2010/05/03

Royal Touch

Touch the patient, even if you only shake hands or feel the pulse, especially with old people. But not with paranoids.
握手するか、脈を取るだけでもよいから患者に触れなさい。特に高齢者には。ただし妄想性人格障害は除く。

僕はむかし京都で大学浪人をしていました。大学受験の願書と一緒に提出する健康診断書をもらうために開業医の診察を受けた際に僕の胸部レントゲンを見てその先生はひとことこう言いました。「弱虫の心臓やね」
えーと(笑)、これは滴状心といって胸郭の幅に比べて心臓のサイズが小さいことを彼はそのように表現したわけですが何気なく言った一言を以後30年以上にわたってその青年が覚えているとは彼も予想できなかったでしょう。

また逆の立場の出来事もあります。僕がずっと以前勤めていた病院の僕が一番信頼し親しく思っていた内視鏡室のスタッフの看護婦さんが退職することになりその送別会で彼女が言った一言。
「先生は職員健診の時に私の小さな胸を見てクスッと笑ったでしょう」
僕は彼女のこの言葉に飛び上がるほど驚きました。
一般的に医者は患者の診察をする時に、異性であっても性的な関心で相手を見ることはありません。しかも相手のバストの大きさを値踏みするような気持ちは微塵もないのです。だからその時に僕の表情が笑っているように見えたとしたらそれは相手の緊張をほぐすためだったのかもしれないけど。
そんなつもりでなかったのに、自分の発言や表情や行動が患者に過剰とも言える影響を及ぼしていることは僕の20年以上の医者としての経歴の中でも、その多くがむしろ苦渋の記憶として蓄積されてきました。

さて、一般的に医者は自分の発言や行動を過剰に過小評価しています。
何気なく言った言葉や、その時の自分のちょっとした表情が、患者やその家族の生涯を貫くほど影響力があることをほとんどの医者は自覚していません。
僕らは職業柄、お医者さんってたいへんな仕事ですよねとよく言われます。それに対し僕は「いや、そんなことはないです。ほかの職業と同じですよ。大変なのはどの仕事も同じです。」といつも答えます。医者は皆さんが思っているほど自分たちの仕事を特殊だとは思っていないのです。警察官だって消防士だって人の命に関わる仕事ですし政治家や教師などもひとびとの生活や人生に大きな影響力のある仕事です。

でも最近は、ちょっと違うのかもしれないと考えています。
むしろ僕たちは自分たちの仕事を、あえて特別視すべきなのかもしれない。
それは威張るとかじゃなくて、自分の影響力の大きさをもっと過大評価すべきだということです。一般の方から見れば、今更何を言ってるんだと思われるかもしれませんが。今僕は自分が取り扱っているテーマが、非常に誤解されやすいデリケートなテーマであることを自覚しています。医師という仕事が特殊なものであるとあえて述べることがすぐに傲慢さに直結するからです。だから僕たちは自分たちのことを意識的に卑下したり謙遜したりする。僕はこのデリケートな問題をスッキリさせるために、人とその仕事をわけて考えたいと思います。

二十歳代前半の世間知らずの若者が、いったん白衣を着て病院の廊下を歩くと若者よりもずっと人生経験豊富な年配の人たちからお辞儀される。
自分が偉くなったと誤解してはならない。
彼等はなぜあなたにお辞儀するのか。
それは美術館で素晴らしい絵画を観て人々が感嘆の声を上げるのを額縁が自分が偉いと勘違いしてしまうようなものだ。
あなた自身は絵の外枠に過ぎない。あなたは人類が営々と蓄えてきた生命と病と死に関する知識と知恵の、ただかりそめの窓口なのだ。
人の価値は、あなたという窓枠がどんな風を招き入れるかで決まる。たまたまあなたが、非常に重要な場所の窓枠に指定されただけなのだ。あなたがいなくなったら、またそこに別の窓枠がはめ込まれるだろう。

だから僕はあなたに言う。あなた自身は何者でもない。
ただ、今たまたまあなたは人類にとって重要な場所にいる。
人々は、あなたが特別な場所にいて特別な風を吹かせてくれることで、あなたを特別な窓枠だと考えるだろう。
だからあなたが善意の医者ならそれを意識して利用しなさい。
あなたは触るだけで患者を治すことができるだろう。
だがその一方であなたの一言で患者は死んでしまうのだ。







3 件のコメント:

  1. とかげ5/03/2010

    私、とっても信頼していた開業医に、数ヶ月前にあることを言われたんです。診察室で。
    彼のあけっぴろげな性格は好きだったけれど、その言葉に驚きと悲しみが襲いかかりました。
    それからはもう彼のところには行けないと思って・・・最近ようやく相性の良さそうな医師と出会うことができました。
    その人のところへはメニエール的な症状で相談に行ったんですが、禁煙治療に力を入れている人で、今度治療に入ることに。
    その誘い方もとてもスマートでした。
    相性が良い人にめぐり会えて安堵しています。

    好きな人だったのに、あの一言で私の気持ちは冷めてしまったんです(笑)。今思い出しても残念な出来事でした。

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  2. >とかげさん。
    僕が今までやってきた悪逆非道の数々を思えば
    人ごととは思えません。
    いや、ほんとに心が凍るような出来事もあるんですが
    飲んで忘れることさえ出来ません。
    僕は下戸なんです。

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  3. とかげ5/04/2010

    悪逆非道だなんて・・・・・
    私にも「些細なひとこと」な出来事があったな、という事を思わず書いてしまいましたが、
    shinさんのコメントを見て、デリカシーに欠けていたかも、と反省しています。
    ごめんなさい。
    なんて言うのか、私は人を責められる立場にない人間だし、
    「誰がこれをしたのか」という犯人探しも好みません。
    もちろん私自身、忘れられない失敗や後悔はあとから尽きません。

    以前からのshinさんの謙遜さを見て、私は「素晴らしい人」と言ったのです。

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