Nikon D800E Helios 40-2 85mm F1.5
今朝の日経朝刊で翻訳家の柴田元幸氏が英語は日本語に比べて「素材」性が強いのではないかと感じていると。
なるほど例えば「I」という単語を日本語に訳す場合私や俺やあたしなど訳し分けるのは文脈に応じて素材としての「I」を調理しているわけで、とすると日本語は調理が終わった「料理」ということになる。
英語は素材性が強いということは写真でいえばRAWであり、未加工であり、解釈の上での自由度が高いということであり、それを理解するためには文脈を把握する必要があるということであり、つまりレイアーを読むことが大切な言語ということになる。
じゃあ日本語は料理済だからレイアーを読まなくても良いかというとそうでもない。
日本語の場合でも「省略」したり「間」があったり「反語」を使ったりわざと「慇懃」に述べて内に皮肉を潜ませたりする。
どちらの言語もレイアーを読まなければコミュニケーションが成立しないという点では同じだが、書き言葉について言えば日本語はレイアーの読み違えの起きにくい仕組みを内包した言語なのかもしれない。
今朝の朝刊を読んで思ったことを起承転結風にまとめてみました。
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