2017/10/17

a red fungus

a fungus in a forest

山道を登っていると樹の根元に小さな赤いきのこが生えていた。これはベニヤマタケかもしれない。腰をかがめて周囲の枯れ葉を取り除き、ジッツォの三脚を180度に開き、雲台が地面に接するくらいまでセンターポールを寝かせてDP3Mを装着。AFでピントを合わせたあとMFに切り替えて拡大表示でキノコの傘の手前の襞にピントを合わせて撮影したのがこの写真。ピントが微妙に傘の頂部寄りだったので撮りなおそうと思い身をかがめてモニター画面とにらめっこしていたら「カサッ」と音がした。顔をあげるとキノコのむこうの蛇と目があった。僕も驚いたけどむこうもあわてたようで、お互い身を反らせてしばし相手を観察し合った。眼につながる黒線、丸書いてチョンの茶色の銭形模様は紛れもなくマムシだが、とぐろを巻いているということは攻撃姿勢だろうか。ゆっくり静かに身を起こして遠ざかり、三脚を持って立ち上がった。























2017/10/16

autumn stream

autumn stream

雨の中ウインドブレーカーを着てジッツォの三脚を背負って山へ。峠からの渓流は水量を増し小さな滝から水しぶきをあげて流れ落ちている。三脚を設置しdp0を装着。21mmの広角なのでかなり滝に近づく必要があるが、そうするとひっきりなしにカメラに水しぶきがかかる。10秒タイマーのシャッターが降りるまでの間にレンズフィルターが水滴まみれになるので、シャッターが降りる寸前にブロワーでフィルターの水滴を吹き飛ばす。ジッツォのセンターポールの長さや角度を変えたり雲台を調整しながら構図を変えて何枚も撮る。こんなに濡れてdp0は大丈夫なんだろうか。ブロワーのパワーが弱いのでBergeonのNo.4657、SigmaのレリーズCR-31を注文(追記:BergeonのNo.4657は風量は多いけど風速は期待したよりも遅かった。どちらかと言えばマイルドな風当たり。ノズルの穴が細いからといって風速が速くなるわけではないと判明)。


















2017/10/10

Gitzoの第一印象

leaves

GT2541EX(三脚)とGH2750QR(雲台)の組み合わせの第一印象を書き留めておく。
まず重さだが三脚が1.84kgで雲台が0.55kgなので合計2.39kg。
これまで使っていたベルボンの三脚は付属の雲台込みで1.85kgなのでほぼGitzoの雲台の分だけ重くなった勘定である。山中を歩き回ることを前提に考えればやはりこれは重いと言わざるを得ないが、三脚用のバッグに入れて背中にたすき掛けしてマウンテンバイクで現地まで行き、あとは手に持ってうろつく僕の行動様式からすればこの重さは一応許容範囲かと思う。

この三脚と雲台の組み合わせの印象を一言で言えば作りや手応えや操作感は全てVS-443Qよりもゴツくてしっかりしている分扱いづらいということになる。脚開閉のためのレバーが結構硬い。センターポールはVS-443Qのエレベーターよりもしっかりしている分操作は簡易ではない。なぜかといえば角度や回転の変更がベルボンの場合エレベーターのお尻の握りを一捻りするだけなのに対しGitzoのセンターポールでは固定ノブをクルクルひねって緩めなければならないからだ。またセンターポールをスライドさせるためのノブも緩めるためにクルクルひねらなければならない。雲台のGH2750QRも自由雲台の動きをフリーにするための大きなダイヤルをかなりクルクル回さなければならない。かなりクルクル回さないといけないのだ。繰り返しになるが。

これらGitzoにおける操作の煩雑さはシッカリしていることとのトレードオフであり、要は買う立場である我々が簡便さをとるかシッカリをとるかという選択を迫られているわけで、Gitzoはそのシッカリの最右翼であり、そこから簡便さに向けて他社の製品がいくつか並んでいるという構図だ。僕としては当初ここまでのシッカリ感を望んでいたわけではなく、幾つかの条件をクリアするための過程でこの製品を選択したのだが、選んでみてはじめて犠牲になった簡便さに思いを致すこととなった。この製品を買って満足するかどうかは、おそらく失われた簡便さを、Gitzoの「モノとしてのシッカリ感」や「外観の醸し出す物的エロス」や「Gitzoというオーラ」でもってクリアできるかどうか、この製品を使い込み熟達することで失われた簡便さに対する愛惜が小さくなるかどうかだろう。だが僕の場合おそらくヨドバシカメラで実物の使い勝手をあれこれ比較していたら、「うーん」とひとこと唸った末おそらくこの製品の購入には至らなかっただろう。

ではこの製品を購入したことを後悔したかというと、実はあながちそうでもない。現物を手にして「うーん」と唸ったことは事実だが、実はちょっと惚れてもいるのだ。それはおそらくこれまで主に手持ちばかりで撮ってきたSigmaのカメラで初めて真剣にカメラ固定を考えることになったdp0との出会いが大きいような気がする。僕はこのカメラを手にして「シッカリ」撮ろうと思ったのだ。その「シッカリ」とGitzoが呼応しているような気がする。














2017/10/09

三脚のこと

a pair of mushrooms

ベルボンのVS-443Qを買ったのは2011年だから6年前。僕が初めてフルサイズ(Nikon D700)を買った年だ。そのときのブログにジッツォのエクスプローラーのことを少し書いた。三脚に十万円近く払うなんて正気の沙汰とは思えなかったが、あれから6年を経て僕も幾分正気を失ってしまったのかもしれない。というのもまさにそのエクスプローラーを注文してしまったからだ。

ベルボンの443Qは脚が180度近く開くのでエレベーターを倒せばかなり地面に近いものを撮ることが出来る。僕のような地面近くをマクロで撮ることが多いアマチュア写真家にとって非常に便利な機構だが、付属の雲台では(そして一般的な自由雲台はたいていそうなのだが)カメラを倒せる角度が90度までなのでエレベーターを水平より低い角度で地面に近づけたときカメラの底面が水平にならない。雲台を一回転させてカメラを上下さかさまにすれば水平になるが、上下逆で写真を撮るということになんとなく抵抗があるし、そもそもカメラの操作そのものが煩雑だ。またこの三脚は開脚角を3段階から選べるが三脚を移動させるときに開脚角がなにげに変化してしまうのが煩わしいし、脚の伸縮の際のクイックレバーロックも一本3カ所、計9カ所もパチンパチン開閉するのが結構面倒だ。

そうはいっても比較的廉価で大開脚できて、アングルと伸縮の操作がしやすいエレベーターが付属した三脚の選択肢はごく限られているわけで、まぁとにかく使い込んで意のままに操れるようになるのが道具を使いこなす王道だと自らに言い含めていたが、先日「地面スレスレ+三脚」でググっていてこのブログに出会ってしまったのが運の尽き。この方も僕と同様地面近くのマクロをよく撮られるようで、最近買い換えたジッツォの三脚(GT2541EX)の内容がまさに僕の希望にぴったりだった。つまり開脚角が自由に選べて、かつ開脚のロックが出来て、脚の伸縮も脚を一ひねりするだけだし、最大開脚180度で、角度自由の長さ35cmのセンターポール(ベルボンにおけるエレベーター)が付いていて、これにGH2750QRという雲台を付ければセンターポールが下方に項垂れていてもカメラを上下逆にせずに水平に出来ると。

うーむ、これはいい!というわけでジッツォのホームページで探してみたが製品リストにこの三脚は見当たらず、どうも生産終了とのことで、だから市場の在庫が無くなったら中古で購入するしかないようなのだ。うーむ、なぜこんな素晴らしい製品の生産を終了したのか。まぁそうは言っても仕方が無い。幸いヨドバシで新品が販売されていたので嬉々として雲台共々早速注文した。ちなみにこの雲台のクイックシュー用のプレートの商品番号がなかなかわからなかったがようやくG1173/14Bと判明、製品には1個付いているようだが僕はこういったものをよく失うので2つ追加注文した。まだ商品は届いていないがこの決断が吉と出るか凶と出るか。そしてまた6年前の自分が知ったらはたしてどう思うだろうか。

追記1
こちらが10年前だけどデジカメWatchによるエクスプローラーの紹介記事。Gitzoの三脚についてはこのサイトの説明がわかりやすいですね。

追記2
Gitzoより廉価でエレベーターを水平に出来る三脚としてマンフロットの190Go! MT190GOC4TB(←YouTubeに飛びます。三脚の説明は2分24秒後から)という製品もあります。Gitzo GT2541EXと同じく脚をねじって伸縮するカーボン製なのに価格は半額でGitzoより小さくて軽くていいことずくめですがこの三脚のエレベーターを伸ばせる方向は水平のみ。三本の脚長を不均等にして本体を被写体に傾けた状態でエレベーターを伸ばせば下方に向けることが可能ですが、カメラを微妙に上下させるにはエクスプローラーのようにエレベーターの角度を微調整できる方が有利かも。

追記3
エレベーター(一般名はマルチアングルアーム?)だけならこんな製品の紹介も。

追記4
エレベーターを水平より低い角度で地面に近づけたときカメラを水平に出来ない件に関しては今回はその解決のためにGitzoのGH2750QRを注文しましたがマンフロットの460MGのような三軸の雲台はGH2750QRよりも軽くて、しかもずっと廉価です。さらにベルボンのVS-443Qの雲台の取り付け角を90度変換するこういうものもありました。また僕はこれまでスリックの三脚はノーチェックだったんですが最初からアングルアダプターの付属したこの製品も魅力的です。ただし私見ですがGH2750QRはこれらの製品よりも最低地上高が低いような気がします(下の写真参照)。

追記5
Gitzoの三脚購入の経緯をまとめるためにこの記事を書いたんですが、調べるうちに実はいろんな選択肢があったんだということがわかってきました。エクスプローラーについてはまだ外で実際に使っていないのでこれが妥当な選択だったかどうかは不明ですが、VS-443Q以上に使いこなせるようになるかどうかは不安半分期待半分というところです。











2017/10/08

a tiny mushroom in the rain

tiny mushroom in the rain

昨日は傘を差して朝から雨中の写真散歩。秋はキノコの季節だし雨ならなおさらキノコにお目にかかる可能性が高い。途中で傘をおいて川縁に降り、増水した川の中で三脚を立ててNo.8のNDフィルターを装着してdp0で撮ったのが昨日アップした写真。その後川下に傘を置いたまま途上し上流で川から上がって山へ。山の中で熊やイノシシに出会わないように大声を張り上げながら進む。雨はじゃんじゃん降ってくるけどウインドブレーカーを着ていたので雨が染み込まずにすんだ。山間の暗い沼地(先日酸化第二鉄の皮膜の写真を撮った場所)に着くと苔むした杉の大木に小さな可愛いキノコがいっぱい生えている。形態からするとクヌギタケかチシオタケかと思うがよくわからない。しゃがみ込んで三脚の足を開いて、エレベーターを伸ばしてDP3 Merrillを装着。這いつくばるには足場が悪いためフリップバックのアングルビューファインダーで構図とピントを確認。まわりの苔の雨のしずくをうまく取り込むためにアプローチの角度や方向をあれこれ探りながら何枚も撮る。午前8時から午後2時まで6時間で10キロ歩いて、帰りに傘を回収して帰宅。


















2017/10/03

bacterial film

bacterial film

赤茶けた沼地や湿原などを歩いていて汚い水溜まりに油膜のようなものが浮いているのを見たことがないだろうか。
近くの錆びたドラム缶から流れ出した油や地中で発酵した物質の油分などを想像しがちだが、これは油膜ではなく酸化第二鉄の被膜なのだそうだ。
ポイントは赤茶けた沼地。つまりこれは鉄分の多い沼地で鉄イオンのFe2+をFe3+に酸化して得られるエネルギーを糧にして生きている、いわば鉄を食べるバクテリア(鉄バクテリア)が作り出した金属製の被膜だ。
油膜との見分け方は簡単で、木の枝などで膜を触ってすぐに膜の隙間が埋まれば油膜、隙間が閉じずにひび割れが残れば金属皮膜で、上の写真でも細かなひび割れや、金箔に息を吹きかけたときに出来る放射状のシワのようなものが観察できる(詳しくはこちら)。
鉄バクテリアによって酸化第二鉄が作られる過程を示した化学式はこちらを参照。
虹色の金属特有の光沢の美しさを、同じく金属の質感描写が得意なFoveonセンサーがとらえた一枚。




2017/10/02

berries

berries

あれだけ買うまいと心に決めていたSigma dp0 Quattroを買った。なぜ買わないと決めていたか、なぜ買ったかは言い訳めくけれども、そういえば同じ21mmで使いづらいが描写は唯一無二という点でハッセルのSWCを連想させたこと、発売開始から2年が経過してSPP現像での諸問題が解決し価格も8万円台まで下がったこと、そしてFlickrでこのカメラを使って広角マクロを撮っているひとの写真に心奪われたこと(これが一番大きい)などがその理由。
思ったより印象はとてもいい。メリルよりバッテリーの持ちが良くなり、選択範囲はまだ狭いが合焦点を細かく選べるようになった。

このカメラを使い始めたことで僕の中に変化が起きた。それは21:9や16:9の横長のアスペクト比を使うようになったこと、さらに僕はこのカメラを使うときは必ず三脚を持ち歩くようになった。もう少し被写体に寄れるようにACクローズアップレンズNo.2を(折角のゼロ・ディストーションが台無しになるが)、それと58mm径のPLフィルターを注文した。

後日記:クローズアップレンズのNo.2はdp0のような広角に装着するとほとんど効果がなかった。歪曲が強くなってもNo.4くらいを選ぶべきだった。











2017/09/25

red spider lily

red

赤い三部作はこれでおしまい















2017/09/24

red spider lilies

red spider lilies


D800Eではイメージ通りの赤を出すのにとても苦労するがFoveonではほぼ一発で決まる。
階調が飛びやすいけれど赤いものを赤く撮りたいときはDPMerrill。
















2017/09/23

彼岸花

彼岸花

情け容赦の無い描写を期待するときはDPMerrillだけど情感表現の幅が欲しいときはD800E。















2017/09/17

パリ、テキサス


数年前にDVDを買ったまま放置していたヴィム・ヴェンダース監督のロードムービー「パリ、テキサス」を観た。
もともとライ・クーダーの音楽が好きで、彼がスライドギターを弾いている本作もそれが理由で買ったのだが、なかなか観る気になれなかったのはこの映画の持つ荒涼とした寂しいイメージのせいだろうか。しかし見終わった今では脚本のサム・シェパードがひとつきほど前(7/27)に亡くなっていたことや、僕がこのDVDを観た前日(9/15)に主役のハリー・ディーン・スタントンが亡くなっていたことに偶然とはいえ不思議な縁を感じている。

もう30年以上も前の映画だ。
最愛の妻との関係が破綻したショックで記憶を失った主人公のトラヴィスは4年もの間メキシコを放浪したあげくテキサスの荒野で行き倒れになる。連絡を受けた弟のウォルトは、この何もしゃべらず頑なな兄の世話に手を焼きながらも何とか彼を自宅のロサンゼルスまで連れ帰る。そこにはウォルトとその妻アンが引き取って自分たちの息子として育てていたトラヴィスの息子がいた。トラヴィスは息子(名前はハンター)をつれて妻ジェーンのいるヒューストンへ行き、息子を妻に託して去って行く。そういう映画だ。

主人公トラヴィスの、ぼんやり見ていると見逃してしまうほどのわずかな表情の変化、弟夫婦の兄に対する細やかで行き届いた心配り(本当に善良な夫婦なのだ)、息子ハンターの、かわいさの中にもいっぱしの男らしい心の動き、主人公の妻ジェーン(ナスターシャ・キンスキー)の愛らしさ・可愛さ・美しさ・そして万感の表情表出、秀逸なカメラワークと独特の深いフイルムカラー、そしてライ・クーダーの奏でるスライドギター。
そういったすべてが、この低予算で作られた映画に横溢していて、見終わった後も永く余韻を残す。

ただなんというんだろう、もとのように仲良く親子3人で暮らすハッピーエンドを期待していた僕のような観客は、去って行く主人公と、それとは対照的に息子との再会を喜ぶ妻を見ていて釈然としないものを感じてしまう。いったいなぜトラヴィスは去らなければならなかったのか。

トラヴィスは息子にテープレコーダーの吹き込みを残している。
「望みがいっぱいあったんだよ。君の父親であることを分かってほしかった。君は分かってくれた。でも一番望んでたことは、やはり無理だと分かってしまった。君はママと生きろ。君たちを引き離したのは僕だ。僕が君たちを一緒にしなければならない。僕は一緒に生きられない。過去の傷がぬぐえないままだから。どうしても駄目なんだ。何が起こったのかも思い出せない。空白が空白のまま孤独に輪をかけ傷はいっそう治らない。だから今は、怖いんだ。また出掛けてしまうことが怖い。自分が発見するものが怖い。それに立ち向かわないことがもっと怖い。愛してるよ、ハンター。僕の命よりも愛してる」

トラヴィスはなぜ自分が傷を負ったのかが分からない。おそらく彼はその訳を思い出したくないために自ら記憶を消したのだろう。そして理由が未解決である以上、それは再び必ず繰り返されるであろう事を彼は知っている。だがその空白をのぞき込むことが怖くて出来ない。発見することよりも、立ち向かわないことの方がもっと怖いから、彼は立ち向かうことが出来ないのだ。ならば彼が消したかった記憶とは何だったのだろう。

トラヴィスは2回目の訪問で、のぞき部屋で働く妻にマジックミラー越し、マイク越しに(それが自分たちのことだと分からないような話法で)語りかける。
自分が彼女の愛を信じられず、ありもしない自分以外の誰かに対する嫉妬に狂っていたこと、そして妻が自分以外の誰かに嫉妬するのを見たかったが無駄だったこと。そのせいで自分は荒れ狂っていたこと。ところが妻が妊娠した途端に彼女の愛が信じられるようになって人生を前向きに生きることが出来るようになったこと。ところが今度は逆に妻が空虚を感じるようになって彼のもとを去ったこと。

嫉妬。それは欠落に対する怯えと怒りだ。トラヴィスははじめ欠落を持っていなかった。いや彼の中では欠落は意識化されていなかったのだろう。しかし愛する人を持ったことで欠落に対する怯えと怒りに襲われることとなった。だがジェーンに子供が出来たことで彼女を失う危険が去ったと感じ、欠落に対する怯えがなくなった。しかしトラヴィスの関心が子供に移ったと感じたジェーンに今度は逆に欠落に対する怯えが生まれた。つまり息子のハンターは夫婦の間ではともに欠落を埋めるものとして存在していて、それが一方の欠落を埋めているときは他方が欠落にさいなまれるという構図になっているのだ。トラヴィスがジェーンに、どうしてハンターを置いていったのかと問うた時ジェーンは、「空しさの代償として息子を利用したくなかったから」と答えている。ジェーンのふしだらな現在の生活を知って、トラヴィスはまた昔の荒々しい嫉妬心が蘇るのを感じた。だが問題はジェーンのふしだらな生活ではなく彼の中に生きている「欠落に対する怖れと怒り」なのだ。

トラヴィスは欠落によってしかひとを愛し得ない。それが彼が消したかった記憶かもしれない。愛するひとを手に入れて幸せになる人がいる一方で、愛するひとを失うことを想像することでしか愛を感じることが出来ない人がいるのだ。なぜ彼は欠落でしか愛を感じることが出来ないのだろう。

妻がヒモの男とのぞき部屋で仕事をしていたことを知って激昂し、夢破れてその場を去ったトラヴィスは酒に溺れ夜中のランドリーで息子に両親の思い出を語る。トラヴィスの父親は妻がパリの出身だと幾度となくひとに自慢するうちに本当に妻がフランスのパリの出身だと空想してしまいそのせいで母親が居心地の悪い思いをしていたこと。トラヴィスもまたジェーンが自分以外の誰かを愛しているのではないかという妄想でジェーンを苦しめていたこと。父親譲りの空想癖という悪い宿命が、ジェーンとハンターの幸せをきっと邪魔するだろう。彼が欠落でしか愛を感じることが出来ないと感じているのは両親の思い出と関係があるのかもしれない。

では彼はこれからどこへ行くのか。
言葉を失っていたトラヴィスが、いらだつ弟に初めてしゃべった言葉が「パリ」である。トラヴィスは車を運転している弟にパリへ行こうという。フランスのパリを想像する弟に兄はパリの写真(ページトップ)を見せる。それはトラヴィスが通販で買ったテキサスの土地の区画の写真だ。それを見た弟が「何もない」と言う。それに対して笑いながら答えるトラヴィスの言葉も「Empty(空っぽ)」だ。
トラヴィスにとってテキサス州のパリは自分がこの世に生を受けた場所であり、妻と子供の3人で新生活を開くために買った土地である。それは彼にとって自分の原点であると同時に未来であった。だが陸橋の上で叫んでいた男の予言通り楽園は永遠に失われてしまった。妻に再会して悄然とし、バーで呑んだくれたトラヴィスはずっと大事に持っていたパリの写真をうっちゃってしまう。この映画のタイトルである「パリ、テキサス」とは彼の心の空虚、どこにもない安住の地を意味している。父親と同じく欠落を通してしか相手の愛情を確かめられないトラヴィスは、「妻と息子の元を去るという欠落」でしか表現できない愛情を抱えて生きていく決心をしたのかもしれない。





追記1
マジックミラー越しに語り合うトラヴィスとジェーン。相手がトラヴィスであることに気づいたジェーンが部屋の電気を消し、ついに二人はお互いを見つめ合う。そのときトラヴィス側から見たジェーンの顔にトラヴィスの顔が重なって両者は一体となる。二人は互いに永遠に欠落を共有し得ない似たもの同士なのだ。

追記2
この映画では平和に暮らしていた弟一家にとって兄は平和をかき乱す「異人」として登場する。弟夫婦にとってハンターはかけがえのない子供だが、しかし不思議なことに弟夫婦は共に、それと意識しないままハンターを失うような行動ばかりしてしまう。夫のウォルトは厄介で手に負えない兄を何度も置き去りにするきっかけがあったにもかかわらず彼を家に迎え入れてしまい、ついには彼がヒューストンへ行く金銭的援助までしてしまう。妻のアンは二人が仲良くなってしまうかもしれないのにトラヴィスに息子の送り迎えをさせようとしたりトラヴィスが居心地がいいようにやたらと彼を気遣ったり、挙げ句の果てにジェーンの居場所まで教えてしまう。そして彼女は息子を失ってしまうかもしれない怯えを夫に訴えているにもかかわらずこういった行為を行ってしまうのだ。
ハンターがやたら宇宙のことを口にするのも気にかかる。古いフォルクスワーゲンの中でトラヴィスと仲良くするようにウォルトから言われたハンターは「宇宙船が車みたいに作られるようになるのはいつか?」と聞いたり、ジェーンの居場所がヒューストンと聞いて「宇宙センターがあるところだ」と言ったり、車の中でトラヴィスに太陽と地球の誕生の様子を教えたり。まるでいつか自分がここから飛び立つことを予測していたかのような。
つまりこれらはトラヴィスを中心に描かれたこの欠落という愛の物語の筋運びの中ではウォルト夫婦とハンターの別れが深刻になりすぎないような配慮の表れなのかもしれない。

追記3
この映画では離れている二人が何かを介して交流するという構図が繰り返し描かれている。
コミュニケーション不全といってもいいが、言葉を失って会話が成立しない兄と弟、道路を挟んでお互いに身振りをまねするトラヴィスとハンター、ヒューストンへ母親を探しに行くことになったときに必要な物品としてハンターがトラヴィスに要求したトランシーバー(なぜそんなものがいるのかといぶかしがる父親に対しハンターは「きっと役に立つ」といい、実際このトランシーバーは母親追跡に大活躍する)、マジックミラー越しにマイクで語り合うトラヴィスとジェーン、トラヴィスがハンターへの別れのメッセージとして吹き込んだテープレコーダー(ソニーのウォークマン?)など。これらはすべて「直接には愛を交わし合えない」夫婦や親子の関係の切なさを表現して、この映画をより印象深いものにしている。

追記4
トラヴィスが靴磨きを終えて靴を揃えたときになぜ急にハンターを送りにいくことを思いついたのか。靴を揃えるというのは家族が揃うことの暗喩であり、そこにハンターの靴が無かったことから彼を送りにいくことを思いついたのか。トラヴィスが双眼鏡で覗いていたのは旅客機そのものではなくなぜ旅客機の影だったのか。双眼鏡で覗くという行為はあこがれを意味しており、飛び立つ(旅客機)ことは出来ないが、飛び立つ事へのあこがれを「旅客機の影を追う」という行為で表現しているのか。アンが旅客機の音が嫌だといい、ハンターが「僕は好きだよ」と答えたのは、ハンターがこの家を去ることをアンが否定的にとらえているのに対し、ハンターは肯定的にとらえていることを意味しているのか。ウォルトがトラヴィスをロサンゼルスに連れてくる道中で何とか彼を旅客機に乗せたものの彼が嫌がって離陸前に二人して旅客機から降ろされるのは、新世界に飛び立つことをトラヴィスが拒否していることを暗示しているのか。そして飛行機に乗るためにいったん返したレンタカーだが、飛行機に乗らないことで再びレンタカーを借りることになったとき、トラヴィスが頑なにさっきまで乗っていたレンタカーを探し出してもう一度乗ることに固執したのは、彼が旧来の考え方から抜け出すことが出来ないでいることの暗喩か。DVDの特典映像にヴィム・ヴェンダースがカットした映像とその理由をたくさん紹介している。カットされなかったシーンには何らかの意味があるはずだと思う。それが監督の意識によるか無意識によるかの違いはあるとしても。

ああ、これでようやくこの映画について語り尽くしたかな。長々と書いてしまった。いずれも映画を見ていて僕自身の中で引っかかった点を自分に納得させるために考えたことばかりで、この解釈が他の人にも受け入れられるものだとは思っていません。お付き合いいただいた方がおられましたら感謝です。
台風の風雨が強い夜に。


















2017/09/15

sange

sange


山道を歩いて谷川へ下る荒れ地でふと足が止まった。青みがかった砂利地の上に暗茶の枯葉が散らばっている様子が心を打つ。こんな何でもないシーンの何が心を捉えるのか、言葉に出来ないことを写真で表現する事情からすればどうにもタイトルの付けようがなく苦肉の策でsangeと付けたが、以前「ロゴスに届く前に」というブログを書いたことがある。それが偶然にも7年前の明後日だった。









2017/09/09

コスモス咲く道

rural scenery




昨日の続き。
ニコンもむざむざ死を待っていたわけじゃないとわかって一安心。
今日はD800EにAi Nikkor 50mm F1.2を付けて
52mm F0.9のレンズを夢見ながら初秋の写真散歩。





















2017/09/07

waterfall

waterfall

ニコンがフルサイズミラーレス用の2種類のレンズ(52mm f/0.9と36mm f/1.2)をパテント登録したというニュースが入ってきた。
52ミリで開放F値が0.9って、これはニコン版ノクチルックスじゃないか!
さらにフルサイズミラーレスに対応させるためのFマウントレンズ用AF機構アダプター(複雑な機構のため高価になるらしい)の開発も行っているとか。
ウーン、いつになるかわからないけどGFXはおあずけにしてひたすら寝て待つか。















2017/09/01

a tiny life

a tiny life

石垣の隙間から立ち上がる命


















2017/08/30

昔カメラという道具があった

weed

愛読しているSteve Huff氏の昨日のブログ記事
"Why I prefer a real camera to a smartphone, and why you should as well."というタイトルで、つまり若者はみんなスマートフォンで写真を撮ってるけど、もっとちゃんとしたカメラで撮る喜びを知ってほしいという内容で、その理由の一つとして彼はスマホでは撮れないと思われる作例をいくつかあげている。
僕も大筋彼の意見に賛成だが、しかし技術が進めば早晩こういった写真もスマホで撮れるようになるだろうし、じゃあカメラの立つ瀬はどこにあるかとなると甚だ心もとない気もする。男性はシャッターを押したいから写真を撮るけれども、女性はそんな無駄なことはしない。女性はコミュニケーションのために写真を撮るのであって、コミュニケーションに必須の携帯電話で写真が撮れればカメラなんかいらないのだ。

でもその一方で「やっぱりカメラが好き」という人たちもいて、そういう人たちは何を撮るか以前にカメラが好きで、意味もなくシャッターを押したりファインダーを覗いたりする。
一般的に男性は小さい頃からクルマや電車や銃や戦車や船や飛行機といったものに強い興味をもつけれども、それらはみな自分の外に向かって力を及ぼしたり自分の機能を拡充するといった働きを持っていて、視覚の延長線としてのカメラもその一端を担っている。男性はそういった道具が好きなのだ。そして道具にはその使用目的に応じた適切なサイズというものがあって、まさにそこにカメラという物体があらわれる。
さらにまたカメラには別世界に入るための道具としての魅力がある。
僕の場合はやはりファインダーが重要で、千と千尋の神隠しにおけるトンネルのように、ある行為に没入するためには、あるいはまた別の世界に入るためには、主体は外界から遮断されなければならない。それが、ファインダーを通して覗き込むという行為なのだ。

機能という観点だけではカメラはスマホに対する優位性を永く保てないだろう。
カメラの生き残る道は険しいが、さわる喜びとしての優位性と、覗き込んで別世界に入るファインダーの効果はスマホでは得られないものだと思う。









2017/08/28

lily

lily

その感興というのがとても微妙なもので、画像を仕上げていく過程で良さそうな候補がA, B, C, D, E, F・・・と出来上がってきて、それらは微妙に色合いやコントラストや明度等が異なっているのだが、それらを互いに比較しながら取捨選択し最終的に一つに絞るということをする。その選択の過程で一見眼を引くものがあっても結局それはただ綺麗なだけで何の感興も呼び覚まさないから却下したりする。どんな感興かと言われても答えにくい。華やかとか神秘的とか淫靡とかいった分かりやすい言葉で表現できる感興でないのは確かで、Aの写真とBの写真では心の奥の響きのトーンがちょっと違うだけだったりする。でもそれを頼りに取捨選択する。














2017/08/27

wild lily

wild lily


いくつか見栄えのする候補が完成したときに、ポイントはそれが何かある特定の感興と繋がっているかどうか。
そういう意味では僕はどんなレタッチも許容するけれども何の感興も呼び覚まさないものは駄目だと思う。













2017/08/26

curve

a curve


僕のD800Eは光学ファインダーではピントが合わない話を以前ブログに書いた。そのときはニコンのサービスマンさんの努力でかなり改善したけれど、それでもわずかに後ピンが残った。AFでは問題ないけれど、特に合焦が極薄のApo-Sonnarの135mmのようなレンズを使うときには本当に苦労する。GFXが欲しかったのも実はアポゾナーをGFXのティルトEVFで使いたかったからなのだ。
最近出たSIGMA 135mm F1.8 DG HSM | Artはアポソナーに匹敵する写りでしかもAFなのでとてもうらやましい。でも僕はがんばってアポソナーを使うぞ。















2017/08/24

今日の日記

an ant and a flower


思うところあってD800Eにマクロプラナーを付けてマウンテンバイクで山へ。
しかし案に相違して全くモチーフに出会えず、山道ではさんざん蜘蛛の糸に絡められ憔悴した気持ちで帰宅。
結局どんなカメラやレンズを買おうとも撮影者のテーマが写真を規定するのだからGFXを買ってもこの状況は変わらないだろう。
D800EとDPMを使い続ける気持ちに傾いている。
















2017/08/22

8月

eternal summer

行く夏や雲の向うの旅心




















2017/08/21

watchtower


watchtower

もうちょっと考えてみよう。







2017/08/20

recess

recess


それからもう一つGFXを使ってみたい理由はスクエアフォーマット。
僕はカメラ・ライフという雑誌が好きで、もう廃刊?になってしまったけれど第1巻から第16巻のうちの9冊を手に入れて、毎晩そのうちの1冊を選んでお風呂で読んでいる。
その雑誌に載っているハッセルやローライの真四角写真はどれも魅力的で、いきおい僕もハッセルなんかを手に入れて撮ってみたくなるけれど、僕は写したらすぐに結果を見たい性分なのでフィルムには手を出しにくい。
かといってハッセルのデジタルフィルムバックのフルサイズは目が飛び出るほど高価だし、縮小サイズで我慢するなら性能や使い勝手の良さなどでGFXに軍配が上がる。液晶モニターを倒してウエストレベルにしたりアングルファインダーで見下ろし撮影すれば気分はハッセルだ。

もちろん贅沢なことこの上ないけれど、昨日心斎橋のフジフイルム大阪サービスステーションへ行ってGFXを見せてもらったときにサービスマンの人と話をしていたら、ウエストレベルでスクエアフォーマットで撮りたいというお客さんからの問い合わせが結構あるとのこと。
蛇の道は蛇か。














2017/08/19

midsummer

midsummer

GFXを使ってみたい理由の一つに色の問題がある。
D800EにしてもDPシリーズにしても、液晶モニター上は言うに及ばず家のPCで見たときの色再現が撮影時の印象と乖離があって、何とか撮影時のイメージに近づけようと苦労してもうまくいかずに諦める、いや僕の場合などはもう最初から色再現は放棄してしまって、RAWデータは楽譜であってそれをどう演奏するかだとばかりにレタッチに精を出している。
確かに新たなイメージを自分で作り出すという作業は楽しいが、視力の低下に伴い永い調整作業も難しくなってきた。
パッと目にとまったときの美しさや魅力がそのまま獲得できて、あとは少しの調整で事足りるようになれば。


















2017/08/18

plant in color

plant in color

カメラについていえばこのところずっとGFXの事を考えている。
写欲がなくなったとはいえ、いやそれ故にこそ百万円もかけてどんな写真を取り戻すことが出来るというのだろう。
しかし今の自分にはそれこそが希望なのだ。GFXを買ってしまえば永年、それこそ10年にも渡るライカの夢はついえてしまうし、ろくな写真も撮れずにGFXの価値の高みだけが心の重荷になってしまわないかと、買わない先から心配もする。














2017/07/14

20年ぶりの海水浴


小天橋海水浴場

小天橋海水浴場は日本海に面した京丹後市の海水浴場で海も砂浜もとてもきれいです。











小天橋海水浴場

毎年夏らしいことは何もしないまま季節が終わってしまう。
今年はなんとか海で泳ぎたいと思っていて
ピーカンの今日ようやくその思いが叶いました。
僕は海で泳ぐのが好きなのです。











小天橋海水浴場

まだ夏休みが始まっていないのでとてもすいています。
水はまだ少し冷たかったけど砂浜はアツアツ。










小天橋海水浴場

2時間ほど泳いで海の家できつねうどんを食べて。











R0017084

日焼けして帰ってきました。