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2014/03/07

サットンの法則


Frederick Southwick氏の感染症診療スタンダードマニュアルには熱の原因がはっきりしない患者にやたらと意味のない検査をするよりも詳細な病歴と身体所見で検査を絞り込むことの大切さが述べてあって
そこに「サットンの法則」というのが出てくる。

アメリカの有名な銀行強盗ウィリー・サットン。
逮捕された彼はなぜ銀行強盗をするのかと聞かれ
「そこにカネがあるから」と答えたそうで、要するにどうせ強盗するなら個人の家よりたんまりカネのある銀行がいいと。それでアメリカの医学教育では「一番可能性の高い疾患を想定して検査すべし」
という意味でこの法則が語り継がれているらしい。

この「ウィリー・サットン」氏、英語版のWikipediaをみると掲載された顔写真は盗む方というよりむしろ盗まれる方の銀行の頭取という風体だ。彼は1901年に生まれ1980年に79歳で他界するまでに総計200万ドルを強奪。成人してからの人生の半分を刑務所で暮らし、脱獄に成功すること3回。変装の名人で、銀行に入るときはピストルやサブマシンガンを携帯していたが弾は入っておらず生涯一度も人を殺めなかったという。そのサットン氏が自らの名前を冠した法則について自伝の中でこう言っている。

「銀行強盗の言葉が医学教育の現場で珍重されるなどという皮肉がいったいどんな経緯でそうなったのか知る由もないが私自身としてはそんなことは言っていないということをここではっきりと述べておきたい。風評の元になった記事を書いた件のゴシップ系のリポーターは自分の記事をもっともらしくしようと思って付け足したのだろう。尋ねられたら私もそんな風に答えただろうしそれはだれでも思いつきそうなことだ。だから彼はそう書いたわけでそれ以外に大した理由はないと思う。
なぜ私が銀行強盗を繰り返したかといえば、それは楽しかったからだ。愛していたと言ってもいい。銀行に押し入ってカネを奪う。その時私は人生のほかのどんな時よりも自分が生きていることを実感した。それに関するすべてを私はかけがえなく愛していたし、だからこそ1,2週間もすればもう次の獲物を探しに出かけた。カネはチップのようなものでそれ以上の意味は無い。だから私はカネのあるところへ行ったのだ、何度でも」



2011/07/26

悪魔に電話をするなかれ




例えば君がだよ、決して失敗を許されない大事な仕事をスタッフと一緒にやっていてだね
一番むつかしい局面で気の利かないスタッフがミスをする
ミスというのは、まあ大体においてそういう場面で
狙いすましたように飛び出してくるわけだが

さてそこでだ
君が腹を立てたりイライラすると
悪魔のところの電話が鳴る
悪魔は読みかけの新聞をテーブルの上に静かに置いてだね
あの例のコウモリみたいな羽根を広げてまっすぐやって来る
そして事態は必ず目を覆うような惨状に移行する

だからね
腹を立ててはいけない
つとめて冷静に
こっそりと仕事をすることが肝要だ
夜中に泥棒が
屋根裏をつま先で歩くようにひっそりと
そして君がイラついていることを
けっして悪魔にさとらせてはならない

腹を立てたら悪魔のところの電話が鳴るんだ
ほんとだよ

2011/06/26

グリーフ・ワーク

始めはそんなに怒っていなかったのに口を開いてしまったばっかりにどこからともなく激情が奔流のように溢れ出してきて
制御できない怒りに我ながら驚くことがある。
悲しみもそれだけでは溢れ出すわけではなくて、泣くことを糸口にしているのかもしれない。

つまりたとえば僕たちは悲しいから泣くのではなく泣くから悲しいのだと言い切ってみる。
理屈では到底受け入れられないような出来事に見舞われてそれをそのまま飲み込まざるを得ないときに
人はそれをちゃんと悲しむ必要があってそのために人は泣かなければならない。
「泣く」というゲートを開くことでひとはきちんと悲しむことが出来る。
それと同じように「笑う」というゲートを開くことで人はきちんと喜ぶことが出来る。

医療の現場には「グリーフ・ワーク」という言葉がある。
医師がまだ若くて未熟で患者の家族の気持ちを忖度する余裕がないと
臨終に際して集まった家族になぜ患者が死に至ったかを医学用語を用いて滔々と説明したりする。
家族は呆然としたまま遺体を引き取り慌ただしく事後の処理に追われることになる。
経験ある医師は臨終に際し、如何に患者がけなげに病気と戦い続けてきたかを振り返り
故人が如何に愛すべき人物であったか、故人が如何に家族から愛されていたかを語り、
自分が医療人として好ましい転帰を患者にプレゼントできなかったことを詫びる。
さらに故人の口を潤わしてあげてくださいと言いながら濡れたガーゼを家族に手渡し
順番に故人の口を湿してもらう。
そうしてはじめて家族はしっかりと泣き、しっかりと悲しむことが出来る。
このことがいかに大切か。
仮に故人を深く愛し、懸命に介護してきた場合でさえ
家族は自分が故人に対して十分に愛情を注いであげられなかったのではないかという、
謂れの無い罪の意識にさいなまれるものだ。
グリーフ・ワークは家族の気持ちを救うための大切な仕事である。

泣くことや笑うことが悲しみや喜びのゲートになっているとしても
ただこのゲートは普段から使っていないと油が切れてうまく開くことが出来ない。
たまには映画を見たり吉本を観たりして用もなく普段からゲートを開け閉めしておくことの意味もそこにあるのだろう。

2010/09/04

危険な笑い

医師が患者や家族に病状などを説明することをムンテラと言うが
僕の以前の同僚はムンテラを原因とする家族との軋轢が多くて
両者の間で悩む看護婦さんからよく相談を受けた。

なぜ彼はいつも家族の怒りを買うのか。
一度僕は彼のムンテラを垣間見る機会があってその理由がわかった。
彼は笑っていた。
真剣に話しているのに医師が笑っていたら
家族はたぶん馬鹿にされたように感じるだろう。

僕は彼に忠告すべきだろうか。
こんな簡単なことに、なぜ彼自身気が付かないのだろう。
だがおそらく彼は無意識のうちに笑っているのだ。
なぜ彼はいつも決まって大切な場面で笑うのだろう。

そしてある時僕はわかったのだ。
彼は緊張しているのだ。
人は緊張すると笑うのだ。

人は往々にして窮地に追い込まれると笑う。
本人は気付いていないが、これは
「私が困っていることをわかって欲しい。そして一緒に笑って」というサインなのだ。
そしてこの現象は医師側と患者側の認識に乖離があって
その乖離のあまりの大きさに医師が困惑している時にしばしば出現する。
これは決してまれな現象ではない。
そして実は僕自身も以前同じ過ちで患者や家族を非常に深く傷つけてしまったことを思い出した。
それは僕の医師としてのキャリアの中でもとりわけ思い出したくない記憶の一つだ。
ひとごとでは、なかったのだ。

2010/08/17

全的に関与するということ

以前のブログで取り上げたDoctor's Ruleの一つに、
When you are listening to a patient, do not do anything else. Just listen.
(拙訳:患者の話を聴きながらほかのことをしてはならない。ただ聴きなさい)というのがありました。

昨日聴診器をあててもらった患者さんの喜びについてお話ししましたが
聴診器をあてるという行為が巧まずともJust listenという好ましい態度をもたらすことに気が付きました。

イヤーチップを耳に当てるとその途端から世界は無音になる。
そして聴診器が患者の身体に触れた時既に僕は患者の身体という森の中にいる。

人は聴診器を使いながらほかのことが出来ないという点がミソなのです。
その時我々は嫌も応もなく、全的に患者に関与せざるを得ない。

全的に関与するというのは、マックス・ピカート的に言えば「時間を与える」ということです。

愛とは立ち止まることだ。
ある一人の前に、しばし立ち止まることなく、時間を使うことなしに愛を交わすことはできない。
愛情のある人間は他の人々やもろもろの事物の前に立ち止まる.
そしてそれらの人々や事物に時間を与える。
それがとりもなおさず愛なのだ。
くりかえしていうが、時間と愛とは相い依って一体をなすのだ。
マックス ピカート「騒音とアトム化の世界」佐野利勝訳(1971)みすず書房

愛というとわかりにくくなるけれども、愛という言葉を全的関与と読み直すことが許されるなら
私の時間を相手のためだけに使うということが愛なのでしょう。

三年間も通って一度も聴診器をあててもらわなかった患者が、たった一度僕が聴診器をあてただけで満腔の笑顔を示したのは、おそらく僕が僕の時間を彼のためだけに使ったから。

そしておそらく全的に関与するというのは人との関わりの中だけで意味を持つのではない。
僕たちが行う全ての行為において、自分の全存在を丸のまま行為の中に放擲しきるという態度が
結局は僕らの救いなのだろう。

2010/05/07

Just listen

When you are listening to a patient, do not do anything else.
Just listen.
患者の話を聴きながらほかのことをしてはならない。
ただ聴きなさい。

It is impossible to think and listen simultaneously.
Listen
Think
Listen
Think
聴きながら考えている時、私たちは本当には「聴いて」いない。
だからこうしなさい。
聴く。
考える。
聴く。
考える。

Listening requires practice.
Learn to stop thinking.
Learn to listen.
Just listen.
「聴く」には練習がいる。
その間考えないでいられる練習。
「ただ聴く」練習。
ただ聴くのだ。


Unless you can repeat what another person says and have that person nod agreement,
you have not listened accurately.
Practice this until it becomes natural for you.
患者が言ったことを復唱してみなさい。
患者がうなずかなかったら、あなたは正しく聴いていなかったとわかる。
自然にそれが出来るようになりなさい。

「聴く」こと。
この本から教わった最も大切なことの一つです。。
だが常に守ることは困難。

(A)駄目な時。
患者の話の中から自分に治せる病気に関連のあるセンテンスだけを取り出してキーボードを叩く。
(B)ましな時。
患者の話を聞きつつその内容をそのままキーボードを叩く。
(C)よい時。
患者の目を見て話を聞き、全て聞き終わった後で病歴を復唱し、患者がうなずくのを見てからキーボードを叩く。

いろいろ事情はあるんですが言い訳はやめておきましょう。
Just listenという言葉は僕らの胸を打つ。
天恵の言葉の一つです。

2010/05/05

狂わず腐らず生きていく

このブログの読者は一般の方が圧倒的に多いと思うので
まず言っておかなければならないことがあります。
急に止めてはならない薬は決して少なくありません。
一般的に血圧、心臓血管系、不整脈、うつ病などの精神科領域の薬とステロイドなどを
素人判断で突然中止してはなりません。
決して
決して
決して。
3回言いましたよ。いいですね。
以上を理解した上でお読み下さい。

If a drug is not working, stop it.
効いていないと思う薬は、処方するのを止めなさい。

Use the smallest number of drugs possible.
どうしてもこれ以上減らせないと思う位、薬の種類を減らしなさい。

Stop all drugs if possible.
If impossible, stop as many as possible.
ひょっとしてこの患者にはどの薬も要らないんじゃないかと自問して、
可能ならすべての薬を止めなさい。
それが無理なら、止められるだけの薬を止めなさい。

There is no such thing as an organ-specific drug.
All drugs work throughout the body.
ある臓器だけに効く薬などというものはない。
薬はすべて身体全体に作用を及ぼす。

Use as few drugs as possible in your practice.
Know these in detail.
他人はどうあれ、少なくともあなたは最小限の薬を使う努力をしなさい。
そしてそのわずかに残った薬について知悉しなさい。

When a patient comes to you taking drugs you do not know,
read about them-
and then stop as many as possible.
紹介で来る患者の多くは、当然あなたの知らない薬を処方されている。
何を処方されているかを確かめて、
可能な限り減らしなさい。

たった2ページの間にこんなにも同じ意味合いの箴言が続いているのにはわけがある。
医者は一度出した薬を中止しないので
まるで単純増加関数のように薬の種類はどんどん増えていくのだ。

もちろん患者の病態をきちんと把握した上でやむを得ずたくさんの薬を処方する場合もあるが
あまり感心しない理由で処方していることもある。

薬には大きく分けて三つの種類がある。
A.効果がはっきりしているぶん副作用も出やすい薬
B.その病態に対し使った方がよいとされているがAほどはっきり効果の見えない薬
C.効いているのか効いていないのかよくわからない薬

Aのタイプの薬は管理に気を遣うので、要らないと思ったら医者は自ら進んで減らすか止めるかする。
Bのタイプの薬は医者が半ば義務的に処方している薬で、これは基本的に延々と続く。
さて、問題はCのタイプの薬だ。

効いているのか効いていないのかよくわからないならなぜ処方するのか。
その理由は主に四つある。
1.医者はその有効性に半信半疑だが患者が要求するので仕方なく処方する
2.症状がなかなか取れず、かといって何もしないというわけにもいかないので処方する
3.うるさい患者を追い払うために処方する
4.いつからどんな理由で始まった薬かを調べる時間や気力がないので処方する

え~!?何それ!
許せない!
だめじゃないか!

いや、ごもっともです。
だめなんです。
ほんとに。

だめなんだけれども、
Cのタイプの薬は実は非常に多いし
こういったダメな処方の仕方をなくすことはむつかしい。
誰かがこんなダメなやり方を推奨したわけではないし
医者自身もこのやり方に決して満足しているわけではない。

ただこういった自然発生的に生まれてきたものややり方というのは
やはり何らかの存在理由があるから生まれて存続しているわけで
一人一人の医者が自分自身で減らす努力をするしかないと思う。
いくら言い訳をしても火に油を注ぐだけなのでこれ以上は述べませんが。

特に3.
これは医者が腐ってきた時に見られる徴候です。
大学を卒業して意気揚々と医療を始めても
数年経つと医者は徐々におかしくなってくる。
医者が狂いもせず腐りもせず、まともな心を維持したたままでいつづけることはむつかしい。
狂うというのは、功名心に心を奪われて症例をデータとして扱うことです。
腐るというのは、どうせ自分には大したことは出来ないと観念して惰性で診療を行うことです。
これはおそらく医者に限らず何らかの特別な権能を付与された職種に一般的に見られる現象かもしれません。
私自身もこの可能性から免れているわけではありません。
狂わず腐らず生きていくためにはどうしたらよいか。
たぶんその答えはユーモアです。

2010/05/04

唯一の結論

There is no blood or urine test to differentiate a well person from a sick one.
健常人を病人と区別出来る血液・尿検査は存在しない。

この箴言を別の言葉で言い替えると
検査結果で病気の存在を否定することは出来ない。
となる。

否定したい。
特に医者が戦意を失っている時には。
我々は何となくそれが隠れ蓑であることを感じている。
それを自分に許してもよいかどうかは、
患者の訴えが自分の中で腑に落ちたかどうかだ。
どうしても腑に落ちなければ、
もう一度考え直さなければなるまい。

The only way to determine if a person is well or sick is to
listen,
look carefully,
ask good questions,
and make a sound clinical decision.

その人が病気かどうかを知る唯一の方法は、
よく聴いて
注意深く観察し
的確な質問をして
腑に落ちる結論を導き出す以外にはない。

2010/05/03

Royal Touch

Touch the patient, even if you only shake hands or feel the pulse, especially with old people. But not with paranoids.
握手するか、脈を取るだけでもよいから患者に触れなさい。特に高齢者には。ただし妄想性人格障害は除く。

僕はむかし京都で大学浪人をしていました。大学受験の願書と一緒に提出する健康診断書をもらうために開業医の診察を受けた際に僕の胸部レントゲンを見てその先生はひとことこう言いました。「弱虫の心臓やね」
えーと(笑)、これは滴状心といって胸郭の幅に比べて心臓のサイズが小さいことを彼はそのように表現したわけですが何気なく言った一言を以後30年以上にわたってその青年が覚えているとは彼も予想できなかったでしょう。

また逆の立場の出来事もあります。僕がずっと以前勤めていた病院の僕が一番信頼し親しく思っていた内視鏡室のスタッフの看護婦さんが退職することになりその送別会で彼女が言った一言。
「先生は職員健診の時に私の小さな胸を見てクスッと笑ったでしょう」
僕は彼女のこの言葉に飛び上がるほど驚きました。
一般的に医者は患者の診察をする時に、異性であっても性的な関心で相手を見ることはありません。しかも相手のバストの大きさを値踏みするような気持ちは微塵もないのです。だからその時に僕の表情が笑っているように見えたとしたらそれは相手の緊張をほぐすためだったのかもしれないけど。
そんなつもりでなかったのに、自分の発言や表情や行動が患者に過剰とも言える影響を及ぼしていることは僕の20年以上の医者としての経歴の中でも、その多くがむしろ苦渋の記憶として蓄積されてきました。

さて、一般的に医者は自分の発言や行動を過剰に過小評価しています。
何気なく言った言葉や、その時の自分のちょっとした表情が、患者やその家族の生涯を貫くほど影響力があることをほとんどの医者は自覚していません。
僕らは職業柄、お医者さんってたいへんな仕事ですよねとよく言われます。それに対し僕は「いや、そんなことはないです。ほかの職業と同じですよ。大変なのはどの仕事も同じです。」といつも答えます。医者は皆さんが思っているほど自分たちの仕事を特殊だとは思っていないのです。警察官だって消防士だって人の命に関わる仕事ですし政治家や教師などもひとびとの生活や人生に大きな影響力のある仕事です。

でも最近は、ちょっと違うのかもしれないと考えています。
むしろ僕たちは自分たちの仕事を、あえて特別視すべきなのかもしれない。
それは威張るとかじゃなくて、自分の影響力の大きさをもっと過大評価すべきだということです。一般の方から見れば、今更何を言ってるんだと思われるかもしれませんが。今僕は自分が取り扱っているテーマが、非常に誤解されやすいデリケートなテーマであることを自覚しています。医師という仕事が特殊なものであるとあえて述べることがすぐに傲慢さに直結するからです。だから僕たちは自分たちのことを意識的に卑下したり謙遜したりする。僕はこのデリケートな問題をスッキリさせるために、人とその仕事をわけて考えたいと思います。

二十歳代前半の世間知らずの若者が、いったん白衣を着て病院の廊下を歩くと若者よりもずっと人生経験豊富な年配の人たちからお辞儀される。
自分が偉くなったと誤解してはならない。
彼等はなぜあなたにお辞儀するのか。
それは美術館で素晴らしい絵画を観て人々が感嘆の声を上げるのを額縁が自分が偉いと勘違いしてしまうようなものだ。
あなた自身は絵の外枠に過ぎない。あなたは人類が営々と蓄えてきた生命と病と死に関する知識と知恵の、ただかりそめの窓口なのだ。
人の価値は、あなたという窓枠がどんな風を招き入れるかで決まる。たまたまあなたが、非常に重要な場所の窓枠に指定されただけなのだ。あなたがいなくなったら、またそこに別の窓枠がはめ込まれるだろう。

だから僕はあなたに言う。あなた自身は何者でもない。
ただ、今たまたまあなたは人類にとって重要な場所にいる。
人々は、あなたが特別な場所にいて特別な風を吹かせてくれることで、あなたを特別な窓枠だと考えるだろう。
だからあなたが善意の医者ならそれを意識して利用しなさい。
あなたは触るだけで患者を治すことができるだろう。
だがその一方であなたの一言で患者は死んでしまうのだ。







2010/05/02

去り際の一言

The last statement a patient makes as you leave the room is very important.
病室を後にしようとあなたが立ち上がった時に患者が発する最後の言葉に気を付けなさい。

Listen carefully when a patient prefaces a comment with, "This may not be important, but..."
患者が「たぶん関係ないと思うんですが・・」で語り始めた話に耳をそばだてなさい。


なぜ患者は最も大事なサインをきまって診察室をあとにする直前に発するのだろう。
その理由を考えてみました。

僕たちは日々、脳が創り出すお話の中を生きている。
でもナマの現実はお話とは無関係な出来事から成り立っているので
自分に都合の悪いものは無意識の納屋にどんどん放り込まれていく。
山積みになった不都合な現実は納屋からあふれ出し、やがて悪臭を放ち出す。

無意識君は、現実を仕分けしてお話を作っている意識君に
「もう満杯で、何かマズイことがおこりそう。何とかしてもらえない?」
と相談を持ちかけた。

でも意識君はこれに全く耳を貸さず、バタンと意識の扉を閉じてしまった。
困った無意識君はなかよしのカラダ君に相談した。

「意識君は僕の言うことを全然聞いてくれないんだよ」
「うーん、そうかわかった。僕が何とかするよ」

カラダ君は意識君の言うことを聞かないという作戦に出た。

意識君「あれ?最近なんか、身体が重いな。
目もしょぼしょぼするし立ちくらみもする。
よし、根性で乗り切るぞ」

困ったカラダ君は次に痛みのロープを引いた。
だが驚いたことに意識君は何の反応もしない。
意識君は扉を閉じているので痛みを感じないのだ。

不都合な現実はその後も増え続け、やがてその中に病気が発生してきた。
さすがに意識君も何かがおかしいと感じて病院へ行った。

意識君は医者に今感じている身体の不調を自分で考えたお話に翻訳してしゃべる。
「最近つきあいで暴飲暴食が続いているせいか、なんとなく胃腸の調子が悪いんです」

医者「わかりました。消化薬と制酸剤を出しておきましょう」
意識君は納得し、帰ろうとして立ち上がりドアの方に向かう。
無意識君は慌てた。
せっかく病院まで来たのにこのまま帰ってしまったら大変だ。
無意識君はカラダ君に緊急警報を発令した。
「何とか意識君を思いとどまらせて!」
「わかった」。カラダ君は痛みのロープを思いっきり引っ張る。
痛みは固く閉ざされていた意識君の扉を激しく叩く。
ガンガンガンガン!

意識君は握っていた診察室のドアのノブから手を離し、振り向いてこう言った
「あ、そういえば最近背中のあたりが時々痛むんです」
医者「そうですか。じゃあ湿布も一緒に出しておきましょう」


えーと、これはつまり
「関係ないかもしれないけど、いちおう言っておいた方がいいかもしれない」
と患者が考えたことが、実は一番大事だったりするという話です。

何なんでしょうね。
つまりそれは意識が無意識の叫びに耳を傾けた瞬間なのでしょう。
部屋を出る瞬間に、意識は何となく何かを言い忘れたような気がする。
そしてそれを懸命に思い出そうとする。
そのときに無意識がカラダからの訴えを意識に届ける。
意識が自分のお話を話し終えてからでないと、無意識は登場できないのかもしれない。

僕たちはその声を聞き届けることが出来るだろうか。
意識と無意識の間にある扉はなかなか開かない。
そして抑圧されたものはその姿を変えて検問を突破し意識の表層に姿を現す(®内田樹氏(※))。

タイトルをアフォリズムNo.4にしようかどうか悩んだんですが
今回からわかりやすいタイトルにすることにしました。


※:後日記:僕自身彼の著作や京大での講義などから深い共感と示唆を与えていただいたし彼のユーモアも好きなのだが10年ほど前から彼の言動がどんどん左傾化していくにつれ呆れるとともにとても残念に思っている。彼ほどの知性がなぜあんな猿馬見れんだろな世界に入っていったのかは謎でしかない。返す返すも残念




2010/04/30

アフォリズムNo.3

Don't look for zebra.

これは今取り上げている本には載っていません。
いつ覚えた言葉かは忘れてしまいましたが、強い印象と共に記憶した言葉。

シマウマを探すな。

これじゃ何のことかわかりませんね。
略さずに書くと
When you hear hoofbeats, don’t look for zebras.

背後でパカランパカランという蹄(ひづめ)の音がしたら
あ、シマウマだ、と誰が想像するだろうか、いや誰も想像しまい。
そうです。ひづめの音が聞こえたら、普通は馬を想像するわけです。
シマウマよりも馬に出会う可能性のほうがずっと高いですもんね。

つまりこれは安易に珍しい病名を思いつくことを戒める箴言です。

症状、身体所見、画像所見、血液生化学検査などの複数のサインが
すべてたったひとつの疾患を指し示しているなら話は簡単です。
でも実際の現場ではひとつの疾患ですべてのサインを合理的に説明できることは
むしろまれですし、矛盾するサインが同居していることもよくあります。

ではどうするか。

すべてのサインを説明できるような非常に珍しい病気を一つ考えるか
あるいは複数の病気の併存を考えるか。

前者がシマウマであることはおわかりと思いますが
いずれも情報の軽重を勘案していないという点では同じです。
全ての情報を等しく扱おうとすると、必然的に
全部のサインを網羅する珍しい疾患を考えるか
複数の疾患で全部のサインをおおわなくてはならないからです。

旧約聖書に「天の下に新しきものなし」という言葉がありますが
出来るだけポピュラーな病気を第一に考えるべきでしょう。
どの情報が重要で、どの情報は無視しても良いのかを知らなければなりません。

そのために必要なのは経験です。
経験が十分でない場合はどうすればよいでしょう。
この箴言はそのときに意味を持つのです。







アフォリズム No.2

Always examine the part that hurts. Put your hand on the area.

examineというのは、詳しく調べるという意味。
直訳すれば
痛む場所を常に詳しく調べなさい。あなたの手をそこに当ててみなさい。

ごく当たり前のことだ。
そんなわかりきったことを、なぜあえて書くのか。
もしあなたが医者なら、それが必ずしも当たり前ではないことを知っているだろう。

医者は患者の訴えを聴きながら何を考えているのか。
それはある種の連想ゲームに似ている。
パエリア、セルバンテス、サグラダ・ファミリアと聞いてスペインを連想するように
医師はいくつかのキーワードに共通する疾患を連想する。

だが患者の訴えは多岐にわたる。
それら全てが今患者を悩ませている特定の疾患を指し示しているのではない。
洪水のあと滔々と目の前の河を流れていく椅子や机やその他諸々の家具のなかから
医者は判断の材料になる家具だけを河から引きあげていく。
そして疾患名の目星が付いたら、その疾患に特有の徴候がないかを直接患者から聴き出したり、患者の身体を見たり触ったりして確かめる。

問題は、医師が「わかった」と思ったあとなのだ。
わかってしまったあとでは、何が河を流れていこうと医師はそれを河から引き上げない。
たとえ河をイタリアの国旗が流れていこうとも、スペインはスペインなのだ。

そして、えてして最も重要な情報は患者が診察室をあとにする直前に発せられる。必ず。
「そういえば数日前から右の腰のあたりが少し痛むんです」
医者はキーボードを叩きながらこう言う。
「わかりました。湿布を出しておきましょう」

ああ、我々はこれで何度痛い目にあったことか。

患者が痛いという場所は、必ずそこを手で触って確認しなければならない。
手で触るためには、そこにある衣類をどけて、まずそこを見なければならない。
胸痛を主訴に来院した患者に、あなたが心電図と心エコーと採血をオーダーする前にそこを見れば
わずかな発疹を発見して初期の帯状疱疹だと判断できるかもしれない。
痛みを訴える老人の膝を触れば、その熱感と腫脹から偽痛風と診断が付くかもしれない。

だがそれらはすべて見て、触ることからしか始まらない。
そして我々がそこを見ず、触りもしない理由は同業の故に痛いほどわかるのだが、
それゆえにこそこれは守るべきルールのひとつなのだ。





2010/04/29

アフォリズム




吸引細胞診の勉強で1992年に渡米した時、大学の生協でこの本を見つけた。
これは医師が守るべきルールを集めた小さな本である。
編者が医師としての短かからぬ経歴の中で少しずつ拾い集めた425の箴言が記載されている。

僕自身はこの本から多くを学んだ。
研修委員長をしていた頃はレジデントが修練期間を終える時に1本のワインにこの本を付けてプレゼントしたりした。

いずれこのブログで取り上げたいと思っていたが、日本ではすでに翻訳本が市場にあるため、僕が勝手に訳してブログに掲載すると著作権法に違反する可能性もあるだろう。

ただこういったアフォリズムは編者も述べているとおり、誰がその箴言を思いついたかよりも、無名の医師が口にし、その有用性によって人口に膾炙していくことによって命脈を保っていくものだから、その職務に従事するものにとっての共通の財産と考えるべきだろう。

あからさまに著作権に抵触しないよう、一回に一文だけを取り上げていきたいと思う。
またここに取り上げる箴言は網羅的ではなくかつ逐次的でもない。
その記念すべき一回目に取り上げる箴言は、

Sit down when you talk with patients.

中学で習う単語ばかりで出来た短い一文。
「患者と話をする時には、座りなさい」

この一文を読んだだけで、ざわついていた心のおりが底に沈んで、
僕の心はしーんとする。

立ったまま患者と話をしてはならない。
通りすがりに患者と話をしてはならない。
立ち去りながら患者に話をしてはならない。

つまり、そういうことだ。






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