2019/07/28

シダの森とアンリ・ルソー

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Nikon D800E AF MICRO NIKKOR 2.8/55
 
 
僕はアンリ・ルソーの絵が好きで特に彼の熱帯の密林に描かれる植物たちの表情に果てしなく心惹かれる。
はじめて彼の絵を見たのは中学校の美術の教科書だった。夕暮れに密林で黒人がジャガーに襲われている絵だった。凄惨な場面なのに絵全体が醸す雰囲気はとても静かで冷たく、影絵のような黒い男に襲いかかるジャガーがまるで大きな猫がじゃれてもたれているだけのように見えるのがかえって不気味だった。そして様々な不思議な形をした植物がこの出来事を取り囲んでおり花々は喜ばしげに咲いているのだ。
なぜこんな密林に男がひとりで迷い込んだだろう。こんな密林の中で誰にも知られず男は食い殺されてしまうのだ。その男の死にもまして中学生だった僕の心をドキドキさせたのはやはりエロスとタナトスが渾然となった妖しい雰囲気だったのだと思う。
 
 

 
 
 


2019/07/27

Nikon D800E

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Nikon D800E AF MICRO NIKKOR 2.8/55
 

 2012年の4月にNikon D800Eを買った。 
去年の夏まで使っていたが秋にライカを買ってからは全く使わなくなってしまった。
もう売ってしまおうかとも考えたが僕にとってこのカメラとの付き合いが一番長くて思い出も多い。

今朝早朝ウォーキングをしながら雨に濡れる落ち葉を見て久しぶりにD800Eを使いたくなった。
ライカを夢見ていた頃はライカを持っていないことの意味が大きかったが手に入れてしまって興奮が冷めた今ようやくライカとニコンは並列で、それぞれがone and onlyだと気が付いた。

それでバッテリーを充電して、レンズは愛用のマイクロニッコールを付けて雨のなか山へ写真を撮りに行った。
大きくて重いカメラだけどさすがに7年間使ってきただけあって手に馴染む。シャッター音もフォーカシング音も切れが良い。
また使うことにしよう。 
 
 
 
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2019/07/22

a tender smile

a tender smile
Olympus OM-D E-M1 M.ZUIKO DIGITAL 17mm F1.8



雨の牧場
薄暗い厩舎で出会った
愛らしい一頭の仔羊



2019/07/19

lotus

Lotus
Olympus OM-D E-M1 Carl Zeiss Apo-Sonnar T* 2/135










2019/07/18

互恵的利他行動

two lotuses
Olympus OM-D E-M1 Carl Zeiss Apo-Sonnar T* 2/135
 
 
 
以前京大の霊長類研究所で行われた実験をヒントに考えたことを書いてみたいと思います。
それはこのような実験です。
 
第一の実験
二匹のチンパンジーを別々の部屋に入れる。
2つの部屋は透明な隔壁で仕切られており相手の行動が見える。
それぞれの部屋にはリンゴの自販機がある。
Aの部屋のチンパンジーにコインを渡す。
チンパンジーはリンゴが出てくると思ってコインを入れる。
するとBの部屋の自販機からリンゴが出てきた。
当然Bの部屋のチンパンジーは喜んでリンゴを食べる。
がっかりするAのチンパンジー。
今度はBの部屋のチンパンジーにコインを与える。
Bの部屋のチンパンジーがコインを入れたことでAの部屋のチンパンジーもリンゴにありつくことができた。
以後互いに相手にリンゴを与えたら自分もリンゴをもらえると知ってこの行動パターンは存続する。
 
第二の実験
Aの部屋のチンパンジーにコインを与える。
チンパンジーはコインを入れる。
すぐにそのチンパンジーに複数個のコインを与える。
Aのチンパンジーはコインを入れ続ける(おいB!、お前もはやくそっちでコインをれておれにリンゴをよこせ!)
しかしBのチンパンジーは立て続けに出てくるリンゴに喜んで食べるばかりで研究員が渡すコインに見向きもしない。
やがてAのチンパンジーはコインを入れるのをやめ、Bも同じ過程を経てコインを入れなくなる。
二匹のチンパンジーはどちらもコインを入れず、どちらもリンゴにありつくことができない。
 
京大霊長類研究所の松沢哲郎教授はこの実験についての記事の最後にこう述べている。
 『人間はそうではない。母親が子どもの口元に「あーんして」とリンゴを持って行くと、子どもは次の1切れをつまんで「お母さんも」と母親の口に持って行く。大人も子どもも、自然と相手のための行動を取る。その結果、互いに相手のために行動しあう「互恵的利他行動」が生まれる。
 チンパンジーには、こうした互恵的利他行動ができない。互いに硬貨を投入し合えばリンゴを食べられるのに、相手だけに利益があることはしたくない。互いに助け合うことができないまま、無為に時間が過ぎてゆく。人間は、困っている相手を見ると、他人でも進んで手を差し伸べる。池で溺れかけている人がいれば、飛び込んで助けようとすることさえある。
 困っている人を見過ごしにできない。これは、霊長類の中でも人間だけに見られる特質だ。人間は互いに助け合うようにできている。』
 
人間に置き換えて考えてみる。
第二の実験のようにいつまでたってもBの人物がコインを入れないのにAの人物があきらめずにコインを入れ続けるかどうかは疑問だ。
Bの人物が断固としてコインを入れない可能性もある。
しかしそれは実際にはマレなのだ。
 
それはA(の人物)がコインを入れ続けてB(の人物)がリンゴを食べ続けている間に、まずBの心には「やましさ」や「Aに対する憐憫」や「Aに対する負い目」が生まれ、その心的ストレスを解消するためにいずれBはコインを入れるだろうからである。
AはAで「Bはそこまで人間の心を失っていないだろう」と信じてコインを入れ続ける。
 
だが我々は知っている。世の中には諦観や絶望でコインを入れないAや、呪いや復讐や自分の主義のためにコインを入れないBのようなひとがいることを。
長期にわたって、平然とこのような非人間的な行動をとることができるひとがいるのだ。

こういった、いわゆる世間的に「悪」とみなされる行動がなぜ可能なのかについて一番理解しやすいのは、結局ひとはそれぞれ自分の物語を生きていて、その中の主人公である自分の行動は「物語の中では整合性を保っている」ということだ。
 
だがこのような非人間的な行動をとるそれぞれの理由がいかに(本人たちにとっては)合理的であったとしても、松沢教授が言うように「互恵的利他行動」が人間に備わっている本能的な欲求であるならば、そのような非人間的な行動は本人にとって心的ストレスになっているだろうし、心の物語の中で整合性がとれていても本能(身体)との間にギクシャク感が残って、それはずっと沈殿していくだろう。
ではこのような心的ストレスは人にどのような影響を及ぼすだろうか。
 
ユング心理学者の河合隼雄先生が「自分の心が納得して売春しているのに何が悪いのか」とある少女から言われた時、先生は「売春は心には悪くないけど魂に良くないよ」と言ったという。
それは、「売る側も買う側もハッピーなんだからなんの問題もないとする彼女の頭によって言いくるめられた心」と「本当はこんなことはしたくないという心の深い部分や本能」との間の統合性が損なわれるからではないか。
僕は魂というのは無意識の中で「頭と心と身体の統合性を担っている場所」のことではないかと考えている。
 
ひとはみな自分の物語を生きている。
自分の行動は物語の中では整合性を保っていても心の深い部分や本能(身体)との不整合があると魂はアラート(警告)を発する。アラートは夢に現れたり、物語(心)に対し修正を要求したり、身体にサイン(病気)を送ったりしているのかもしれない。



2019/07/14

this way, please.

this way, please.
Leica M10-P Nokton Classic 35mm F1.4 MC



人生はままならないものだ
高い完成度を求めるひとにも
そうでないひとにも
 
人生はままならないものだ
三車線道路の右端をぶっ飛ばしているひとにも
路肩に車輪が挟まって動けなくなっているひとにも
 
人生はままならないものだ
それが他人のせいであれ
自分のせいであれ
運命のせいであれ
 
そんなとき彼女は私の背中に
ピシャリと湿布を貼りながら云う
C'est la vie(セ・ラ・ヴィ)
人生とはそういうもの



2019/07/13

ドロップシャドウ




こういうぼんやりした影のようなフレームをつけてみたかったんですが長い間どうすればいいかわからなかった。
ようやくその方法がわかったので書き留めておきます。


まずPhotoshopで画像を開きます。
次にレイヤーパネルの「背景」をダブルクリックします↓














すると↓のようなパネルが現れるのでOKします。








すると「背景」が「レイヤー0」に変わります↓













次にメニューバーのイメージ→カンバスサイズを開くと↓



















カンバスのサイズを聞いてくるので幅・高さを500pixelに指定します↓



















カンバスサイズを指定してOKをクリックすると画面がこのようになっているはずです↓























次にメニューバーのレイヤー→レイヤースタイル→ドロップシャドウを開きます↓



































するとこのようなドロップシャドウを細かく指定するための画面が現れます↓
(いい忘れましたがドロップシャドウというのは文字や画像に影をつける操作のことです)























不透明度を80%、角度135°、距離100px、サイズ150pxにします↑
これはトップの紫陽花の写真での設定です。
不透明度は影の濃さ、角度は影の出る方向、距離は影の長さ、サイズは影のボケ具合です。これは好みなのでみなさんお好きに変更して試してみて下さい。


最後にメニューバーのレイヤー→画像を統合すると↓




















完成です。






















慣れれば手間ではありませんが流れをアクションに覚えさせれば次回からはファンクションキー一発でできるでしょう。

付記
僕のブログは背景画面が白なので白いカンバスが消えて影だけが見えます。しかし違う背景色のひとはカンバスカラーをその背景色に一致させなければなりません。
その方法も簡単に追記しておきます。

まずあなたのブログの背景色を知る必要があります。
ブログ作成時の設定を確認するか、フリーソフトのカラーピッカーなどで調べて下さい。ちなみに僕のブログの背景色はカラーピッカーで調べると色値がFFFFFFでした。

さっきの行程の最後の画像の統合する前の状態からスタートです。
メニューバーのレイヤー→新規塗りつぶしレイヤー→ベタ塗り→カラーを赤に指定してOK→ブログの背景の色値を指定→メニューバーのレイヤー→新規→レイヤーから背景へ→メニューバーのレイヤー→画像を統合

以上です。もっと簡単な方法があるのかもしれませんがとりあえず。




2019/07/06

go your own way

go your own way
Leica M10-P Ai Nikkor 50mm f/1.2







自分の道を行け
たったひとりで
自分だけの穴を掘れ








2019/07/04

心の霧箱

rainy
Leica M10-P Noctilux-M 50mm F0.95

 
 
普段の社会生活では心の網の目を広くしておかないといろんなものが引っかかって事が進まない。
広い網の目に引っかかるほどの重大事を優先的に処理していってそれがすんだら次第に網の目を狭めていくということをする。

写真を撮るときはそうではない。
カメラを持って散歩するとき私は大きな問題のない世界を歩いている。
そこで私は網の目を狭めて普段なら引っかからないような小さなものに気をかけている。

それは探したり捉えようとすると逃げてしまうので私の心はばかのようにうつろで、荷電粒子の通過を待つ霧箱のようなものだ。

高架から階段を降りて高架の下をくぐり川沿いに再び高架をくぐって階段に戻る途中ぼんやり歩いて通り過ぎて、そのとき心の蜘蛛の巣に付いた微小な水滴のネックレスが揺れた。そこで私は立ち止まり歩みを戻して雨に濡れたブロック塀の隙間から生える草と信号の光を撮ったのだ。




2019/07/03

reflection #2

reflection
Leica M10-P Ai Nikkor 50mm f/1.2













2019/07/01

reflection #1

reflection
Leica M10-P Ai Nikkor 50mm f/1.2












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