2018/06/30

陽のルートで生きたい

hydrangea
Olympus OM-D E-M1 Carl Zeiss Apo-Sonnar T* 2/135


僕はいろいろと不満や満たされない思いや着心地のわるい服を着ているような、自分の生き方に確信が持てない気持ちで生きているが、いやそうではなくて僕はむしろ不満や気に入らないことを「探しながら」生きているのではないか。そして僕はそういった気に入らないことを見つけてそれを解決するか、あるいは何で紛らわすかを探したり見つけたりすることに生きる歓びを感じているのではないか。
そう考えたのはつまり仕事を退職して不愉快なことが解消されたにも関わらず、今度は自分の中に不満を見つけて鬱々として楽しまない日々を送っているのは、どっちにしろ何らかの不愉快のタネを探しているからではないかと思ったからだ。

つまり僕は自分で不愉快の種を探して当然自分で不愉快になりそれを紛らわすための妄想探しにこそ喜びを見出していると。

不愉快に対するセンサーの感度が高く、センサーが不愉快を感知したら不満、怒り、攻撃、緊張などの情動が励起される、この反復反射でセンサーから情動へのルートが太くなっており、それを解消するための愉快的解消行動(妄想や購買欲)を生命エネルギーにしているのが僕なのではないか。

そうではなくて一義的に面白いことや喜ばしいことに対するセンサーが鋭敏で、それがうれしさや楽しさといった情動と直結していることが好ましい生き方なのではないか。
そして僕のように「負のセンサーから負の情動を発現させそれを解消することでようやく陽の情動を獲得する人」というのは、ひょっとするとこれまでの生涯で嫌というほど「苦労→ご褒美」パターンを繰り返し自らに課してきた結果生み出されたのではないか?

世の中には(非常に稀だが)あらゆる刺激を陽の情動に変換できる能力を持った人がいる。
そのことに気づいたのは昨日YouTubeで所さんのCM集を取り上げたものの中で劇団ひとりの揚げ足取り発言に対し所さんが間髪を入れず陽気に屈託なく返事をしているのを見て少し感動したからだ。僕だったらすぐに不機嫌になっていただろう。ひょっとすると所さんは負のセンサーからユーモアへのルートが太いのかもしれない。

夜録画していた所さんの世田谷ベースを観る。
「面倒なことが幸せなんだよ」