2010/11/21

写真は身も蓋もない。

_B214314
Kern Switar 25mm f1.4


写っているのが他人であれ自分であれ、写真に写った像は僕たちの想定を超えて酷薄である。
それはカメラを使ったことのある人には自明の事実だろう。
端的に言えば写真に写った姿は実際よりも皺だらけでしみだらけで年老いていて醜い。
だから僕たちは写真を見た途端びっくりしてしまう。
プロでない僕たちが普通に写真を撮って、実際よりも美しく撮れることはまれなのだ。
これは一体どういうわけなのだろう。

僕たちが「実際よりも」という場合、その実際というのは僕たちの持っているその人に対するイメージなのだから、
写真に写っているのが実際なんだよ。君の思っているイメージは美化されているんだと言われればその通りかもしれない。
でも実物を見る時に美化というフィルターがかかるなら、写真を見る時もそのフィルターがかかってもいいじゃないか。
どうして写真の時だけフィルターがかからないのか。

僕たちが直接人と会って話をしているときは、それが他人であれ自分であれその人と自分との過去から現在に至る関わりの総体を感じながら接している。
だから僕たちが見ているのはその人の顔であって顔ではない。
僕たちは顔を見ていない。
だが写真はそうではない。
僕たちが写真を見る時、こちらの姿は相手には見えないので覗き穴を通して相手を観察しているようなものだ。
僕たちはその人との交流を抜きに、その人の外観だけを抽出する。
だから無時間的に切り取られたその人の顔だけを見てびっくりする。

花はそうではない。
花は見たままに写る。
花に過去はない。少なくとも私とその花は過去から現在に至る私との固有の関わりの総体としての関係ではない。
だから私は花を撮り、撮られた写真を見ても驚かない。

写真は身も蓋もない。
身も蓋もある写真にするために必要なものは何だろう。
そこに過去から現在に至る固有の関わりを写し込むことを可能にするのは
対象に対する想像力しかなかろう。

写真は原則的に酷薄なものだ。
写真はそのまま撮れば酷薄なのだ。





追記
「想像力の射程距離」

一般的な傾向として男性より女性の方が魅力的な写真を撮るということについて
悪くいえば男性の想像力がカメラとレンズに留まっているのに対し
女性の想像力はカメラとレンズを超えてその遙か先の対象にまで到達している。
対象こそが彼女たちを突き動かしている。
写真の魅力の過半は想像力の射程距離と関係がある。
以上自分のための覚え書き。

5 件のコメント:

  1. 確かに人を撮ると過酷に感じることがある
    一番過酷なのは自分が写ってる写真。

    オレってこんな肌?皺?頭?
    って、がっくりくる。

    僕もShinさんと同じで
    人物をあまり撮らない。風景が多い。

    でも写真として最高に魅力があるのは
    人物写真だと思う(個人的意見)

    風景の写真をたくさん撮って
    少しだけ良い写真が残るのと同じで

    人の写真もたくさん撮ってみなければ
    わからないことがたくさんあるのかなあ

    って思っている。だから今は、
    過酷で残酷だと 言い切りたくはない。

    初コメントにもかかわらず
    生意気なことを言ってすみません。

    好きな人には
    少し反発したくなったりするものです。

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  2. blanketfeelさんありがとうございます。
    人物写真、むつかしいですね。
    僕は人を撮る勇気がないのでモノを撮っている気がします。
    モノに人を託して。
    DP1で撮っていた頃は皮膚を一枚はぎ取ったようなヒリヒリする描写に心躍らせていたんですが
    そして今でもそんな描写に対する未練はたらたらなんですが
    実は写真というのはそもそも何の工夫をしなくても元来酷薄なものなのではないか。
    と、ふと気が付いたんです。
    酷薄に撮るのは実は簡単なことなのであって、柔らかく撮ることはそれより遙かに難しいことなんじゃないか。
    ・・・・
    シャッターを押せば酷薄に撮れる。
    それは単にカメラに撮られているだけであって、僕が撮っているのではないのではないか。
    ・・・・
    まあ、でも写真は頭で撮るものじゃないし
    撮りたいように撮るしかないんですが。
    撮りたいように撮るしかないですね。
    いろいろ考えるけど(笑)。
    一つの嗜好から離れるためにはひとはいろいろ理屈を述べ立てるもんです。

    あ、ブログ拝見しました。
    名言集は僕も好きです。また遊びに行きます。(^_^)。

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  3. Re:Shinさん
    「酷薄に撮るのは実は簡単なことなのであって、柔らかく撮ることはそれより遙かに難しいことなんじゃないか。」

    僕もそう思います。

    花や風景の写真は、花や風景に対して
    「こんなにきれいに撮れたよ」って
    見せてあげられません。

    だけど人にはその余地がある。

    だから撮ったあとに写真をその人に見せて
    「わあっ」って喜んでもらえる写真が撮れたなら
    最高だな って思いがあります。

    ちなみに僕のカメラ歴は
    ・オリンパスOM-1
    ・オリンパスOM-2
    (四半世紀のブランク)
    ・Sigma DP1s
    です。バシャバシャたくさん写真を撮れるって
    夢のようですね。

    また何か湧き上がるものがあったときには
    コメントを入れさせて下さい。
    レスありがとうございました。

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  4. 本当にそうですね
    写真に収めることで、対象は対象そのものとなってしまって、
    対象との関係性を失って呆然としてしまうのでしょうか?

    テクニックのあるなしはひとまずおいたにしても、
    自分の撮る写真は身もふたもないことが多いです。
    が、ほかの方が撮る写真は現実+αの味わいを感じます。

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  5. paradisさんありがとうございます。
    >ほかの方が撮る写真は現実+αの味わいを感じます。
    そうですね。僕もそうです。
    でもね、僕たちはひょっとしたら無意識のうちに酷薄な写真はスルーして
    +αの味わいのある写真だけに眼を止めているのかもしれません。
    僕たちは、いずれ自分でも撮りたいと思うような写真だけに注目しているのかもしれません。

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