2019/08/29

flow

flow
Sigma dp0 Quattro
 
 


 
 


なんだ、昨日と同じ写真じゃないかと思われるかもしれませんが前回よりだいぶ滝に近づいて撮ったショットです。
同じように水をテーマにした写真でも海や湖をNDフィルターで長時間露光すると水面が鏡面のようになって幻想的ですが、流れに動きのある川の場合は露光が長すぎると川面がフエキノリのようにヌルッとして気持ち悪い写真になるので1秒内外が妥当かも。
この写真の露光時間は0.3秒。水のウネウネ感がテーマです。
 
 
 

2019/08/27

Sigma dp0 Quattro再び

shinning stream in the forest
Sigma dp0 Quattro


2011年にNikon D700を買った。
初めてのフルサイズで舞い上がってしまい同じく勢いで買ったCarl Zeiss Distagon 21mm F2.8を付けて撮ったのが昨日の写真。
そのままではとても地味なトーンだったので昨日はかなり手を加えてアップした。

ああいった現実離れした画像に対する異論はあると思う。奇しくも今発売中の『アサヒカメラ』の特集が【風景写真が危ない!「レタッチしすぎの罠」】というのでオレのことか!?と笑ってしまったけれども、もともと日本の写真愛好家はリアリズム重視。
しかし某写真家の言葉にみられるように海外の写真家たちはレタッチについて自由な立場の人が多い。写真に手を加えることに生理的な嫌悪感を抱いている人も、有名なマグナム誌の過去のiconicな作品が信じられないほど細かい焼き込みや覆い焼き作業の末に出来上がっていることを知れば少しはレタッチに対する印象も変わるかもしれない。

もちろんやりすぎは禁物だ。けばけばしければいいというものでもない。
僕のレタッチに対する考え方を述べさせてもらうなら、「あるシーンを見てあっ!撮りたい!と思ったその心のゆらぎが写真に反映されていないなら、その心のゆらぎを再現するように手を加えることは正義」という立場。

えーと、何の話でしたっけ。あ、そうそう、昨日アップした写真。
Distagonの21ミリは相性が悪くほどなく手放してしまったのでした。高いレンズだったのにうまく使いこなせなかったのです。その後もSamyangの14ミリとかLaowaの15ミリとか、買ってはみたもののやはり使いこなせず売却ということを繰り返します。

その広角苦手な僕が唯一親密感を抱いているのがSigmaのdp0 Quattro14mm(換算21mm)。
昨日アップした写真に触発されて、よ~し、ここは一発dp0であの川を撮ってみるか!と鼻息荒くあれこれ準備して昨夜は就寝。
今朝は早めに起きて8年前に前述の写真を撮った場所へ。ライカを使いだしてから、もう使うこともないし売ってしまおうかと思っていたGitzoのエクスプローラーという重い三脚を背中にしょって、野鳥の会のブーツを履いて川の中に入っていき、三脚にセットしたdp0にレリーズをつないで撮ったのが上の写真です。
昨日アップした写真と同じ構図で撮りたかったのですがあの写真のような光が射していなかったので川の反対側を撮影。



2019/08/26

stream

streamD6S5
Nikon D700 Carl Zeiss Distagon T* 2.8/21













2019/08/15

She Came in Through the Bathroom Window





She came in through the bathroom window
風呂の窓から入ってきたのは
Protected by a silver spoon
ええとこのお嬢
But now she sucks her thumb and wanders
今じゃ文無し放浪娘
By the banks of her own lagoon
銀行にも見放されてる
Didn't anybody tell her?
教えてあげるやつはいなかったの?
Didn't anybody see?
誰も気に留めなかったの?
Sunday's on the phone to Monday
日曜が月曜に告げ口し
Tuesday's on the phone to me
火曜が僕に知らせてきたことを
She said she'd always been a dancer
「私ずっとダンサーだったの」
She worked at fifteen clubs a day
「日に15軒もクラブを掛け持ちよ」
And though she thought I knew the answer
「あなたなら答えを知ってると思うんだ」
Well, I knew what I could not say
ああ知ってるよ、秘密だけどね
And so I quit the police department
それで僕は警察署をやめて
And got myself a steady job
もっとヤクザな仕事についた
And though she tried her best to help me
彼女は精一杯僕の役に立とうとしたけど
She could steal but she could not rob
ちょろまかしはできても強奪は無理だった
Didn't anybody tell her?
教えてあげるやつはいなかったの?
Didn'tanybody see?
誰も気に留めなかったの?
Sunday's on the phone to Monday,
日曜が月曜に告げ口し
Tuesday's on the phone to me
火曜が僕に教えてくれたことを 
 
 "She Came In Through the Bathroom Window"
the Beatles from their 1969 album Abbey Road.
Written by Paul McCartney and credited to Lennon–McCartney.
 
 
The Beatles 最後のアルバム "Abbey Road"。
B面の名曲に次ぐ名曲のラッシュ。
この偉大なバンドが崩壊しながらけたたましい火花を放って奈落へ落ちていく姿は何度聞いても慄然とする。
そのB面の中ほどで現れるのがこの曲だ。
娘がバスルームの窓から入ってくるという、ファンタジックでサイケデリックでエロチックでコケティッシュなイメージ(どんなイメージやねん)。
でもちゃんと歌詞の意味を考えたことがなかったので訳してみることにした。
えっとですね、この世には三度の飯よりビートルズみたいなひとがいるので、ビートルズの訳詞をするというのはとてもリスクを伴う行為なんです。
ぜんぜんちゃうやん、アホちゃうか、ええかげんなことを書くな、何も知らんくせにというお叱りはごもっともです。
もう最初から謝っておきます。この訳詞は間違っています。あなたが正しいです。だからほっといてくださいね。
 
と防御線を張っておいて自論を述べます。
みなさんご存知のようにこれはビートルズのファンの女性がポールの家に忍び込んだ事件をヒントに書かれた曲です。
Wikipediaにはこう書かれています。

McCartney said the song was inspired by Apple scruffs (dedicated fans who hung around outside the Abbey Road studio, the Apple Corps offices, and the individual homes of the Beatles), who broke into McCartney's St John's Wood home. Diane Ashley says: "We were bored, he was out and so we decided to pay him a visit. We found a ladder in his garden and stuck it up at the bathroom window which he'd left slightly open. I was the one who climbed up and got in." She then opened the front door to let the others in. The scruffs also stole a number of photographs in addition to clothes. Another Apple scruff, Margo Bird, remembers being good friends with McCartney – she would often take his dog for walks – and later got a job at Apple Corps. She says that she was asked to retrieve a photograph of his father Jim, which she did.

(拙訳)ポールによればこの曲は当時ポールが住んでいたSt John's Wood homeに忍び込んだアップルのグルーピーにヒントを得て書かれたそうだ。(屋敷に忍び込んだ一人である)Diane Ashleyは「私達は退屈していた。ポールはそのとき外出してたので私達はちょっと彼の家にお邪魔しようと思ったの。私達は庭にはしごを見つけた。ポールはいつもバスルームの窓を少しだけ開けてたから、はしごをバスルームの窓にたてかけて私は侵入した」
彼女はそれから正面玄関の鍵を開けて他のメンバーを招き入れた。彼女らは写真を数枚と衣類を盗んだという。
別のグルーピーだったMargo Bird(ポールの友達であり、しばしばポールのかわりに犬の散歩をし、のちにアップルに就職した女性)は当時を思い出してこう述べている。「ポールから彼のお父さんの写真を取り戻してほしいと頼まれたわ。それ盗んだの私なんだけどね」
 
 で、歌詞に移ります。
She came in through the bathroom window
(これはそのままですね)
Protected by a silver spoon
「ええとこのお嬢」
(英語には銀のスプーンをくわえて生まれてくるという言い方があって、それは裕福な家の生まれであることを意味しています)
But now she sucks her thumb and wanders
「今じゃ文無し放浪娘」
(しかし今彼女がチューチューしているのは銀のスプーンではなく親指ですから貧乏だと)
By the banks of her own lagoon
「銀行にも見放されてる」
(ええとこのお嬢だったときは銀行(bank)もいい顔をしていたけれど、今彼女は沼のほとり(bank)に住んでいる、というので銀行にも見放されていると訳しました)
Didn't anybody tell her?
教えてあげるやつはいなかったの?
Didn't anybody see?
誰も気に留めなかったの?
Sunday's on the phone to Monday
「日曜が月曜に告げ口し」
("A is on the phone to B"はAがBに電話で話しているということでしょう?)
Tuesday's on the phone to me
火曜が僕に知らせてきたことを
She said she'd always been a dancer
「私ずっとダンサーだったの」
She worked at fifteen clubs a day
「日に15軒もクラブを掛け持ちよ」
And though she thought I knew the answer
「あなたなら答えを知ってると思うんだ」
(この「答え」というのはたぶん「私は落ちぶれて貧乏になっちゃったけどあなたならお金儲けの方法を知ってるんでしょう?」ということか)
Well, I knew what I could not say
ああ知ってるよ、秘密だけどね
And so I quit the police department
それで僕は警察署をやめて
And got myself a steady job
「もっとヤクザな仕事についた」
(steady jobというのはカタギな仕事という意味ですよね。でもそもそも警察官をカタギじゃないというのは反語です。だからここの本意はたぶんヤクザな仕事のことでしょう。そしてそれは自分のやっている音楽活動のことを揶揄しているんだと思います)
And though she tried her best to help me
「彼女は精一杯僕の役に立とうとしたけど」
(音楽活動はボロ儲けのヤクザな稼業だが、ポールの家に忍び込んで盗みをするのも同じような「盗み」行為じゃないかと)
She could steal but she could not rob
「ちょろまかしはできても強奪は無理だった」
(音楽活動のボロ儲けとチャチな盗みじゃ規模が違う)
Didn't anybody tell her?
教えてあげるやつはいなかったの?
Didn'tanybody see?
誰も気に留めなかったの?
Sunday's on the phone to Monday,
日曜が月曜に告げ口し
Tuesday's on the phone to me
火曜が僕に教えてくれたことを
 
 というわけでこの曲は女の子が僕の家に侵入してチャチな盗みをしたけれど、僕たちはもっとアコギな稼ぎをしてるしな、というポールの自虐的なユーモアを歌ったものかもしれないし、いやそうじゃない!彼女はチャチな盗みをしたけれど、僕たちはファンの心を盗むというもっと大胆な盗みをしてきたんだという意味かもしれませんね。
「そんなしょーもない訳聞きとうないわい!というお叱りの言葉もなくご静聴誠にありがとうございました」(®人生幸朗師匠)
 
 
 
 
 
 

2019/08/13

耳順

summer time



孔子は四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(みみしたが)ったという。
四十にして惑わずというのは情欲をある程度自分で制御できるようになったことを意味しているのだろう。
五十にして天命を知るというのは社会の中で自分が何をすれば本望か、自分のミッションは何かを自覚したということだろう。

では六十にして耳順うとはどういうことか。
 今まで自分の内なる声だけに従ってきた人間が、静かな小さな家で天の声を聞こうとするとき一体何が聞こえてくるだろう。
私が乗っている舟がどこへ向かおうとしているのかを、かすかな囁きや暗示、それらに反応する心の動きから私は察することが出来るだろうか。
 
 
 

2019/08/11

mid-summer

IMG_7374A


海の疲れを湯船で溶く夏の夜










2019/08/03

感動について

a face
 
 
赤瀬川原平さんが小林秀雄の講演テープがとても面白かったと何かに書いていて、僕も小林秀雄は苦手だったが原平さんがそう言うならと彼の講演集のCDを買ってiPodに入れて車の中で聴いている。

文章で読むとすごく難しい彼の話も、彼の地声で聴いてみるとちょっとべらんめぇ調の、まるで志ん生の落語を聴いているような彼の話はとても面白く、彼と一緒に話題の中心をぐるぐる旋回していると僕の頭にもいろんな、まさに「考えるヒント」が浮かび上がってきて飽きない。

そのなかで「宣長に辿り着くまで」(第3巻本居宣長 CD-2 No.6)を聴いていて考えたことを書いてみたい。
小林秀雄がフランス文学から近代日本文学を経て、人生の秋ともいうべき時期(当時76歳)に至って本居宣長を研究しようと思ったのはなぜなのかという一女学生の質問に、自分としては計画性なんてものはまるっきりなくて、何かに感動してその感動の正体を明らかにしようと次々に追いかけているうちに宣長に出会ったのだという。
 
 以下彼の語りの一部を筆記
小林「あの~、非常に簡単な事でしてね。あの~自分の一生ってものをね、こう、振り返ってみますとね、僕はま、だいたい計画が立たない男ですね。全然計画を立てて何かしたってことがまずないんです僕は。その場その場に解決していったものの積み重なりが、いつの間にかそんなふうに向いてっちゃったんですよ僕は。
そういうふうにいつでも僕はね、まずなんかひとつの感動とかね、ある直覚とかね、そんなものがいつも先にあるんです。[中略]
初めね、漠然としてるけれども非常に明瞭な感動があるんです。これ、なんとかね、もっとこう、明瞭化しなきゃいけないって思うくらい、ま、とにかく初めにあるんです、そういう感動が。[中略]
そういうふうなものがこう、次次々と、こう、そういうふうなものに出会ってきたんですね、僕は。だから計画ないですね僕は。実にないんです。」
 
これに対し件の女学生が「計画がないにしても一筋通っている道ってものが先生の色彩ではないんでしょうか?」と尋ねる。
 
小林「それね、難しい問題でしてね、僕もよく考えるんですけどもね、どうもその、それがその、いきあたりばったりってのが人生ってもんじゃないんですかな。ぼくはどうもそんなふうに思うんです。
ただね、あの、計画的な学問てありますよ、例えばあの、ずーっと一生こういうふうなあれをやっていくってひとは、そりゃたくさんありますけどね、僕みたいな生き方っていうもののほうがあの、普通なんじゃないですかね。どうもそんなふうに思いますね」
[中略]
「だけどたしかに僕は自分しか出してないですよね。たしかにそうなんです。だけどいつでも、だから僕は感動から始めたってことは、感動ってのはね、いつでも統一したもんです。分裂した感動なんてありませんよ。感動してる時にはね、世界はなくなるもんです。感動したときにはいつも自分自身になるもんです。どんな馬鹿でも。これはあの、天与の知恵だね。これは天がそういうふうに決めたんでしょう。人間てのはそういう生まれつきのもんですよ。
感動しなきゃ人間はいつでも分裂していますね。だけど感動しているときには世界はなくなって、世界がなくなるってことは自分自身になるってことです。
自分自身になるときには必ずそれは一つのパーフェクトなもんです。完全なもんです。馬鹿は馬鹿なりに、利口は利口なりに、その人なりに完全なもんです。つまり感動ってものは個性ってもんです。だから、僕の書くものは、いつでも感動から始めたから僕ってのはいるんでしょうおそらく、自然と。その感動を僕は書こうとして、自分を語ろうとしたんじゃないです。感動はどこかからやってきたんです。それを語ったからね、そういうふうになったんで、もうそれは普通のことじゃないだろうかと思う。だからご質問のように、こういうふうになぜなったかっていう筋道は、辿ることはできないんだね」
 
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
さて、ここで彼は自分のやってきた仕事のもとになっている「感動」ということについて語っているのだが、そのなかで僕は彼の言葉にとても関心を持った。
それでその箇所を以下に抜き出してみる。
 
「感動ってのはね、いつでも統一したもんです。分裂した感動なんてありませんよ。感動してる時にはね、世界はなくなるもんです。感動したときにはいつも自分自身になるもんです」
「感動しなきゃ人間はいつでも分裂していますね。だけど感動しているときには世界はなくなって、世界がなくなるってことは自分自身になるってことです。自分自身になるときには必ずそれは一つのパーフェクトなもんです。完全なもんです」
 
彼が何を言わんとしているかわかるだろうか?
僕にはわからなかった。しかしわからないなりにここでは何か非常に重要なことが語られているということはわかった。
我々は、その意味がわからなくても重要なことが語られていることはわかる。それで我々はその意味を、話者が何を言わんとしているかを繰り返し考える。
 
彼は言う。
「感動していないとき、我々は分裂している」
「感動しているとき、我々は統一しており、自分自身になっていて、そのとき世界はなくなりパーフェクトな状態にある」
 
僕はぼんやりその箇所を反芻しているうちにあるシェーマ(絵)が浮かんで、それが彼の言わんとすることの理解を助けてくれた。
 

我々の体の各部、脳や心の浅い領域や深い領域や情動や身体などは外界からの刺激や情報を受けてそれぞれがそれぞれの場所でバラバラに勝手に振動している↑
 
しかし何か我々にとって非常に重要な、もっと生命や人生や運命の根源に関わる情報は、我々の体の各部を繋ぐもっと深い場所を揺らすことがある。


その振動は体の深部から体全部に伝わって、我々の全存在を同じ周波数で深く激しく揺らすのだ。我々の全身が、浅いところから深いところまで同期する。その時、我々の全存在は振動そのものとなり、世界と共鳴する。そして実にそれが我々が感動と呼んでいるものなのだ。
 
「感動していないとき、我々は分裂している」、「感動しているとき、我々は統一しており、自分自身になっていて、そのとき世界はなくなりパーフェクトな状態にある」とはそういうことなのだろう。
そしてさらに言えば我々が他者に感動を伝えようとするとき、伝わっているのは話の内容(コンテンツ)ではなくむしろ振動であり、伝わる力の大きさは震源の深さと関係しているように思う。
 
 





twitter