2018/10/16

ライカとマシュマロマン

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Olympus OM-D E-M1 LEICA DG NOCTICRON 42.5mm F1.2


僕はこの10年間いろんなカメラやレンズに手を出してきたけれども、心のどこかにはいつもライカがあったように思う。
ライカはしかし僕にとって「手が届かない」という地位をずっと保っていて、なぜ手が届かないかといえばそれはもちろん価格のこともあるけれども、それは本当に自分に必要なカメラなのかとか、ライカの作例を見て僕の撮りたい世界とは違うんじゃないかといった理由で敬遠してきた。まさに「敬して遠ざける」という立場をとりつづけてきたわけだ。

でもライカは手が届かないのに引力がやたらに強い。そしてこのライカを巡る妄想は年を経るたびに大きく膨らむだけでなく、始末の悪いことにいっそう「詳しく」なってきて、まぁお風呂でライカ本を読み耽るのはいいとして、結局買わないんだから自分で大きく育てた妄想を自分で鎮めなければならない。すると自然な流れとしてライカは僕をそそのかす悪役になってもらわないといけなくて、曰く値段があまりにも高いとか使いづらいとか僕に合ってないとかFlickrの作例はどれも詰まらんとか。ライカにとってはいい迷惑だけれども、まぁそうやって僕は近づいたり離れたり憧れたり言い訳したりしながら太陽の周りをぐるぐる回る惑星のようにライカの周りを回ってきたわけだが、特に数年前からは退職したらライカを持って旅に出たら楽しいだろうなと想像しつつ仕事の辛さを乗り越えるのがひとつの習慣になっていた。

禅の法話の一つに雲門屎橛という題の一説がある。「仏とは!?」と問われた偉いお坊さんが「乾屎橛!」と答えたと言う。仏なんていうものはただの糞カキべらだと。僕もこのライカという自分の中で膨らみすぎたマシュマロマンを退治するために、もうそろそろライカを買ったほうがいいんじゃないか。買いなされ!と雲門和尚も言う。「そこには実はなにもない」ということを感じるために、というよりも僕の10年間の妄想を成仏させるために。でも結局は純粋にライカを楽しむんだろうなと思いながら一人で祝杯を上げた。















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