2009/10/05

ガワだけがコンテンツである

イチロー自身がどう考えているかは知るよしもないが、傍目で観ていて思うのは、
「記録というのは達成することによってしか開放されるすべがない足枷である」と考えているふしがあるように見受けられるということだ。
彼は常に記録を意識している。
しかしそれは記録の達成を目標としているのではなくて、記録の達成による開放をこそ望んでいるように見える。
記録を達成した時の彼の表情は、「歓喜」ではなく「安堵」である。
彼が追求しているのは記録の達成ではなくて、「ある完成された様式」だと思う(そしてそれはついに完成されることはないだろうということは、彼自身も知っている気がする)。
彼のしゃべる内容にはコンテンツがない。そして彼は様式を追求している。
ダンスや声楽や書道やスポーツなど、肉体を抜きに語れない領域がある。
スポーツは、特に勝敗がはっきりしているので、肉体はイデアに優先する。
何を言っても、結果が全てなのだ。
だからこの世界では脳は肉体に服従せざるを得ない。
この世界では、モード(理想の動きの様式)がコンテンツ(記録の達成)に優先する。
その意味で、彼は正式に日本の伝統芸能の継承者なのだ。
日本の伝統芸能にはコンテンツがなくてガワだけがある。
日本の伝統芸能にとって、ガワだけがコンテンツなのだ。

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