2018/04/10

人生における入力と出力

現実の世界で収入と支出があるようにバーチャル世界にも収支があるのではないか。
そのインプットとアウトプットのトータルバランスのことを考えている。
ひとが生まれて成長しその過程で様々なことを学習し、働きだしてからその学習した内容を社会に還元する。そして退職する頃には出涸らし状態。いや見た目は以前と変わらないし働こうと思ったら働けないわけじゃないが、その内容はほとんどがルーチンワークで脳はほとんど活動していない。

もちろん高齢になってもバリバリ新しいことにチャレンジして脳をフル回転している人もいるので一概には言えないが、僕の場合は退職する一年ほど前から脳の収入と支出のバランスがマイナスになっている感じがしていた。具体的にはそれは《朝起きたときに仕事に行きたくないという感情》として現れた。
「うつ」に似ている。あるいは「うつ」の一部は脳の収支のバランスがマイナスになっていることが原因なのかもしれないが僕は専門ではないのでわからない。ただ要するにそういった状態が僕の場合は収支の問題だったのではないかと退職してからなんとなく感じている。

さきほど人生の前半は入力、後半は出力とざっくり分けたけれども、もちろん人生の前半にも出力はあるし後半にも入力がある。むしろ後半で出力より入力の多い人もいるだろう。ただ傾向としてはやはり後半は入力より出力のほうが多いと思うし、僕の場合もいろいろ知識や経験や新しいアイデアなどで入力に努めてはいたが結局最後は枯渇してしまった。これは脳の破産と言ってよいかもしれない。

脳が破産するとどうなるか。具体的には「自分に飽きる」。もう逆さに振っても鼻血も出ない。出てこない自分に飽き飽きする。自分のことをつまらなく感じる。自分を捨てたくなる、いやそこまではいかないけど、少なくとも生きる喜びを感じれないまま過ごしていた。

転機になったのは病気の発症だった。2年前にメニエール病になって、眩暈、耳鳴り、難聴のために一時入院。去年の5月末には仕事の続行が実質上不可能になってしまった。そして二ヶ月間休職。ところがこの休職が僕にとって砂漠のオアシスとなった。10年ぶりに海で泳いだり、毎日プールで泳いだり、ジョギングしたりと、まるで小学校の夏休みに戻ったような日々を過ごすことができた。8月に復職したものの結局仕事続行が無理であることを再確認するだけだったので12月に退職させてもらった。

そういう、わがままが出来る境遇であったことには感謝しかないが、そして同じように永年命を削るような修羅場で過ごしてきてまだ戦い続けている同年代の戦友たちには申し訳ないが、今こうして自分のためだけに時間を使える自由というのは、ひょっとすると再び将来の出力のための入力期間なのかもしれないと思って日々セッセとポルトガル語を勉強したりギターを弾いたりして遊んでいる。











2 件のコメント:

  1. お疲れさんでした。わがままできる境遇でもないのですが入力を始めて5年になります。死の形に意味がないと教えられて、生きる形にも意味がないと知りました。あるのは創造者への感謝のみです。

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    1. コメントありがとうございます。まだまだ僕はそのような心境には遠いですが自分を遊ぶ時間は残されているようです。

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