2013/08/13

写真における俗物について

「5本ではなくなった5本の木」
こういう事件をみると、「俗物だなぁ」と思う。
鉄オタの人が写真の見栄えのために桜の木を切った事件に通じるものがありますね。

丘の上に並んで立つ木は非常にわかりやすいテーマで、こういうイコン性の強い被写体を前にしたらもう諦めるしかない。主体性を放棄して、どれだけ忠実にイコンの奴隷になるかがすべてです。

俗物というのは、自分固有のモチーフの構築を諦めて、世間一般で称賛される価値観をそのまま自分のモチーフに置き換えた人々です。からっぽの自我に「大衆の欲望」を入れてそれを自分の自我にした人たちと言えばわかりやすいかもしれない。
彼らはいわば大衆に魂を売ったゾンビのようなひとたちなので、叩いても死なないしいくらでも生えてくる。批判されても動じることがない。だって個人じゃないんだもの。

プロはいいんですよ。大衆に迎合してお金をもらう仕事なんだから。
でもアマチュアが一体何が楽しくてこんな写真を撮るのか。
大衆の欲望の奴隷になる喜びというのもあって、自分がいかに忠実な奴隷かを互いに競い合っているのかもしれない。
「わ、すごい。プロみたい」って言われたいのかな(笑)。

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