2020/12/20

ファインダー転びバテレン

PC201240A

 僕はファインダーが好きだ。ファインダーを覗き込むとき、僕の意識は外界から遮断され、暗いトンネルの向こうに僕の見たかった世界が広がる。背面液晶モニターではとてもこの"in"な感覚は得られない。
僕の好きな地面や水面スレスレの写真を撮るときは、だからアングルファインダーを使う。地面に腹ばいになってアングルファインダーを覗き込むと、いつもよりさらに"in"な感覚を味わうことができる。写真を撮るというのは僕にとってこういう感覚を味わう行為だ。

そういった撮ることの喜びとは別に僕は撮れた画像を自分の求めるイメージに作り上げる作業にも大きな喜びを感じている。日本ではこういった「写真に手を加える」という行為に対して否定的な意見が多いけれども、写真に手を加えて自分の欲するイメージに近づけていくというのは口幅ったいようだが一種の芸術行為であり、素人でも、いや素人だからこそこういった創造活動に浸れるのはいいことだと思う。
かのアンセル・アダムスもこう言っているではないか。

"You don’t take a photograph, you make it."(写真は撮るものではなく、創りだすものだ)
"Dodging and burning are steps to take care of mistakes God made in establishing tonal relationships.”
(覆い焼きと焼き込みは神様のトーン調整ミスを手直しさせていただく工程である)
"The negative is the equivalent of the composer’s score, and the print the performance."
(撮影されたフイルムが作曲家にとっての楽譜とすれば、現像はその楽譜を元にした演奏に相当する)



さて、写真に手を加える作業はいろんな技術を習得するという過程でもある。
YouTubeでは海外のアーティストがいろんな技術を教えてくれる。一度そういった動画を見てもらえればわかるが彼らはとてつもなく複雑多様な技術をすごいスピードで進めていくので見ている方は目が回ってしまう。
まぁだからといってこういった技術を駆使した画像、例えば500pxのPopularに選ばれた写真などが必ずしも素晴らしいというわけではなく、我々日本人の目から見ればちょっとやりすぎと感じることも多い。目標は自分の欲するイメージに近づけていくことで、effectの驚きにハンドルを握らせてはならない、他人にスゴイと思わせるためにやっているのではないということだ。これは自戒でもあるが。

で、何が言いたいかというとどうもこのごろ僕の写真活動の比重は撮影よりも「表現」に移行してしまって、ファインダーを覗くという喜びが絶対のものではなくなってきたということ。それがわかったのは昨日も書いたがカメラをサカサマにして撮影することやCamRanger経由でiPad画面を見ながら撮影操作することに対する心理的な抵抗がなくなっていることに気が付いたからだ。

たしかに光学ファインダーの焦点誤差問題でライブビューを使わざるを得なくなったことや這いつくばって写真を撮るのが年齢的に厳しくなってきたことも影響してはいるが、フォトジェニックな被写体でなくても身近なものに自分だけの魅力をキャッチしてどうにでも表現していけるという自信のようなものが湧いてきて、ま、撮れさえすればあとは任せとけみたいな、最近はそんな気分。
とてもエラそう(笑)。





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