2013/10/02

左脳遮断体験

DDN JAPANにある脳科学者が脳出血で左脳の機能を一時的に失った時の体験が載っていました。
まだお読みになっていない方はぜひご一読下さい。非常に興味深い記事です。
普通なら激しい混乱とともにパニックに陥ってとてもこんなふうに冷静でいられないと思いますが、
自らが体験した稀有な感覚を、リアルかつ客観的に記述する作法はまさに一流の脳科学者に相応しいものです。
そしてその記事の読後にそれが以前自分が書いた記事と関係がありそうだと感じたので再掲してみます(手前味噌(笑))。

SDIM1309

〈以下は2008/4/6のブログ記事「仮想世界に「私」が登場する瞬間」の再掲です〉

中枢神経を有する生物は脳の中にモデルとしての世界を持つことが出来る。
中枢神経とは仮想世界の入れ物のようなものだ。

仮想世界はそのままでは脳の中の単なる景色(view)だけれども、「言語」が誕生すると仮想世界は自動能を獲得して、まるでゼペットじいさんの作ったピノキオのように勝手に動き始める。

やがて仮想世界は現実世界に対して優位に立つようになる。
現実世界には過去も未来もないけれども、仮想世界には「言語」による未来と過去があり、ここではないどこかが存在する。時間的空間的自由を獲得した仮想世界は現実世界よりも優位な立場に立つとともに現実世界を変革するようになる。

仮想世界の言語の主催者ははじめは「神」だが、仮想世界に「私」が誕生することによって主人公は徐々に「私」にシフトし、やがて「神」は消滅する。ジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」は、我々に「意識」が出現し「神」が消滅したのはつい最近(今から3000年前)であると述べている。(だが名実ともに「神」が消えたことを我々が知るのはもっとずっとあとのことだ)

では「私」はいつ誕生するのか。
viewとしての世界に私が登場するためには「viewとしての私」が必要である。
それは何によって獲得されるのだろう。

私は自分の顔を直接見ることが出来ないので、古い時代には似顔絵や水瓶の水をのぞき込むことでしか自己のイメージは得られなかった。やがて人々の生活に余裕が出来てみんなが自分の鏡(今風に言えばマイ鏡)を持つようになると「私」は急速に普及する。「鏡」という道具と「私」というシステムが疫病のように社会に広まった時代があったのだろう。

つまり仮想世界には三つのレベルがあり
A.中枢神経が生まれてviewとしての仮想世界が誕生するレベル。
B.「言語」が発明されて仮想世界が現実世界の優位に立つレベル。
C.広く鏡が普及して「私」が流行し「神」が消退するレベル。

そしてこれら三つのレベルを担うのは
A.は中枢神経のある生物たち。
B.は古代の人間たち。
C.は現代の人間たち。

以上で再掲終わりです。尻切れトンボのような終わり方ですが、ふとした思いつきを書き留めておきたかっただけのような文章です(笑)。



DDN JAPANには、
『【感動必見】脳機能を失い、死に向かった脳科学者が見た「僕らの生命の秘密」「人生の意味」に魂が打ち震えるほどの衝撃が』というセンセーショナルなタイトルがついていて、彼女自身も新たな世界観を興奮気味に吐露しています。
そそっかしい読者は一種の臨死体験として、死後私達はすばらしい幸福感に満ちた世界につつまれるのではないかと誤解するかもしれません。
しかし彼女が体験したのは死後の世界ではなく、左脳のフィルターを外した純粋な右脳の世界と思われます。
言語脳を持たない人間以外の動物もおそらくこのような世界を見ているのではないかと僕は思っています。

左脳というのは簡単に言うと自分を主人公にした物語を生み出している一種の「物語脳」と考えられます。
物語には過去と未来があり、筋書きがあり、役割がある。
我々は常にこの自らが編み出した物語の中を生きており、物語にどっぷり浸かったまま人生を終える
「幸福」という物語を追い求め、「不幸」という物語に縛られる。
仏教は迷妄が単なる左脳の作用にすぎないと教えており禅は左脳のスイッチの切り方を教えているのではないかと僕は考えています。
(→脳が脳から自由になるための二つの方法)。
そういう意味ではこの脳科学者は禅の悟りのようなものを体験したのかもしれません。
彼女の体験談が東洋の神秘に触れた西洋人を連想させるのはその辺と関係があるのでしょう(オイゲン・ヘリゲル著の「弓と禅」)。

追記1
僕は脳科学者でも宗教学者でもありません。
あるお話を読んで、そこから自分のお話を紡ぎだしただけです。
科学的根拠があるかとか、宗教学的に正しい解釈かについての議論はご容赦下さい。
(それにしては断定的なモノの言い方ですが(笑))

追記2
やたら自己リンクの多い記事になってしまいました。
脳のバーチャル性からいかに逃れるかというのが個人的にずっと意識しているテーマなんだと思います。
僕自身が物語に囚われやすいタイプなので。

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