2009/08/04

脳をつけっぱなしにしていませんか?

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犬を飼っているせいか、彼等が普段何を考えているか想像することが多い。
恐怖や怒り、嬉しいこと、悲しいこと、寂しさなどは僕たちと同じように、あるいは僕たち以上に感じているように見える。
映像や匂いや味の記憶なども、僕たちよりも優秀な気がする。
こういった非言語的なファクターが、彼等のバーチャル世界の単語として機能しているのかもしれない。

今吸った匂いが、過去のある映像やその時の情動を呼び覚ます。
今食べた味が、過去のある情景を呼び覚ます。
今見ている情景が、過去のある記憶を呼び覚ます。

そこまでは僕たちと同じだけど、彼等は言語を持たない。
お金というものが、腐ることのない「価値」の永続性を保証してくれるように、言葉は忘れることのない情動の永続性をもたらす。
言葉はまた思考に自動能を与える。思考は言葉の連鎖によって止めどなく広がっていく。

彼等は言葉を持たないので、記憶には永続性がなく、連鎖の範囲が狭く、記憶に自動能がないために、「お話」を作ることが出来ない。
彼等は喜んだり、怒ったりするけれども、そしてその感情はまごうことなき真性を備えているけれども、一時の感情を言葉にしていつまでも喜んだり、いつまでも怒っていたりはしない。次の瞬間には気持ちがすっかり変わっている(それはまるでモーツァルトの音楽のようだ(※))。

人間の場合は、今見た景色や聞いた言葉をきっかけに、発芽したジャックの豆の樹のように、永続性と自動能のある「お話」が生まれる。
人はこのお話によって、ある人を愛し続けたり、ある人を憎み続けたり、個人的な不遇を逃れられない運命と感じて、それを破壊するために世界を破壊したりする。

僕は時々それが煩わしくなって、脳がバーチャル世界を紡ぎ出す機能をストップしたくなる。

「今日は脳のスイッチを切っとこうかな」
そんなことを時々考える。
脳のスイッチを切ることも、脳にしかできない。

どうやって脳のスイッチを切るか。
少なくともまず、「いま脳にはスイッチが入っている」ということに気付くこと。
そして「スイッチは、切ることが可能である」ということを知っているだけで随分違う。
脳のスイッチにも、小さな回路のスイッチと、深いところにある古い大きなスイッチがある。
小さなスイッチは「スイッチ オフ!」と呟くだけでも切れる。
深いところにある古い大きなスイッチを切る方法は、誰が知っているか。

この世界の迷妄はスイッチが入っているせいだと仏陀は言う。
「スイッチを切りなさい」と仏陀は言う。
禅はそのスイッチの切り方のノウハウ集なのだろう。


※ひょっとするとモーツァルトは言語によるバーチャル世界ではなく、音符によるバーチャル世界を生きていたのかもしれない。

6 件のコメント:

  1. やきもの好き8/05/2009

    shinさんこんばんわ。
    脳のスイッチ・・・つけっぱなしでブレーカーが落ちないようにしないとなあと思いました。
    スイッチを切る事がずっとできないような友人がいます。(多分)
    脳ってバランス崩したらほんとうに厄介ですね。

    私は、飼い猫もしくは飼い犬になりたいと、とき〜どき思います(笑)
    スイッチを切りたい時なんでしょうね〜

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  2. >やきもの好きさん。
    「きょうはイヌでいこう!」とか思ったりします(笑)。
    脳のスイッチを切ってもかまわないんだということに、最近ようやく気が付きました。(^_^)。
    「スイッチ、オフ!」

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  3. みゆ8/06/2009

     そっかぁ。脳もときにはお休みしなくっちゃ、、、ね。
     私は最近、急に「今日、耳、日曜」ができるようになってきたような気がしています。

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  4. >みゆさん。
    僕は最近「今日、脳、日曜」です(笑)。

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  5. さよこ8/15/2009

    中学生の時に読んだ本で、登場人物の少女が目をとじて、自分の姿を想像して、その景色の中から自分を消しゴムで消していき最後には自分がいなくなるという想像をしていました。その頃、私も何度か真似してみたことがあります。

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  6. >さよこさん。
    ヒトになり始める年頃には、あるべき自分と実際の自分とのギャップが大きすぎるために、一度リセットしたくなって想像上の相手を消すか、自分を消すかしたくなるのかもしれませんね。
    あまりに昔のことなのでよく覚えていませんが。
    これからもよろしくです。(^_^)。

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