2013/07/27

7月27日

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五月末に母親が他界して二ヶ月が過ぎたが、当日も通夜でも葬式でも私は泣かなかった。
特別複雑な事情のある家庭ではないが、自分の生い立ちにはそれなりに屈折したものがあり
いずれ私が心の鎧を脱ぐ時に泣くのかもしれないが少なくとも今はまだその時ではないらしい。

今朝も寝床でぼんやり考えていて、モーツァルトが母親の死に際して作曲したK.331(トルコ行進曲)が
どこにも涙の跡が見えないのが不思議で、むしろそれが彼の悲しみの深さを暗示しているのかもしれないが
なんとなく気になってネットで調べてみたら、聖徳大学の原佳之氏の論文のなかで
モーツァルトが母の死に際して著したのはK.331(イ長調)ではなくてK.310(イ短調)の可能性が高いということだった。

確かにYouTubeでK.310を聴くとここにはト短調弦楽五重奏曲に通じる暗い運命のモチーフがある。
僕はブレンデルとグルダのCDを持っているがそのいずれにもK.310が入っていないから
いろいろ考えた末にピリス(今はピレシュというらしい)とグールドのピアノソナタを注文することにした。
まだ手元に来ていないのにこういうのも何だが
これはおそらく優しくハンカチを渡されて泣くか、後ろから頭をポカポカ殴られながら泣くかという
表現としては両極端の選択になるだろう。

じゃあお前は泣きたいのかというとそうではなくて
おそらく僕は強すぎる母親のアニマの王国から逃亡した息子で
今はかつての王国の中心をめぐる音楽が聞きたいのだろう。
それにしてもむしろK.331の方が母の死の音楽ならよけいに切実な気がするのだが。

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