2015/01/31

Fall of Icarus

Fall of Icarus
Olympus OM-D E-M1 with M.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0











風のシッポ

SDIM0050b
Sigma DP3 Merrill









2015/01/30

fall

fall
Olympus OM-D E-M1 with M.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0









2015/01/29

narrow path

a narrow path
Olympus OM-D E-M1 with M.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0










2015/01/28

砲
Olympus OM-D E-M1 with M.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0









2015/01/27

城壁

P1250006
Olympus OM-D E-M1 with M.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0








2015/01/26

closed gate

closed gate
Olympus OM-D E-M1 with M.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2.0












2015/01/25

ああ、モノクロが撮りたい。

P1240003
Olympus OM-D E-M1 with LUMIX G 1.7/20

ずっと忙しくて写真を撮りに行けなくてブログの更新が止まっていても
不思議にこれまでのように何とか更新しなくちゃという気持ちがさらさら起きないのは
これまでの自分の作風にマンネリを感じてもう写真はいいかという気分でいたからなんだけど
それが先日朝ふとんの中でまどろんでいると「モノクロはいいよ」という誰かさんからのお告げがあった。
それが何だか気持ちがストンと落ち着く夢だなぁと思っていたら
SteveHuff氏のサイトに若い読者の体験記が載っていて
その彼がお金をためてライカを買う決心をした時に
ライカMはzen-like experiencesだけどM8はソウルがあると書いてあった。
それを読んで、そうか、zen-like experiencesというのはいいなと思ったのだ。

ああ、ライカMモノクローム。
モノクロしか撮れないのに百万円もするという自虐的ストイックさ。
それでも心惹かれてしまうのはモノクロームしか撮れないという制限が
むしろその枠内での豊かなゲームを約束されていることだ。
制限があるから自由になれるというと逆説的だがそれは紛れもない真実で
さらにMM(Mモノクローム)に限らずライカで撮られた写真には「佇まい」がある。
佇まいというものの本質について僕はまだ説明する言葉を持たないが
それは例えば無言のまま醸しだされる雰囲気のようなもの。
あるいは語らないことでしか語りえないもの、そういう沈潜したトーンを
ライカで撮られた写真に僕はしばしば感じるからだ。

それでも僕にとってライカはやっぱり人や街を撮るカメラだ。それは僕が苦手とする分野。
買ってはみたものの使えないとなればカメラに対して失礼だ。
はたして僕に使えるだろうか。
昨日当直明けに別の用事でヨドバシへ行った。
カメラ売り場でショーウィンドウのライカを見ながら、
でもとてもなんだか恐れ多くて店員さんに触らせてくれとなかなか言えなかったけれど
結局意を決してライカMを出してもらった。MMじゃないライカM。
結構重い。大層な感じ。レンジファインダーのピント合わせが二重像合致式でちょっとつらい。
ライカ、ちょっと無理かもと思った。特にMMはEVFが使えないのが痛い。
それからSONYのα7Ⅱとかフジのレンジファインダーとかを触ってみた。
Ⅱにかぎらずα7はいい。特にUIがいい。

それから帰宅してOM-D E-M1とDP3Mをモノクロモードに設定して夕方写真散歩に行った。
OM-D E-M1に限らずオリンパスのRAW記録はアスペクト比4:3固定で現像の時に3:2にトリミングし直すのが面倒だったけど
それはSilkypixでRAW現像するときだけで、Photoshopではカメラ側の設定アスペクト比をちゃんと反映してくれることとか
カメラ側の確認画面もjpeg+RAWモードで記録すればあの嫌な枠表示が出ないこともわかって嬉しくなった。
久しぶりに使ったDP3Mも独特のリズムの遅さがむしろ写真を撮っている気分を盛り立ててくれる。
モノクロームは当分この2台でいくことにしよう。



P1240009
Olympus OM-D E-M1 with Panasonic LEICA DG NOCTICRON 42.5mm F1.2





2015/01/24

無意識のどぶさらい

stream

赤瀬川原平の「運命の遺伝子UNA」の最後から二つ目の章「思いがけない因子のUNA」で、彼のライフワークの節目になった「トマソン」が発見されるに至った契機を彼が思い返している。「まず芸術作品への幻滅があった。作品の素材であるスクラップ類を探して、遂に廃品回収の基地であるタテバにたどりつき、山のような物品(廃品)の存在感に圧倒された。それを素材にわざわざ作品を作る行為というのが、どうにも貧弱に思われてしまった。でもそれと入れ換えに、当時前衛芸術といわれていたものが世間的に認知されて、正統的な美術館に陳列されていく。そのことのギャップがむしろ面白く、路上の工事中の穴や、横に転がる電柱や、ピカピカ点滅する明かりを、「あ、現代芸術!」といって遊びはじめた」

我々の目の鱗を落とすもっともピュアな物件としての「廃品」が、それだけで驚きの対象として完結しているにもかかわらず、わざわざ作者である私の名前を付けて社会の流通ネットワークに乗せるという行為の浅ましさやいじましさに、彼は釈然としないものを感じていたのだろう。だって、それはもう、そこにあるのだから。なぜわざわざ私の名前をそこに付けなければならないのか。それって「私の」作品? 私が作ったものじゃないのに。現代芸術というものが、かつて芸術と呼ばれていた概念を破壊するために存在するのなら、もはやそれは額縁や美術館におさまらなければならない理由はなく、芸術とさえ名付けられる必要も無く、すでに道ばたに転がっていても不思議ではない。この世界そのものが驚きの物件として存在しているのであり、宇宙の缶詰なのだ。

「人間的に観察すれば、この世の中が隅々まで人間の意図で固められたことへの嫌悪というものはあるだろう。そのような意図を逃れて、路上の無為の物件に面白さの価値を見出す。そういう因果関係はあるわけである。しかしそれは解釈のある一面であり、そのものが無為であればいいというものではない。
私たちは路上観察をおこないながら、私人個体の力では届かぬ創造の力、宗教でいう神の力の片鱗を採集して歩いているのではないかと思う。」        赤瀬川原平「芸術原論」

初期の原平さんは非常にラジカルな前衛芸術家だったけれど、その彼がなぜ路上の侘び寂び物件に価値を見出すようになったかはこの本が解き明かしてくれる。そのモチーフの一つに「意図に対する嫌悪」というものがあって、なぜ彼が意図を嫌うのかを例によって当直明けのお風呂に浸かりながらぼんやり考えていた。

ひとは意図のある作品の前では受け身にならざるを得ない。
まず始めに作者の意図がある。
作品を見る人は必然的にその意図を感じる、あるいは読み解くという立場に立たされる。
作品というものは、作品と出会った最初からそれを見るものにビハインドの立場を強いる。
それが言い過ぎなら、少なくともボールを投げるのは作者でありこちらは受け取る立場である。
原平さんはそれを生理的に暑苦しく感じたのだろう。

路上物件に作者はいない。作者の意図もない。作者も作者の意図もない作品なので、作者の意図を探らされるというビハインド感はなく、見る方にはそれをどう感じてもよいという清々しい自由がある。
現代芸術が、もうここには何も無い、ここに芸術はもとより作者も存在しないというアリバイ物件の陳列であることをやめて、芸術が通りすぎた霧箱の飛跡を発見するという意味を彼はトマソンに見出したのだろう。

そういう、受動的、能動的という視点はひとまず置くとしても「無為であればいいというものではない」とはどういう意味か。
意図というものが意識の日の当たる場所とすれば、日の当たらない無為の物件は無意識の滔々たる流れであり、原平さんというひとは何をしたひとかを一言で言えば無意識の溝(どぶ)さらいをしたひとである。
誰もが見過ごしていたどぶから面白いものを発見するひと。
どぶから引き上げた物件に名前を付けて意識の世界に投げ返すひと。
彼はもとより意識の世界の終わりに最初から立ち続けてきて、意識の終わり、その向こうは恐ろしい底なしの無意識の畔を散歩しながら、シジフォスのように無意識に向かって軽やかに網を投げ、意識のひとが無意識の海に投げ捨てたもののうちの「ほら、これ、あなたが捨てたもの」と彼から渡された物件はどれもこれも思いがけなく私たちの脳の裏側を楽しく刺激するのである。
その、彼自身の脳の裏側を通じて私たちの脳の裏側を刺激する物件を彼はとりわけ面白がった。
そしてそれがなぜ面白いのかを考え続けることで彼は自分がどこに佇んでいるかを自覚し続けたのだろう。









2015/01/18

scene 9771

scene 9771
Nikon D800E with Helios 40-2 85mm F1.5








2015/01/11

Chiricoresque

Chiricoresque
Nikon D800E with Helios 40-2 85mm F1.5










アリバイとしての現代芸術

DSC_9704
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55

現代芸術というのは芸術がどんどん自由になって芸術が芸術であるための枠組みを自ら破壊していった残骸のようなもので、それを再生産し続ける限り現代芸術は宗教かファッションかパロディになってしまうというようなことを赤瀬川原平さんが「芸術原論」の中で述べている。
なるほど現代芸術がつまらないのはそれがアリバイとしての意味しかないからで、犯人はもうそこにはいないのだ。現代芸術に漂う独りよがりな感じは、それが製作者にとってのアリバイとしてしか存在していないからで、さらにトマソン(超芸術)というのは芸術の枠を飛び出して無意識の沃野(=都市)に飛んでいった蝶(芸術)であり、路上観察学会は捕虫網(カメラ)を持ってその蝶をを追いかけて捕獲しようとしていたのだ。








budding

budding
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55

今年の目標は「素直な感動 見えない技術」。
遠いなぁ。





2015/01/10

robai 2015

Robai 2015
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55










2015/01/09

stars

stars
Nikon D800E with Helios 40-2 85mm F1.5










2015/01/08

snow violet

snow violet
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55











2015/01/07

winter rose

hidden rose
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55











2015/01/06

violet

snow violet
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55











2015/01/05

sign of the season

sign of the season
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55











2015/01/04

snow fantasy

snow fantasy
Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55











2015/01/02

モンブランのパーマネントインク

Montblanc Permanent Blue

モンブランのパーマネントインクブルーが気に入っています。
ペン先の滑りが驚くほどよいのです。それは、








Montblanc Permanent Blue

たぶんペン先と紙の間で顔料粒子がコロのような枠割を果たしているのではないかと。
セーラーの顔料系インクの青墨も好きな色でこのペン(149BB)に入れて長く使っていましたが
このような滑り感はあまり意識しませんでした。








Montblanc Permanent Blue

それから特筆すべきはインク窓のクリアランス。
万年筆のインク窓、特にモンブランのそれはとても小さく見づらいのですが
クリアランスの悪い染料系のインクではいつまでたってもインク窓の中がよく見えないのに対し
パーマネントインクは顔料系のためペンを立てるとすぐに窓の中が見えるのです。

また染料系のインクでしばしば経験することですが
書いてすぐはとても色鮮やかなのにしばらくすると色がくすんでしまう。
パーマネントインクは色の変化が殆ど無くしかも耐水性。

さらに意外にメンテナンスフリー。
いやもちろん顔料系だから使わずにおいておくことは良くないんですが
モンブランの万年筆の気密性が高いせいか、きちんとキャップを閉じておけばしばらくぶりに使っても書き出しはスムーズ。

IMG_3064a

ただし顔料が水より重いせいかペン先を上にして立てたままにしておいて
しばらくぶりに使うと書き出してしばらくは筆跡が水のように薄い。
それならというので最近はペンを逆さまに立てるようにしている。
こうすると書き出しから濃く書けます。
(4年後の追記:立てておかなくても寝かせておけば問題ありません。)

雪のお正月。写真を撮りに行けないので室内文具ネタでもと思って書いてみました。





2015/01/01

filmoresque

filmoresque
Nikon D800E with Carl Zeiss Distagon T* 2.8/21 ZF.2













Carl Zeiss Distagon T* 2.8/21
Nikon D800E with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF












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