2009/01/13

膨大な無意識の連鎖。そして意識は何をしているか。

いや、大げさなタイトルですが、単にお風呂の話です。
みなさんはお風呂に入っていて、自分の動作について考えたことがあるでしょうか。
僕は時々考える。

掛け湯をする。湯船に入る。あがって顔を洗ったり、ひげを剃ったり、頭を洗ったり、身体を洗ったり。その一つ一つの動作。

シャンプーを頭のどの部分につけるか、どの部分から洗い始めるか、それぞれの箇所を何回指で梳いているか、指の向き。どこからどこへ洗う動作が移動するか、何回梳いたあと次に移動するか、お湯をどこにかけるか。何回かけるか。
ひげをどこから剃るか、どの向きに剃るか、その場所を何回剃るか。身体はどこから洗うか、そこを何回こすってから次の場所に移動するか。タオルの持ち方、細かな洗い方の癖。タオルの絞り方。

書き出すときりがないが、入浴中に僕等が行っている動作は大まかに分類するだけでも数百に上るだろう。その膨大な動作の組み合わせを、僕等は思考せずに行っている。昨日と今日の入浴をビデオの左右の画面に並べて比較したら、おそらく僕等がお風呂に入ってから出るまでの動作は細部に至るまで同じだろう。

僕等が普段行っている行動のうちで、ちょっとした仕草なんかはもちろん無意識だけど、お風呂の時ほど長い一連のプログラムを無意識のまま細部に至るまで間違いなく毎日繰り返していることは不思議な感じがする。まるで弾き慣れた曲を楽器で演奏しているようだ。

僕の入浴の歴史の中で入浴行程が大きく変化したのは中学の時だ。
頭を洗ってから身体を洗うと頭に汗を掻くことに気付いたので、意識して身体を先に洗うことにした。
それが今でも続いている。
無意識に行われる無数のプログラムの連鎖が改変されたのは、そこに意識が入り込んだ時だけなのだ。

入浴と人生。
長い人生の殆どを僕等は無意識に暮らしている。
ごくたまに意識が現れて人生の方向を変える。
また延々と無意識に時間が過ぎてゆく。
意識というのは、実は人生の脇役、ちょい役なのかも知れない。

意識は人生のちょい役。
これが今日のキーワード。
かっちょいい(あほか)。

2 件のコメント:

  1. みゆ1/14/2009

    「意識のほか」っていう言い方がなんか好きなんですよね。氷山の一角みたいにちょこっと顔を出す意識の下の無意識の世界が意識の世界を支えているような気がします(こういうことってすでに誰かが何かで言ってそうですね。そもそも私もどこかで聞いたことなのかもしれません)。
     でも、その無意識の時間が今は結構好きになっています。無意識から意識に切り替わる瞬間が好きっていった方がいいのかもしれません。
     てなことを書きつつ、私は膨大な無意識の作業を済ませたばかりだなぁ、、、なんてバスローブでほげ~っとしています。バスローブって一旦使い始めたらやめられませんよね。

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  2. >みゆさん。
    バスローブ、あこがれますが使い道がわかりません。
    バスローブというのはバスタオルのかわりなんでしょうか?
    バスローブの下にはパンツをはいているんだろうか。
    もしパンツをはいていなかったらすーすーするんじゃないだろうか。
    バスタオルを来たままずっといると風邪をひかないんだろうか?
    バスローブを脱ぐタイミングというのはいつなんだろう?
    バスローブを脱いだらどこに掛けておくんだろう?
    バスローブを掛けるためのえもん掛けのような特殊なハンガーがあるんだろうか?
    次々に疑問が湧いてきます。
    外人さんは似合うけど、日本の男で似合うのは誰だろう。
    舘ひろしは家ではスーツかバスローブしか着ていないと、先日柴田恭兵がテレビで言ってました。さすがです。
    バスローブ。いつかは克服しなければなるまい。

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