2012/12/02

鬼海弘雄写真展

鬼海弘雄写真展

藤田一咲さんの「ハッセルブラッドの日々」の中で一咲さんが鬼海弘雄さんにインタビューする箇所があって
鬼海さんの返答がいちいち深い。その鬼海氏の言葉を幾つか。

「構図には気を配る。ましかくな写真は構図がとてもむずかしい。それだけにハッセルブラッドで撮る写真は、構図が命。」

「写真はもちろんノートリミングでなければいけない。だから撮る時から構図はよく考えなければならない。」(同書)

「ピントはきっちり合わせる。アナウンサーが言葉をはっきりしゃべるように、写真家はピントを合わせることが大切。
そして、撮るときは人でも風景でも、お願いして撮る。」(同書)

「人に声をかけるのは苦ではない。カメラは人と人を結ぶ関係性のためにある。
人に声をかけられないくらいなら、カメラはやめたほうがいい。」(同書)

「デジタルはたしかによく写る。だが、写りすぎて物事をよく考えない。物事は欠落した部分がないと、具体的なものは見えてこない。
またプロセスがなさすぎて、自分の持っているものを濾したり、寝かしたり、発酵させることが出来ない。」(同書)

「写真がいかに写らないかを知った時、そこから写真は始まる。」(同書)

「ハッセルブラッドはいいですよ。トレッキングから本格的な登山の気分になったら、
中古でいいから、買ってしまいなさい。そして、撫でていなさい。」(同書)

ネットで調べたらうちの近くの伊丹市立美術館でちょうど鬼海弘雄さんの写真展の真っ最中。
しかも今日は鬼海弘雄さん自身が来館されてギャラリートークをされるという。それは是非行かねば!
ということで今日は初めて写真展というものに行ってきた。

美術館に到着して鬼海さんの写真を見る。
浅草寺のコンクリートの打ちっぱなしを背に被写体を真正面から捉えた息詰まるポートレートの数々。
これはすごい!と思いながら1作品1作品ゆっくり観ていく。

ポートレートに続いて東京の下町の見窄らしい家々の写真が並ぶ。
ポートレートに比べると家々の写真の緊張感はややトーンダウンする。
ポートレートと下町界隈の写真の繋がりがよくわからない。

下町の写真が終わると再びポートレート。
その1枚目の、「大工の棟梁」という写真の強い力に圧倒される。
じっと見ていると棟梁の両眉がお城の鯱に見えてきて、さらに短パンにアンダーシャツで座っている姿全体が立派な天守閣に見えてきた。
それで、鬼海さんのポートレートと町並みの写真の繋がりがわかった気がした。
ああ、この人はひとをを建物としてみているのだ。(※)

人生の、永いトンネルを抜けるうちにあちこち傷んできて、その傷んだ部分をいろんな物で補強しながら
傾いた安普請の、それでもなんとか威厳や愛嬌を保つために家のあちこちに妙ちくりんな飾り物や看板をぶら下げて
なんとかかんとか建物として立っている、その愛すべきひとびとのすがた。
そのなりたち、そのひとをそのひとたらしめているしくみ、構造を、彼は真正面から捉える。
そしてまた建物も長い年月で傷んで傾いた部分を補強して立っている姿はそこに住むひとのメタファーでもあるのだ。

そこから生まれてくる巧まざるユーモア。
「風刺や皮肉はレベルが低い。まず相手を肯定することからユーモアが生まれる。」(氏のギャラリートークより)

そして彼の写真は真摯さとユーモアの間を振り子のように揺れ動いていて
人物に比べて建物の写真の緊張が低めなのはどちらかといえばユーモアの方に振れているからなのだろう。

氏のギャラリートークではその他にもさまざまな印象的な言葉を聞くことができた。
思い出すままに書いてみる。

「4時間、5時間かかっても何も撮れない日もある。」

「どうしても撮りたいひとが現れるまでは撮らない。いかに撮るかより、いかに撮らないかのほうが大切だ」

「どうしても撮りたいひとというのは、そのひとの属するタイプの代表みたいなひとです。」

「ひとは自分がなりたくないひとの写真は見たくないんです。
僕はどんなに見窄らしいひとでもナザレのイエスだと思って撮ります。」

「ひとを撮るときに盗むように撮るから怒られる。「僕がどんなにあなたの写真を撮りたいか」を真正面から真剣に言えばわかってもらえます。」

「ああ、光がこっちからじゃなくて反対側から当たっていたら素晴らしい写真になるのに、と思う。
それで、夕方にもう一度来たらその光が手に入るとしても、そのためにもう一度ここに来ることはない。」

「僕は三脚もフラッシュもレフ板も使わない。この写真で下から光が当たっているのは雪です。」

「どうして三脚を使わないか。ほんの少しあおったりほんのわずかに角度を変えただけで、すごく大きな変化が生まれるんです。
その絶妙なポイントを探るためには三脚ではだめなんです。」

「僕が写真を勉強し始めた時、暗室での仕事をマスターしなさいと言われた。
暗室なんて、半年くらいでやりかたはマスターできるわけです。
そしたら哲学の師匠の福田定良先生が、君が理解したと思う時間の三倍やりなさいと言った。
それで僕は三年間暗室を勉強したんです。先生は偉いもんです。」

「何が困るといって、被写体のひとが自分をアピールするためにポーズをとることで、僕のモデルは自意識の強い人が多いからポーズを取りたがる。
そんな時は、「あれ、シャッターが降りないぞ、どうしたんだろう?と言うと、モデルさんが、え?どうしたの?とポーズを崩した瞬間に撮る(笑)。
あるいは「ちょっとその左足に体重を移してみて」とか、「それじゃあ運転免許証みたいだよ」とか言ってみる。
どうしてもポーズを崩さないひとの場合は2~3枚そのポーズで撮ってあげてそのあとこちらの希望を撮らせてもらう。」

「同じひとを15年も20年も経ってまた撮ったりするんです。僕が浅草で写真を撮っている。すると向こうからそのひとがやってくるわけです。
あ、来た!と思うわけです。もう顔も姿もすっかり変わっている。でも僕は一度撮ったひとはすごく鮮明に覚えているからわかります。」

「誰が撮っても同じになるような景色は撮りません。そこに魅力的なひとが現れて、はじめて撮ります。」

「写真の魅力を創りだすのは写真そのものではなくてその写真を見るひとの想像力です。
でも写真の側に多くの情報量がないといろんな想像をしてもらえないんです。正確にピントを合わせる意味もそこにあります。」

「僕は立派な暗室で現像してると思ってる人が多いと思いますが、お風呂場です。引き伸ばし機もラッキーです。」

「僕が写真を始めた頃、60万円だったハッセルが並行輸入で30万円で手に入るという話があった。
僕はそんな高級なカメラを使いこなせると思えなかったし、別に欲しいとも思わなかったのに、
僕の哲学の師匠の福田定良先生がポンとお金を出してくれた。
だから僕はこのカメラで撮るたびに、いい加減な写真を撮っては福田先生に申し訳ないと思いながら撮っている。」

そんな話を、味わいのある山形弁で語ってくれました。
ほかにもいっぱい話して下さったんですが、僕にとって印象的な部分だけを書き出してみました。


[追記]
聴講者は多かった。70人くらい来てたんじゃないだろうか。
女性が多いことにも驚きました。男性3に対し女性7くらい?


[更に追記]
それで思い出すのは宮崎駿監督の「ハウルの動く城」で、
あの奇怪な継ぎはぎだらけの、ガラクタの寄せ集めの、
どこが出口で、どこに繋がっているのかわからない
そして内部に様々な部屋を蔵してぎこちない動きをする城は
おそらく青年期の宮崎駿氏自身の自画像であったろうということで
それは僕自身が青年期に自分のことをそんなふうに感じていたから
実感としてよく分かるわけです。


(※)鬼海さん自身がそういう視点で撮っているというんではなくて
彼がそういう視点で人物を見ていると仮定すると見えてくるものがある。

このひとはこういう視点で物を見ているのではないかという補助線を引くことで
あ、わかった!と思う。

さらに言えばわかった!というのは
自分の船からその人の船に瞬間移動で乗り移ったような感じ。
その人と同じ船に乗って同じ波に揺られて同じ物を見る。
そのひとの見え方と感じ方にシンクロする。
その人の船に乗れたら、それが僕にとってわかったということ。


2 件のコメント:

  1. わっ! ついにハッセルブラッドへ突入するんですねshinさん。
    PENTAXの露出計あたりから何だか不穏?な雰囲気になってきたので
    もしや、と思っていたのですが...
    とても密度の高い階調表現、特に色再現の濃度と発色など
    ハッセルで撮ったリバーサルフィルムをルーペで観た時の印象を思い出します。
    もう、こうなったら行けるところまで行っちゃってください!!
    ところで鬼海さんの事、僕はまったく知りませんでした。
    もっと精進しなくては...

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  2. hiroshipsさんありがとうございます。
    いい道具さえ手に入ればなんとかなると思ってるんだから
    まったく馬鹿につける薬はないというか(笑)。
    「もうちょっと落ち着いたらどーなんだ!」なんてお叱りの声も聞こえてきます。
    ハッセルを買って、お前は何を撮るつもりなんだ、という自問も何度も頭をよぎります。
    でも浮ついてしまった気持ちはなかなか落ち着かない。

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