2018/01/03

撮らないですむためのカメラ

camellia

先月残柿を撮ってからもう何も撮りたくなくなり、何も撮りたくなければ撮らなくてもよいわけで、それはそれで心穏やかな日々だ。
でも相変わらずお風呂には古いカメラ雑誌を持って入っていて、何も撮りたくはないが何か撮りたいという、カメラ好きならたぶんわかってもらえると思うけど、そういう気持ちはやはり失われていない。
RicohのGRD4を下取りに出してそのかわりにフジのX100Fを買おうかと思っている。
フジはGFX50Sが欲しかったけど今の僕の気持ちの答えとしては大げさな気がする。ライカは意味の重さに僕自身がたぶん追いつけない。
GRD4は好きだったけど特にモノクロームでの平板な質感や何を撮ってもドキュメンタリーの臭いがするのが嫌になってしまった。
どんな写真を撮りたいかは少しずつわかってきた。かなりゆるいがパーソナルな臭いのするものだ。緩くてパーソナル。そしてぼんやりと遠い。でもそんな写真はなかなか撮れない。もう撮る前からほとんど撮れないのがわかっている。だけどずっと待っていないと撮れないから、撮れないためにずっと持っていなければならない。撮れない、いやむしろ撮らないですむためのカメラを買おうとしている。まだ買ってもいないのに、そんなことを考えている。
新年あけましておめでとうございます。



















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