2013/01/16

名付け再考

Untitled

ドクターによって胃カメラの方法は違うが僕の場合は患者さん一人あたり40枚の写真を撮る。
その1枚ごとに胃体下部小弯とか穹窿部後壁とかいった胃の番地名がある。
先日少し空き時間があったのである看護師さんに特訓と称して40区画の番地名を覚えてもらった。
一人が覚えると他の看護師さんも競って覚え始めた(みんな優秀なスタッフ達なんです。いつもありがとう)。

それからしばらく経ったある日のこと、検査に付いていた別の看護師さんが僕の撮影する各ショットと彼女が手にしていた写真集を見比べながら思わず「わぁ、全く一緒ですね!」と言った。
それは僕が別のときに撮った40枚の写真を彼女達がファイルしたもので、彼女はそれと僕が撮っているモニターの画像がすべてぴったり同じなことに驚いていたわけだ。

もともと胃の表面に区画が描かれているわけではない。そうではなくて区画はそれを見るものの頭のなかにある。同じ術者が撮れば3年前のAさんの「胃体上部後壁」は今撮っているBさんの「胃体上部後壁」と同じ映像になる。

ただ、面白いのは彼女は内視鏡看護師としてはベテランでこれまで無数の胃粘膜を僕といっしょに見てきたはずなのに、写真と実際に僕が撮る映像が完全に一致していることに今更ながら驚いたことだ。

写真はつまり僕の頭のなかにある区画であり、脳内に存在する区画を今見ている胃粘膜に当てはめてそのとおりに映像を切り取っているということを彼女はそのときはじめて気付いたのだ。

更に言えばもし彼女が胃の区画の名前を知らなかったら写真の「胃体上部後壁」と僕の脳内にある「胃体上部後壁」が同じものであるということを知りえなかったはずなのだ。

-------------------------

何を言いたいかというと、ひとはもともと区画線の引かれていない茫漠たる外界の一部を、名付けという行為によって他の場所から切り取り、その名前を脳内に取り込んで膨大なアーカイブに関連付けているということだ。その、アーカイブに取り込まれた「それ」の番地こそが「名前」なのだ。

以前僕は読み書きの出来ない女性が老いてから学校に通うチャンスを得たときのエピソードについて書いたことがある。
彼女は「赤い」という字と「夕日」という字を習った時に、夕日は赤いと知って感動の涙を流したという。
これは僕たちにはなかなか想像できない体験だ。
彼女は読み書きができなかっただけであって、これまで何百回も赤い夕陽を見てきたはずではないか。
どうしてその映像ではなく文字を覚えた時に感動したのか。

カール・グスタフ・ユングがインディアンの部落を訪れた時に朝地平線から登りつつある太陽だけが彼らにとって崇拝の対象としての神であったという。
科学的見地からすれば朝の太陽も昼間天頂にある太陽も夕日に赤い太陽もすべて同じ太陽であり、どこからどこまでが朝日、夕日と区分できるものではない。
しかし人がいちどそれを切り分けると、それが朝日となり夕日となる。
その、切り取った夕日というものは彼女がそれを夕日と名付けることによってはじめて外界から切り取られて彼女の脳内に導き入れられ、脳内の「赤い」という言葉の背後に広がる膨大な赤い印象に関連付けられた無数のアーカイブと地面に落ちた雷が広い大地を瞬時に通電するように接続したのだ。その電撃こそが、彼女に涙を流させたものの正体なのだろう。

看護師さんの発した驚きの一言があらためて僕に名付けや名前を覚えることの意味を考えさせてくれた。人の名前をさっぱり覚えられない僕だけど。


付記
むかしダウンタウンのごっつええ感じで見たコント。
いかにも南米人っぽい付け鼻をしたダウンタウンの二人。
病院のベッドで寝ている兄の松ちゃんは弟の浜ちゃんに自分の死期が近いことを告げる。
悲しみに沈む弟を慰める兄は、自分が死んだあとは親戚のおばちゃんを頼りにするように命じる。
しぶしぶ事態を受け入れる弟に兄の松ちゃんは、「実はな、今まで黙ってたけど、俺らはほんまは日本人ちゃうねん。ほんまはな・・・」と言って突然息を引き取る。
絶句する浜ちゃん。「えっ!?ホ、ホンマはナニじんやねん!」と叫びながらコントは終わる。

自分がどの国のアーカイブに繋がるべきかを知り得ないまま呆然とする弟。






2 件のコメント:

  1. 対象があるから名前が必要になるのか,名前があって初めて認識できるのか,たぶん,同時進行なのでしょうね.ものを考えるときには頭のなかに言葉が並んできますが,絵文字で文章構成はできないので,名称が存在しないと理解できないことも多いと思います.

    昔読んだ”長くつ下のピッピ”で,先に”スプンク”という名前が思い浮かんでから,それはなにか素晴らしいものに違いないから探しに行くというストーリーがあります.今考えると,とても高度な遊びなんだなあと...

    遅れましたが,新年おめでとうございます.

    返信削除
  2. とど2号さんありがとうございます。
    たぶん名前はエモン掛けのようなもので、そこに意味や連環といった紙をペタペタ貼って肉付けしていくことで
    脳内の実体が組み上がっていくんじゃないでしょうか。対象というのはそういう脳内の実体の立ち上げを促す要望そのものなのかと。
    長くつ下のピッピは読んだことはありませんがそのお話は面白いですね。
    先ほどの想像を敷衍すると魅力的な名前が先に立ち上がるというのはまずエモン掛けがポーンと立ち上がって
    あんまり素敵なエモン掛けだからそれに似合った肉付けを探しに行くわけですね。いや実に面白い!
    あ、時々拝見させていただいています。都会に引越しされたら今までの溢れるほどの自然環境と別れなくてはならないのが寂しいですね。
    今年もよろしくお願いします^^。

    返信削除

twitter