2010/05/05

狂わず腐らず生きていく

このブログの読者は一般の方が圧倒的に多いと思うので
まず言っておかなければならないことがあります。
急に止めてはならない薬は決して少なくありません。
一般的に血圧、心臓血管系、不整脈、うつ病などの精神科領域の薬とステロイドなどを
素人判断で突然中止してはなりません。
決して
決して
決して。
3回言いましたよ。いいですね。
以上を理解した上でお読み下さい。

If a drug is not working, stop it.
効いていないと思う薬は、処方するのを止めなさい。

Use the smallest number of drugs possible.
どうしてもこれ以上減らせないと思う位、薬の種類を減らしなさい。

Stop all drugs if possible.
If impossible, stop as many as possible.
ひょっとしてこの患者にはどの薬も要らないんじゃないかと自問して、
可能ならすべての薬を止めなさい。
それが無理なら、止められるだけの薬を止めなさい。

There is no such thing as an organ-specific drug.
All drugs work throughout the body.
ある臓器だけに効く薬などというものはない。
薬はすべて身体全体に作用を及ぼす。

Use as few drugs as possible in your practice.
Know these in detail.
他人はどうあれ、少なくともあなたは最小限の薬を使う努力をしなさい。
そしてそのわずかに残った薬について知悉しなさい。

When a patient comes to you taking drugs you do not know,
read about them-
and then stop as many as possible.
紹介で来る患者の多くは、当然あなたの知らない薬を処方されている。
何を処方されているかを確かめて、
可能な限り減らしなさい。

たった2ページの間にこんなにも同じ意味合いの箴言が続いているのにはわけがある。
医者は一度出した薬を中止しないので
まるで単純増加関数のように薬の種類はどんどん増えていくのだ。

もちろん患者の病態をきちんと把握した上でやむを得ずたくさんの薬を処方する場合もあるが
あまり感心しない理由で処方していることもある。

薬には大きく分けて三つの種類がある。
A.効果がはっきりしているぶん副作用も出やすい薬
B.その病態に対し使った方がよいとされているがAほどはっきり効果の見えない薬
C.効いているのか効いていないのかよくわからない薬

Aのタイプの薬は管理に気を遣うので、要らないと思ったら医者は自ら進んで減らすか止めるかする。
Bのタイプの薬は医者が半ば義務的に処方している薬で、これは基本的に延々と続く。
さて、問題はCのタイプの薬だ。

効いているのか効いていないのかよくわからないならなぜ処方するのか。
その理由は主に四つある。
1.医者はその有効性に半信半疑だが患者が要求するので仕方なく処方する
2.症状がなかなか取れず、かといって何もしないというわけにもいかないので処方する
3.うるさい患者を追い払うために処方する
4.いつからどんな理由で始まった薬かを調べる時間や気力がないので処方する

え~!?何それ!
許せない!
だめじゃないか!

いや、ごもっともです。
だめなんです。
ほんとに。

だめなんだけれども、
Cのタイプの薬は実は非常に多いし
こういったダメな処方の仕方をなくすことはむつかしい。
誰かがこんなダメなやり方を推奨したわけではないし
医者自身もこのやり方に決して満足しているわけではない。

ただこういった自然発生的に生まれてきたものややり方というのは
やはり何らかの存在理由があるから生まれて存続しているわけで
一人一人の医者が自分自身で減らす努力をするしかないと思う。
いくら言い訳をしても火に油を注ぐだけなのでこれ以上は述べませんが。

特に3.
これは医者が腐ってきた時に見られる徴候です。
大学を卒業して意気揚々と医療を始めても
数年経つと医者は徐々におかしくなってくる。
医者が狂いもせず腐りもせず、まともな心を維持したたままでいつづけることはむつかしい。
狂うというのは、功名心に心を奪われて症例をデータとして扱うことです。
腐るというのは、どうせ自分には大したことは出来ないと観念して惰性で診療を行うことです。
これはおそらく医者に限らず何らかの特別な権能を付与された職種に一般的に見られる現象かもしれません。
私自身もこの可能性から免れているわけではありません。
狂わず腐らず生きていくためにはどうしたらよいか。
たぶんその答えはユーモアです。

4 件のコメント:

  1. 一ファン5/07/2010

    初めまして。
    今は臨床にはたずさわっていませんが、同業者です。

    「狂わず腐らず生きていくためにはどうしたらよいか。
    たぶんその答えはユーモアです。」

    とても腑に落ちることばです。
    ありがとうございました。

    ところでDP1による写真、
    よろしければまた拝見させてください。
    素敵な写真がたくさんありましたので
    (もちろん今のEP-2も素晴らしいと思います)。
    我侭なお願いで申し訳ありません。

    返信削除
  2. ありがとうございます。
    同業の方からのあたたかいコメント感謝です。
    楽屋裏を話題にするのはあまり行儀のよいことではないですが
    一般の方と専門職の意識の開離があまりに大きい時には
    こんな拙い文章もお互いの架け橋になってくれるかもしれません。
    というよりも僕はそもそも医学を通じて人間を解釈したいという気持ちがあって
    この本の一つ一つの文章をどう訳すかに触発されながら
    考えたことを文章にするのを僕自身が楽しんでいるというのが本当のところだと思います。

    >ところでDP1による写真・・・。
    ありがとうございます。
    DP1はやっぱり特殊なカメラですね。
    E-P2で撮っているとよけいにそれを感じます。
    あのような、この世ならざる気配はDP1以外ではなかなか作れない。
    ただ僕が最近ほとんどDP1で写真を撮らなくなったのは
    例えばあるものを撮りたくなった時に僕がDP1でこれを撮ったらどんな仕上がりになるか
    撮る前からわかってしまうんです。
    すると撮った後の作業があらかじめ決められた到着点への義務的な作業になってしまう。
    それがいやなんです。
    だから僕は今生理的にDP1を触れない状態が続いています。
    またDP1で写真を撮るようになるんだろうか。
    ちょっとわかりません。
    でも僕がDP1撮った写真を楽しんでいただいていたと知ってとてもうれしいです。
    ありがとうございます。

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  3. 匿名5/07/2010

    >医者が狂いもせず腐りもせず、まともな心を維持したたままでいつづけることはむつかしい

    この理由に、医者というものの責任があまりに大きいということはありませんか

    自分のミスが人間の死に直結してしまう

    そして、ミスしないことは有り得ない
    あとからでなければミスだと気づかないミスもたくさんあるわけですから

    そうしたミスが重なれば誰しもまともではいられなくなり、ある種の鉄面皮を被らざるを得なくなってしまう

    そうしたことが多いのではないかと推測します

    そうした現場においてまともでいることは、ものすごくシンドイことだと思うのですが


    とーし

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  4. >とーしさん。
    自分のミスが人間の死に直結してしまう。
    そして、ミスしないことは有り得ない。

    いや、もうほんとにね。
    みなさんは医者が人の身体の中のことをレントゲンのように見えていると思われているかもしれません。
    じっさい画像診断機器の進歩でかなりわかるんですが
    実は僕らにとってはあいかわらず人間の身体はブラックボックスです。

    僕が医者になったのはもう20年以上前ですが
    その頃内科の研修医で院内を走り回っていた頃と今とで自分の仕事に対する印象はあまり変わりません。
    特に内科について言えば僕らの仕事というのは
    『真っ暗な部屋の中でどこが出口かもわからずに大きなゾウを押しているようなもの』なのです。

    どこをどう押せばゾウが動き出すかわからない。
    ゾウが動いたとしてもどっちへ動くのかわからない。
    動いた先に出口があるかどうかもわからない。

    ああ、そして良かれと思ってゾウを押したら
    突然ゾウは走り出してアッというまに見えない崖に落ちていく。

    いや、泣き言は止めましょう。
    どんな仕事も、大変でない仕事などはない。

    ただ医者というのは人間に対する一種のサービス業なのに
    医者には「人慣れ」していない人種が多いのです。
    僕も含めて(笑)。

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