医師が患者や家族に病状などを説明することをムンテラと言うが
僕の以前の同僚はムンテラを原因とする家族との軋轢が多くて
両者の間で悩む看護婦さんからよく相談を受けた。
なぜ彼はいつも家族の怒りを買うのか。
一度僕は彼のムンテラを垣間見る機会があってその理由がわかった。
彼は笑っていた。
真剣に話しているのに医師が笑っていたら
家族はたぶん馬鹿にされたように感じるだろう。
僕は彼に忠告すべきだろうか。
こんな簡単なことに、なぜ彼自身気が付かないのだろう。
だがおそらく彼は無意識のうちに笑っているのだ。
なぜ彼はいつも決まって大切な場面で笑うのだろう。
そしてある時僕はわかったのだ。
彼は緊張しているのだ。
人は緊張すると笑うのだ。
人は往々にして窮地に追い込まれると笑う。
本人は気付いていないが、これは
「私が困っていることをわかって欲しい。そして一緒に笑って」というサインなのだ。
そしてこの現象は医師側と患者側の認識に乖離があって
その乖離のあまりの大きさに医師が困惑している時にしばしば出現する。
これは決してまれな現象ではない。
そして実は僕自身も以前同じ過ちで患者や家族を非常に深く傷つけてしまったことを思い出した。
それは僕の医師としてのキャリアの中でもとりわけ思い出したくない記憶の一つだ。
ひとごとでは、なかったのだ。
患者さんへの説明の場面で笑ってしまう医師の話、重要な話ですね。やはり忠告してあげないと同じことが繰り返されて、患者さんや患者さんの家族が不幸になってしまうように思いますが、「誰がネコに鈴をつけるのか」という命題のように、じゃあ、誰がそれをするのか、、、というのが難しい問題ですね。手紙やメールなどワンクッションが必要かもしれません。言うはやすしですね。。。。
返信削除ふとピート・サンプラスというプロテニスプレーヤーのことを思い出しました。彼は、世界ランク一位のすばらしいプレーヤーでしたが、プレー中にぺろぺろ舌を出したり、にやにや笑っていると受け取られかねない顔をするということが批判の的になりました。たぶん癖なのでしょうけど、彼はそれを修正して試合に望むようになりました。最初は少し苦戦する時期がありましたが、見事にそれを乗り越えて頂点を極めて行きました。
口角の上がった「笑顔」顔にはあこがれます。自然と笑顔のような雰囲気をかもし出した顔になりたいなぁとは思うのですが、それをうまく使いこなさないと人と接する医師の仕事としては厳しいのかもしれません。
とっても考えさせられました。shinさん、ありがとうございます。
試合に「望む」じゃなくて「臨む」でしたねぇ。。。
返信削除しかし、あまり深刻な顔して言われても不安が倍増するのではないでしょうか?以前、産婦人科のお医者様に子宮摘出の可能性もあるとニコニコしながら言われたことがあります。彼女も私と同年代でご自信も経験されており、もういらないでしょ?というカンジでした。私もそういわれればそういうものかな?とそのときは思いましたが、あとで友達にそのことを話すとびっくりして、そんな簡単にいうなんて、と憤っていたので、人によってもずいぶん受け取り方も違うなーと思いました。その後そのお医者様の推薦で別の専門医にもみていただき、子宮摘出は必要ないとのことでした。元のお医者様にもよかったねーと言われました。患者を安心させると言うことも大事ではないでしょうか?そのための笑いならいいのでは?
返信削除みゆさんありがとうございます。
返信削除医師が役者になるというとネガティヴなイメージしかありませんが
立場上大きな影響力のあるひとは、自らの発言や表情さらには一挙手一投足に至るまで
他人に大きな作用をもたらすことを考えざるを得ません。
そういう意味では自身の「役者」性をむしろ積極的にhandleしなければならないのかもしれないですね。
>ふとピート・サンプラスというプロテニスプレーヤーのことを思い出しました。
無意識にやっていたことを意志の力で矯正するというのは本当に難しいですね。
しかも試合中最も集中している時に出てくる無意識の笑いを消すことが出来たなんてすごい!
Snoopyさんありがとうございます。
返信削除たしかに難しい顔だけしていればいいというもんでもないですね。
難しい(笑)。
以前SMAPの草彅君が主役で出ていた「僕の生きる道」というテレビドラマがありましたが
このドラマに出てくる小日向文世演じる金田医師がとても良かった。
柔和でユーモラスなところがあるけど厳しさもあって。
ポイントを外さないということに尽きるのかな。