2010/01/25

結ぼれの集積としての私の自我

camellia dark in square

僕にとってブログを書くというのは、心の奥の方で未整理のまま埃をかぶった不定形の古いわだかまりを順番に取り出して、フッと息を吹きかけて埃を払い、あらためて見直してみると、なんだこんなところに隠れた結び目があるじゃないか、ここをこう引っ張ればほどけるんじゃないか。ほら、ほどけた。という行程をムービーにとってアップするという、そのムービーを映像ではなく、文章にしてアップするということのような気がする。
そう思ったのは、このあいだ車を運転していて以前ブログにアップした文章を思い出していたときに、ブログに書く前は不定形なりにもしっかりとした輪郭があって質量を持っていたその想念が、思い出そうと思ってももはや掴めなくなっていることに気が付いたからだ。

たぶんそれはほどけてしまったのだ。
そうか。あれはもうほどけてしまったのだ。
心の中を散歩して、出くわす妖怪のような想念達は、僕が文章化していくことによって一つづつほどけて形をなさなくなっていく。

それはつまり、僕の自我は結ぼれの集積として存在していて、結ぼれが一つづつほどけることによって、僕の自我が次第に空洞化していっているということなんじゃないだろうか。

それが都合のいいことか悪いことかはわからないが、未解決の結ぼれの集積こそが自我であるというのは、一つの仮説としておもしろい。

2010/01/24

ワンコのハンガー。

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IKEAで買ったハンガーをクローゼットの扉に装着。


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そしてそこにコートを掛ける。

このコートは大きなポケットがいっぱいあるので
E-P2に取り付ける標準レンズやマクロレンズなんかをそのままポケットにゴロンと入れて
出かけたりします。

Black-Robed

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Large view  E-P2 with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF

黒衣の令嬢のイメージ。


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Large view  E-P2 with Carl Zeiss Makro-Planar T* 2/50 ZF

わずかな光を受けて。


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Large view  E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4

一転して明るく。


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E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4


葉の隙間を通る光は型板硝子のようです。

2010/01/23

in blue

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E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4

うっすらと粉雪が。


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Large view  E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4



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Large view  E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4




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E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4

2010/01/22

駄目な日

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Large view  E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4




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Large view  E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4

今日は馬と全くコミュニケーションが取れなかった。


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Large view  E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4




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Large view  E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4 at IKEA

そのあとIKEAへ行きました。


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Large view  E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4 at IKEA

200枚位写真を撮ったけど、気に入った写真はたったの3枚。


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Large view  E-P2 with Kern Switar 25mm f1.4 at IKEA

2010/01/20

買っても、読まない。

Hug!
欲しいものが手に入ることの一番のメリットは、もうそのことについて考える必要がなくなることだ。

何かが手に入らない状態というのは皮膚に刺さった小さなトゲのようなもので、そこに意識が集中する。
意識はそのトゲを中心に固着してしまうため思考の自由度が減少する。

欲しいものが手に入ればトゲが抜ける。
食べ尽くして骨だけになった鼠の死骸から蟻たちが解散していくように、意識は再び自由になる。

だから我々はしばしば欲しかった本がようやく手に入っても、いざ手元に来たら読まなかったり、関心がなくなってすぐに手放してしまったりする。
我々があるものを強く欲するのは、それを得るためではなく、それから自由になるため、それを忘れる自由を得るためなのかも知れない。

それで、その欲望の対象が、車で言えばポルシェとかフェラーリとか、僕の好きなカメラで言えばライカM9とか、いわゆる決定版が手に入れば、僕たちは欲望をきれいに埋葬して、スコップの背で土の上をポンポンポンと叩いて平らにして合焦して、あ、じゃない合掌してそこをあとにすることが出来るんだけど、決定版でない場合は、さらにもんもん状態は続いて、刺の周りをうろつき続けなくてはならない。

だから自由になるには無理をしてでもなるべく決定版を手に入れなくてはならない(何の参考にもならない結論)。
いや、もちろん手に入れる入れないの座標軸をチャラにして自由を手に入れてもいいんだけど。
でも人によっては、まだこの問題にケリを付けたくないために、わざと微妙な選択をすることもあるのだろう。



2010/01/18

favの傾向

slowhand7530's favorites on Flickriver

↑このボタンを押していただくと、僕がフリッカーで見つけた世界中の人々の素敵な写真をず~っとスクロールでご覧いただけます。


3年ほど前にフリッカーに入って、気に入った写真にfavoriteというマークを付けてきた、その総枚数は約1300枚。

最近気に入った写真から始まって、最後は2007年の5月まで、今日はさっきまでこの写真を最後までずっと見ていたのですが、最近はボケや空気感の写っている写真が多いですが、やっぱり最初の頃はマクロを選ぶ率が圧倒的に高かった。
そしてボケや空気感のある写真を気に入るこの傾向は、ちょうど1年ほど前から始まっていることがわかりました。
自分の興味や嗜好が徐々に変わってくるのがおもしろいです。
どの写真もとてもすばらしいので、お暇な時にでもぼーっとスクロールしながら鑑賞してただけたらうれしいです。

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