2021/02/07
#107
去年の12月にようやく小林秀雄の本居宣長を読み終えた。
秋山(大学浪人時代の友人)とは直接約束を取り交わしたわけではない。秋山が、学問というものに対する憧れや尊敬の念をこの本から学んだのだと誰にともなく独白したことが、自らに課した約束として四十年後の僕にそれを果たさせたのだ。
僕にとって読書というのはその人の世界に入ることだ。その人の世界に入ってひたすら歩く。その世界では晴れの時もあれば曇りや雨の時もある。著者の言うことがとてもよく理解できるときは晴れで、よくわからないときは曇り、さっぱりわからないときは雨だとすると、本居宣長はずっと曇りで時々大雨。上下2巻をずっと曇天の中歩き通した。そうして僕は秋山との一方的な約束を果たしたわけだ。
曇り空の下や雨の中を歩くのはそれほど嫌いじゃない。多くの読書好きは歩くという習慣が身についている。でもあまり曇天ばかりが続いてまったく晴れ間が見えないとさすがに途中で投げ出してしまう。本居宣長に関しては約束だったこともあり例外的に読み通すことが出来た。しかしノドに骨が刺さったままだったので続いて橋本治の「小林秀雄の恵み」を読んだら例によって例のごとく彼は結ぼれをきれいにほどいてくれた。この本も曇りはないわけではない。しかし本の序盤の解錠の喜びが最後まで読み通させるモチーフとなる。晴れたり曇ったりだ。しかし晴れている部分はとても快晴で、「なるほど!」と膝を打つ。それは僕にとって読書の喜びそのものだ。
2020/12/26
橋本治の恵み
令和2年12月26日(土)
今読んでいるのは橋本治の「小林秀雄の恵み」と「ひらがな日本美術史第4巻」。
どちらもすでに絶版だが、特にひらがな日本美術史は1~7巻のうち第5巻は絶版中の絶版で、新潮社に再販のメールを出したが返事はなく某サイトで奇跡的に見つけてようやく全巻揃えることができた。
小林秀雄の恵みもひらがな日本美術史もどちらもすごく面白い。つくづく橋本治はこんがらがったヒモを解く名人だなと思う。まだ途中までしか読んでいないが、特に前者ではあざやかにヒモを解いたあと、なぜそれほどまでにこんがらがってしまったのかを丹念に辿っていくという道程がすなわち小林秀雄に対する尊敬と愛情の道程でもあって、それが本の題名になっている。
ゆうべ夜中に橋本治がどうして巨額の借金をしていたのか知りたくなって寝床でiPhoneで調べてみたら、バブル崩壊の直前に41歳の彼は1億8000万円のマンションをローンで買って(買わされて?)、亡くなる70歳で完済するまで毎月百万円の返済をしていたため返済総額は5億円にのぼるほどだったことや、担わされたマンションの管理組合理事長の重責によるストレスからか62歳で難病の顕微鏡的多発血管炎(MPA)に罹患して狭心症や腎不全も合併しカリニ肺炎にも罹患していたことや、亡くなる1年前に上顎洞癌の手術も受けていたことを知った。
名著も多いがとっちらかった内容の本も混交しているのは文字通り自転車操業を余儀なくされていた事情もあるだろうが、彼自身も述懐しているように仮に借金していなくても生涯著作を量産し続ける人生だったろう。読者にとってそれは文字通り「橋本治の恵み」であり、いわば彼は爆走するソリからプレゼントを撒き散らしながら去っていく病気と借金まみれのサンタクロースだった。
遅まきながらメリークリスマス。
2019/10/07
橋本治さん
モノゴトというのはこの世に生まれたときには素直なわかりやすい姿をしているが、時代が経ると当時の空気が消えたり後の世の人がひねくりまわしたりして最初の姿が見えにくくなる。
あるいは最初からわかりにくいものというのもあってそれは当事者が事態を消化しきれずにあるいは消化するとマズイために未消化なまま世間にプレゼンしてしまってその結果わかりにくいモノゴトという事態が出来する。
そういうわかりにくいモノゴトというのはいわばこんがらがってほどけなくなったヒモのようなものなのだが、こんがらがっている状態をありがたがったり、こんがらがっているなら難しいからわからないものとして食わず嫌いしている世間の人が多くてそこに登場するのが橋本治というひとだ。
橋本治とはなにものだったかを一言でいうなら「ひもをほどくひと」。
ひもをほどいて、もとのすがたをみんなにみてもらいたがっているひと。
彼にしてみれば世間の人たちが「もつれているもの」をなぜありがたがるのかがわからない。もつれはもつれにしかすぎない。そんなものをありがたがったり敬遠したりするのはおかしいしもったいないことだと彼は考えたのだろう。
もつれをほどいてみたらなにもないただのひものこともある。それを、神妙な顔でもっともつれさせて威張っているひとに騙されて無駄な時間を送っているひとの目をサマさせたりすることが、彼は好きだったんだろう。
あるいはこんがらがっているひもをほどいていったら原初の結ぼれ(ノット)、それは最初にそのノットを驚き楽しんだ人が世間にプレゼンした原初のノットがみえてくることもある。原初のノットはこんなに可愛らしい、あるいは美しい形をしていたんですよというふうに、ほどいてみせることが好きなひとだったんじゃないかという気がする。
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