が納得するための物語です。
それぞれの人が、それぞれのお話を考える。彼の死を胸に納めるために。




4 件のコメント:

  1. 匿名2/21/2008

    それほどまでにして監督ハ何から奥様を守ってのでしょうか?しつこいようですけどもう一度教えてください。奥様はどんな危険にさらされていたのですか?

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  2. コメントありがとうございます。

    監督は何から奥様を護っていたか。
    それは僕にもわかりません。裏の世界の人たちではないかという気がしますが。

    奥様はどんな危険にさらされていたのか。
    その世界の人たちは奥さんには恨みはありません。でも監督自身が脅迫に屈する人ではないことはその前の襲撃事件で彼等にも明らかになったはずです。監督自身を脅迫するより、「奥さんに身の危険が迫っているよ。あんたが自殺してくれさえすればいいんだよ。俺たちはお手伝いするから」と言った方が効果があると踏んだのではないでしょうか。

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  3. 匿名2/22/2008

    ということは、彼の唯一の手段をつかって暴力と戦おうとしたのに、かえってそれがあだになったということですか?しかもそれに屈した。なんだかやりきれませんね。ますますあきらめきれません。

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  4. 僕は彼の映画には悪に対する憎しみは感じられません。彼は世の中の悪をある種の自然現象のように観察していた気がする。「台風」はそんなに恐れるものではないよ。こうすれば大丈夫と彼は言う。
    彼は威嚇に屈することなく「台風」と果敢に闘う人々を描く。特定の暴力が問題なのではない。リスクと向き合わずにすませられる人生などなく、リスクを知恵と勇気で乗り切っていくときの人生の輝きが彼の映画のテーマの一つだからだ。
    彼は自分が「台風」になってしまった裏の世界の人々に対してもシンパシーの目を向けている。台風には台風の事情があるからだ。
    繰り返しますが、彼は「台風憎し」で映画を作ったのではないと思います。台風は人々を描き出すための「道具」だったのではないでしょうか。
    「台風」に近づきすぎて死んでしまったけれど、彼は「台風」を恨んでいないような気がします。ただ、まだまだやりたい仕事があったので、強い未練はあったでしょう。

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