14年前に自分が撮った写真を見ながら思った。
なぜ僕はいい写真(*)が撮れなくなったのだろう。
あの当時使っていたのは4/3Mの量販機(Olympus E-P2)で今使っているGFX100iiとは比較にならない低機能カメラだ。でもあの当時のほうがいい写真を撮っている。
写真は、世界から自分の情熱を掘り出す行為だ。
機材は自分の情熱を木の中から掘り出すためのノミ。
情熱が冷めてきたことをなんとなく自覚していたのだろうか、まるでそれを補うかのようによいノミを手に入れてきた。
よいノミは上手く掘り出すことが出来るが、そもそも木の中に情熱が埋まっていなければ、いいものは出てこない。
もうそれは動かしようのない事実だ。
じゃあもう写真はやめるか?
でも写真はまたそのときどきの自分のありようを映し出す鏡でもある。
駄目なら駄目なりに。
まぁ、ほそぼそと続けるか。
トップの写真はCopilotに「のみを使って丸太から仏像を掘り出す一人の男」というイメージを描くように指示して作ったもの。
(*):それを見て自分が心動かされる写真
わかりすぎる〜。写真を撮りたいのか、カメラを新しくするのが好きなのか…。自分でもわからなくなるこの頃です。
返信削除でも、ときどきハッとする写真が撮れると、僕もまんざらでないなーと一人でニンマリするのです。
junhassy様ありがとうございます。
削除そうなんですよ~。最近なんで自分が惚れられる写真が撮れないんだろう。うーん、そうか!情熱が減っているからだ!と気が付いたのです。まぁしかたないですよね。もう18年もやってるんだから。写真を撮りに行く機会も減ってしまってるのでアップできる頻度は減ると思いますがこれまで同様ご愛顧のほどよろしくお願いいたします^^。
情熱ってボワーっと燃える瞬間もあれば、チロチロ燃えるときもあると思うんです。チロチロ、ボワー、チロチロ、ボワーを繰り返して長く続けていきたいなと思っています。
削除こちらこそ、どうぞよろしくお願いします。😃✌️
ありがとうございます😊
削除