2011/04/01

命というものが。

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命というものが、単にこの世の始まりから終わりまでを情報の入れ物として自己複製するだけのものなら、なぜそんなエントロピーの低い難しいことをやろうとするのか。土くれのままじっとしておれば良いではないか。もちろん見事な造形は神秘でしか説明できないわけではなく複雑な機構がその機構を自己反復するシステムの安定した系だけが残っているのだと言えば、全ては結果で説明できてしまうけれども、やっぱり僕には切っても切っても生えてくる、刈っても刈っても新しい工夫を携えて蘇ってくるイノチのエネルギーというものが土くれ的安定をぴょんぴょん跳ね除けて伸びていくさまがドライでクールな科学的視点を嘲笑っているようにしか見えないのだ。

2 件のコメント:

  1. なるほど。shinさんの立場をして
    >ドライでクールな科学的視点を嘲笑っているようにしか見えない
    というのは興味深いですね^^
    科学で説明できないことがテンコ盛りということで。

    小さな命が愛嬌ある姿で「新しい工夫」でもって
    環境の困難さを克服していく様は見ているだけでも勇気づけられますよね。

    >ドライでクールな科学的視点
    コレを嘲笑うのが愛すべき小さな命だけなら微笑ましくて嬉しいですが、
    「科学的視点」から生まれた核のエネルギーが、自らソレを嘲笑うかのように
    今回の「想定外」の自然現象の隙間に容赦なく入り込み爆走し続ける現在の惨事。

    核のエネルギーが命のエネルギーほどの創意工夫を持たないことを
    自己反復するシステムの安定した系を持たないことを
    祈っています。

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  2. cahier-bさんありがとうございます。
    自転車は楽しいけれども、コケると歩いていた時よりひどい怪我をする。
    文明は便利を増幅するのと同じだけ悲劇を増幅するんでしょうね。
    多分どちらか一方だけ増やすことは出来ないんだろうな。

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