2016/09/11

生命力の枯渇

lotus, decay
Nikon D800E Carl Zeiss Apo-Sonnar T* 2/135 ZF2

もうすぐ還暦ということもあって定年退職のことをぼんやり考える。
仕事をしなくなったら自分は日々をどのように過ごすのだろうか。
仕事一本槍でバリバリ働いてきた男性が定年後に何もしなくなって魂が抜けたように一気に老けこんで鬱や認知症になってしまう話は有名だが、僕の場合は趣味の写真があるしブログもやってるし、あくまでひとごとだと思っていたけれど、ふと今の自分には何の欲望もないことに気が付いた。せめて写欲があれば写真旅行でもしながらブログも続けられるしと以前は考えていたけど今は写欲もブログ更新の意欲もない。それどころか欲望そのものが枯渇してしまっている。

今日妻の買い物に付き合いながら考えていた。
女性はただ女性であるだけで豊かな生命力を持っているが、男性の存在基盤は機能性なので定年後に機能性を要求されなくなるとガックリ落ち込んでしまう。せめても何かに対する欲望があれば生きていけるが、欲望がなくなれば生きていく力がなくなってしまう。結婚して女性と生活するということは、豊富な生命力に伴う欲望を女性から安定供給されるということで、それはそれなりに男性にとってはしんどいことではあるが、少なくとも自前で生産できない欲望の供給源として大切な役割を担っているのではないか。

それでふと連想するのが「潮吹き臼」という民話で、貧乏な男が兄にもらったハムと交換に地獄の小人から手に入れた臼を回すとなんでも欲しいものが臼から飛び出してくる。噂を聞きつけた欲深い兄(別の話では船長)が止め方を知らずに船の上で臼を回してしまったために臼の出す塩の重みで船が沈んでしまい、海の水が塩辛いのは今も海の底で臼が回り続けているからだという。
海の底で静かに回り続ける臼のイメージは神秘的で美しい。恐らく潮吹き臼というのは女性の暗喩だろう。
節度ある男性が女性と一緒になれば臼(女性)との関わりから生まれてくる欲望を動機にして一所懸命働いて生活が豊かになるが、欲深な男や女性の欲望を制御できない男は海の底に沈んでいく。

そもそも男性という生き物は単独では欲望を作り出すことができず、他者特に女性を介して生じる欲望をモチーフとして生きている生き物なのではないか。
精力旺盛な高齢男性が配偶者と死別するたびに新しい妻を迎えたりするのは生命力の結果というより欲望の供給源としての女性を常に必要としているからではないか。

なんていう勝手な妄想を文章化することでなんとか自らの生命力を鼓舞しようとするわたし。
写真は二ヶ月前に撮ったもの。










2 件のコメント:

  1. 同年代としてめちゃわかります。
    女性が男の生命維持装置であることは考えたこともなかったですが、次の旅行先を喜々として探す妻を見ているとなるほどそうかもと思いました。
    妻のエネルギーが僕に接続されて養分をいただいている。でもそれとは別の栄養源も探していきたい。
    いろいろ試しているなかで時々「これだ!」と思うが、ワクワクしたくてまた別のものを探してる。そんな今日このごろです。
    もしかしてこの探している行為そのものが生命維持の動力なのかも。いろんな養分を注入できるし、これはこれでいいかなー (^_^)

    考えがすっきりしました。ありがとうございました。

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  2. ありがとうございます。買物行くから付き合って、たまには食事に連れてって、今年は旅行に行かないの?、庭の木に農薬をまいて。などなど。一人で暮らしていたらきっとやらなかったことをいろいろやるハメになるわけで。以前は鬱陶しかったんですが気力がめっきり萎えている時にこういった要望に応えることで生気を取り戻すきっかけになったりして。それでひらめいたことを文章にしてみました。jhassyさんはでも自分でまだ欲望のテーマを探そうとなさっているから僕より軽症だと思います。

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