2010/01/20

買っても、読まない。

Hug!
欲しいものが手に入ることの一番のメリットは、もうそのことについて考える必要がなくなることだ。

何かが手に入らない状態というのは皮膚に刺さった小さなトゲのようなもので、そこに意識が集中する。
意識はそのトゲを中心に固着してしまうため思考の自由度が減少する。

欲しいものが手に入ればトゲが抜ける。
食べ尽くして骨だけになった鼠の死骸から蟻たちが解散していくように、意識は再び自由になる。

だから我々はしばしば欲しかった本がようやく手に入っても、いざ手元に来たら読まなかったり、関心がなくなってすぐに手放してしまったりする。
我々があるものを強く欲するのは、それを得るためではなく、それから自由になるため、それを忘れる自由を得るためなのかも知れない。

それで、その欲望の対象が、車で言えばポルシェとかフェラーリとか、僕の好きなカメラで言えばライカM9とか、いわゆる決定版が手に入れば、僕たちは欲望をきれいに埋葬して、スコップの背で土の上をポンポンポンと叩いて平らにして合焦して、あ、じゃない合掌してそこをあとにすることが出来るんだけど、決定版でない場合は、さらにもんもん状態は続いて、刺の周りをうろつき続けなくてはならない。

だから自由になるには無理をしてでもなるべく決定版を手に入れなくてはならない(何の参考にもならない結論)。
いや、もちろん手に入れる入れないの座標軸をチャラにして自由を手に入れてもいいんだけど。
でも人によっては、まだこの問題にケリを付けたくないために、わざと微妙な選択をすることもあるのだろう。



4 件のコメント:

  1. 少しご無沙汰いたしております。
    なるほど、物欲とはそういうものなのかもしれないですね。
    確かに手に入れてしまった後よりも、
    手に入れる前のドキドキが何とも言えませんよね。

    先日シグマさんから連絡がありDP1はもう少しで戻ってくるようです。
    その節はアドバイスをありがとうございました。

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  2. DIONさんサンキュです。
    先日まであれほどカメラのことばかり考えていたのに、手に入ってしまったら憑き物が落ちたようにカメラに対する関心が薄れてしまいました。
    望みが叶えられると情熱が薄れるというのは、言ってみれば当たり前のことなんですが、僕たちが本当に望んでいるのは対象ではなくて、対象からの開放であるという命題が気に入って文章にしてみました。

    DP1君の退院、早かったですね。おめでとうございます。(^_^)。

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  3. 匿名1/26/2010

    そういう憑き物みたいな物欲がなくなって久しいくわん

    しかも、昔あった憑き物もあの音楽が是非聴きたいとかあの映画が是非見たいとか、非物質的物欲だったみたいくわん

    タイプのチガイってあるくわんねえ

    だけど、その頃、やはりそのレコードやビデオを手に入れても、放置されたことが多いのは同じくわん

    とーしくわん

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  4. 何々さえあればといったこだわりは、それが過度のこだわりである場合人格障害の第一歩であると言ったのは内田樹先生ですが、ちょっと僕にもそういった傾向はあるのかもしれません(笑)。
    とーしさんの精神はより健康なんだと思います。

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