2015/02/28
2015/02/22
欠如を欲望する。
"私たちは欲求が完全に永遠に満たされて、もう何も欲しなくなるようなニルヴァーナを求めているわけではない。むしろ、この欠如を私たちは積極的に愛しているのである" 「他者と死者」208頁。
なるほど。確かに僕たちは手に入れたあとより、ある明確な何ものかを欲望している時の方がワクワクしているというのは実感としてわかる。だから埋めなければならない欠乏がみつからないとなんとなく寂しく、生命力が枯渇しているように感じる。
エベレスト登山隊のキャンプにはエロ本があふれているという話や、登山家の野口健氏が雪山でいよいよ生命の危険を感じた時には女性用香水を嗅いでしのぐという話を聞くと危機的な状況においてひとはわざと欲望を喚起して、それによって生命力を呼び覚ますものなのだと知る。
生命力が減退すると、当然欲望も減退する。
生命力が横溢すると「もっと生きたい!」という思いが欲望をドライブする。
欲望をドライブすると、それによって生命力が沸き起こってくる。
我々が基本的に欠如を愛しているのは生きたいという自分の欲望を愛しく思い、かつそれを肯定しているからなのだろう。
写真は本題と関係がなさそうでありそうなアルファロメオジュリエッタの初期型。
ディーラーに飾ってあったのをiPhoneで撮ってWaterlogueで加工。
2015/02/21
stethoscope
聴診器というこの不思議な道具について僕は以前少し文章を書いたことがあります。
今もその思いに変わりはありませんがあまり大切に扱ってきたとは言えません。
30年も医者をしてきたというのにこの道具を一度も分解清掃したことがない。
それで今日は意を決して(というと大げさですが)家に持って帰って分解してみました。
この聴診器は現在はコンピュータで有名なヒューレット・パッカード社がむかし製造していたもので、その後フィリップスを経てクラシコから復刻版が販売されています。
僕が研修医だったころ、アメリカから有名な循環器内科医が来日して、僕が務めていた病院で聴診指導をしたことがありました。
当時すでに聴診器といえば最もメジャーだったリットマンの聴診器を同僚が差し出したところ
"No. Give me the TRUE stethoscope." と彼が言うのです。戸惑う同僚。
僕がヒューレット・パッカードの聴診器を差し出すと彼はニッコリそれを受け取って患者さんの聴診を始めました。
その時僕は随分誇らしい思いをしたことを覚えています。
とはいえ優秀なのは聴診器のほう。
症例検討会で先輩医師たちから聴診所見を聞かれて「一所懸命聞いたんですが聞こえないんです。どうして聞こえないんでしょう」と尋ねると
「悪いのは耳じゃなくて耳と耳のあいだなんじゃない?」なんて皮肉を言われたり。
この道具で患者さんの最後の心音を聴いたことも数知れず。
急に思い立って分解清掃したのもこののち僕があと何年この道具と歩むか、あまり長くないかもしれないという予感がするからだ。
とりあえずきれいに組み立て上がって今手の中にあるけれど。
2015/02/13
2015/02/12
2015/02/11
2015/02/07
playing a vinyl record
2015/02/01
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