とかげさんが
ブログで本を読みながら歩く女学生の話をしていました。
今は携帯でも本を読める。
でもとかげさんは本の方が好もしいという。
僕もそう思う。
なぜなんだろう。
本を読むというのは複雑な行為だ。
携帯だと液晶画面に映った電子文字を視るだけだけど、
本という物質と関わるということは、
本を視るという視覚と、本の匂いを嗅ぐという嗅覚と、紙を触るという触覚がある。
携帯だと、次のページへ行くには指でボタンを押すだけだが、本の場合は紙をめくるという、より高度で複雑な動作を必要とする。
つまり物質としての本を読むという行為は、携帯で文字を読むよりも、より全的な関わりを我々に要求する。
そしてより多くの五感がその行為に動員されるほど、記憶はより立体的になり、脳の中に一定の場所を占拠し、その他の記憶とのネットワークを形成する。
多くのファクターと関連し合った記憶は、単に文字だけの記憶よりも、時間的、空間的な広がりを持ち、その記憶は動的に生き続ける。
僕は高校生の時に読んだ新潮文庫の太宰治を本棚の奥から取りだして読む。黄ばんだページを繰ると、さまざまな記憶がよみがえる。
それはページに残ったシミや本の臭いとも関係していて、それを読むものにある特殊な体験をもたらす。
記憶は単体で記憶するよりも、むしろ付随するいろんなものと一緒に記憶する方が残りやすい。
より効率的に記憶しようと思ったら、より非能率的に覚える方がよい。
語呂合わせよりも、その時に食べたケーキの味と香りともに。
僕たちは人生を簡略化してどこへ行くのだろう。
全的に関わること、それ以外に人生はないというのに。
などということを、紙にペンで書かずにキーボードでパソコン画面に入力している僕も僕だけど。
そう!そうなんだ!と、読み進めていくうちに感じました。
返信削除大切なのはそこなんですよね。
それに、私も持っている本を何度となく読み返してみると、やはり記憶のよみがえりや、若い時には気づかなかった年齢とともの新しい「読み」があります。
最後のオチは笑えたけど、仕事やプライベートももちろん、忙しい私たちには必要なことじゃないですかー。
以前自分の日記に「頭の中で長い長い文章を組み立ててから紙にペンでウワーーーっと書きだすと頭がスカッとする」というような事を書きましたが、それって脳が喜んでいる感じです。
あ、そうだ、Firefoxだと問題なくshinさんのとこへ来れるようになりました。ありがとうございます(^^)
えへへ。。。
返信削除ゴマダラカミキリ きれいですね
おうちに連れてきたんですね
カーペットの居心地が良くて表に行くのはヤダ!って言わなかったですか?
shinさん こういう虫は平気?
下の写真 面白いです yuuko
おお、とかげさん、勝手にブログのタイトルを拝借しちゃいました。あんまりおいしいタイトルだったので(笑)。
返信削除>「頭の中で長い長い文章を組み立ててから紙にペンでウワーっと書きだすと頭がスカッとする」
うーん、僕はあまり長い文章を頭の中に記憶しておくことが出来ないので、思いつく端から入力していくことが多いです。車の中で文章を思いつくと、ごく短いセンテンスなのに、帰るまでに忘れてしまわないか、ドキドキです。
ファイアーフォックス、いいでしょ。
僕も愛用しています。(^_^)。
おお、yuukoさんサンキュです。
返信削除カミキリ!
実はこの子は夜僕が部屋にいる時に勝手に入ってきたんです。網戸の隙間から入ってきて、ブーンと音を立てて絨毯の上に着地。
ぎょえ~~~。
やっぱり僕は虫が嫌いです。
何とか手で掴んだら、「キョワキャワ、キョワキャワ」としゃべってました。
翻訳すると「だんなやめてくれはなしてくれだんな」だと思います。
カミキリムシって、しゃべるんですね!初めて知りました。
そのあとやっとのことで窓の外に放り投げました。
飛んでいきながら、まだ何かしゃべっていました。
よくしゃべる虫。
ちょっと違う話かもしれませんが 本の行を目で追うことはすごいメカニズムなのだと聞いたことがあります
返信削除カメラが本の行を追うとその視点の移動に伴って視界全体が つまり本全体が移動することになってしまいますが目で行を追ったときには本は止まったままで行についてだけ視点の移動を行なうことが出来る これは物凄く精巧なメカニズムが働いて視界全体が移動してしまうことをキャンセルしているというんです
説明が下手で通じないかもしれないなぁ
とーしですわ
とーしさんサンキュです。
返信削除うん、たしかに目で行を追っているとき、景色全体ではなくて文字だけをスキャンしているような感じがしますね。不思議です。