2008/08/29

人間の器



 
よく人間の器ということを言うけれども、器の大きさは何によって決まるのだろうか。
器というものの多くが先天的なものとしても、後天的に器の大きさを涵養することは可能なのだろうか。

器の小さな人は刹那の感情だけで一杯になってしまって、些細なことですぐに感情的になり、すぐにそれを口にしてしまう。
持ちこたえるということが出来ない。
自分や他人が本来持っている他者との広大なネットワークに思いが至らない。
自分や他人が本来持っている遠い過去から未来に至る時間の繋がりに思いが至らない。
つまり自分に対しても、他者に対しても思いやりが浅い。
思いやりが浅いから細やかさがなく、生き方や生活全般が雑である。

器の大きい人は、他人にはいろんな事情があることを知っている。
それはやむを得ない事情に対する深い共感であり、悲しみの感情である。
この世界の主人公は自分ではなく、私はone of themに過ぎないということを知っている。
自分が知らないこと、知り得ないことに対する畏れの感情を持っている。
従って自分以外の人事に対しては基本的に謙虚である。
リスペクトという感情はおそらく自分の知り得ない他者に対する畏れに由来している。

器というものは後天的に涵養することが可能なのだろうか。
僕は自分のことを考える。
それは僕自身がしばしば自分の感情を持てあまし、その時の思いを即座に口にしていたずらに人を傷つけてしまうからだ。

器が大きいということが、判断や感情を非決定のまま持ちこたえ続けることができる能力だとすれば、それはおそらく畏れから来る謙虚と尊敬や、他者との間に悲しみという深い横穴を持っていることと関係があるのだろう。

そしてこれらのことは全て、成長の過程で誰かをちゃんと愛して、愛した人の心と運命は、決して自分の思い通りにはならないということを体験したかどうかにかかっているのかもしれない。

8 件のコメント:

  1. 匿名8/30/2008

    人間の器って色々あるのかもしれませんね。

    言われているような器については、北大路魯山人という人は小さい人だったと思うんですが、自分の目指した料理や作陶については器の馬鹿でかい人だったと思います。

    彼は愛と無縁に育ちました。そのため人に対する思いやりをもてませんでした。だけど、モノに対しての思いやりはもてるものなんですね。

    だけどじゃなくて、だからと言うべきなのかもしれません。

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  2. >とーしさん。
    そうか。そうですね。とーしさんの言われるように器というのは一つではないのかもしれませんね。
    例えば世間一般で言われる器は、あの人は大器だという用法に見られるように、どちらかと言えば仕事がテーマなんだな。

    >彼は愛と無縁に育ちました。そのため人に対する思いやりをもてませんでした。だけど、モノに対しての思いやりはもてるものなんですね。

    なるほど。魯山人は直接人とつながるのが苦手だったから、料理や陶芸という狭い隘路を通じて人とつながっていたのかもしれませんね。料理や陶芸はほんらい人をもてなすものですものね。

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  3. 匿名8/30/2008

     お二人とも、何だか深い話ですね。
     私も自分は器が浅いなぁってよく思っています。でも、ふと思うことがあるんです。浅いという考えもあるけど、すでに何かを詰め込んでいてゆとりの部分がなくなっているという考えもあるかなぁなんて思うんです。
     もちろん、器がそもそも浅いって場合はゆとりがなくなりやすいということもあるかもしれない。そんな中、浅さを自覚して余計なものを詰め込まないようにすれば、ゆとりは十分に残るのかもしれない。
     そうやって自分を許そう、救いを残しておこうと思っているだけかもしれませんけどね。

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  4. >みゆさん。
    そうですね。よけいなものを詰め込まないというのは大事なことですね。
    鍋の底を深くするのはむつかしいけれど、空いている空間を有効利用するのは実際的かもしれないですね。

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  5. 匿名9/01/2008

    私はよく人に本当のことをずけずけといいすぎる、といわれます。そのために人が傷ついても気がつかないようです。私にしてみればうわべだけのお世辞とか言うほうが失礼と思うのですが?私は幸運なことにあまりつらい目にあったこともなく、人が何か言ってもすぐ忘れるという特技を持っています。でも人を傷つけるつもりはないので、あとからあの時実は・・・などと聞かされると、とっても反省してしまいます。器を大きくすることはできるのでしょうか?私なりに思いやりを持っているつもりですが、うまく伝わらないようです。

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  6. SNOOPYさん。
    >私はよく人に本当のことをずけずけといいすぎるといわれます。
    ああ、僕も同じです。言わずにおれなくなっちゃうんですよね。
    でもそんな僕も、最近ようやく5分くらいは黙っていることが出来るようになりました。すごいでしょ!

    >私にしてみればうわべだけのお世辞とか言うほうが失礼と思うのですが?
    うん。それはね。 でもホントとウソの境界は意外と漠然としているのかもしれません。
    僕らはウソとホントのグラデーションの中を泳いでいる生き物なのです。
    僕らはウソとホントの間でダンスを踊っているのです。(ああ、これは詩的な表現だ!)
    僕らは完全無欠のホントの世界を生きているわけではない。
    だってそもそも僕らは絶えず自分を欺いているのだから。

    >人を傷つけるつもりはないので、あとからあの時実は・・・などと聞かされると、とっても反省してしまいます。
    僕もそうです。あとで何度も思い出してギャッと叫びたくなります。
    でもそういう体験を通じて少しずつ器が大きくなるのかもしれません。

    深く落ち込むでしょ?
    その落ち込んだ深さ分が今回の器の増加分です。
    ホントかな?
    いや、だいたいそれくらいだと思うんです(笑)。

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  7. 匿名9/12/2008

    仕事が始まり、(いろいろ変化があったので)体力的にも精神的にもちょっと落ち込んでいます。いやなことがあっても言いたいことがあっても黙っているのは、器が大きいなんて次元ではなく、ただ単に英語がしゃべれないということなのかも知れません。職場の人といろいろあっても自分はここでは外国人なので、習慣が違うので、と自分自身に言い訳しながら、実は少しも納得しているわけでもなく、ますます器の小ささを感じて落ち込む一方です。

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  8. 外国で暮らすというのは大変ですよね。特に仕事をしながらということになればなおさらだと思います。
    アメリカ人は自己主張が激しいし、相手の立場をおもんぱかるという習慣があまりないように思います。
    主張出来なければいないのと同じという環境で、言いたいことがあるのに思うように表現出来ないもどかしさ、苦しさは並大抵ではないでしょう。
    それはsnoopyさんの器の大きさのせいではないと思います。
    とっさに反論するのはむつかしいですね。
    でもsnoopyさんが日本人であるために彼等との間に生じるコミュニケーション上の齟齬に一定のパターンがあるなら、snoopyさんの、普段の基本的な考え方、みんなにわかっておいて欲しいことなどをノートに英文で書いておいたらどうでしょう。大事な場面でセンテンスがすらすら出てくるように。
    わかってもらえることがむつかしくても、表現出来ればある程度気持ちに余裕が出来ると思います。ああ、あんまり役に立たない返事ですみません。

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