今はもう誰も実存主義のことなんか口にする人はいないけど
僕が高校生の頃はクリーム色の表紙にウロボロスが描かれた
人文書院のサルトル全集なんかを小難しい顔で読んでいる友人が確かにいたし
僕自身も「実存は本質に先行する」という言葉にドキドキしたり
好きだったアルベール・カミュがサルトルとの論争に負けたと知って悔しい思いをした。
まあ、そういう時代だった。
そのサルトルもやがてレヴィ・ストロースによって一時代の民族的信憑として葬られ
人里離れた洞穴をたった一人でコツコツ掘り進むような思考の探検家も今ではあまり見かけなくなった。
「実存」という言葉を久しぶりに思い出したのはDP3を使ったからだ。
被写体を剥き出しにする身も蓋もない描写。
対象のマチエールや重量感を浮かび上がらせるこのカメラは
モノそのもの、「物自体」を表現する「実存カメラ」というあだ名がふさわしい気がする。
Shinzoさんご苦労様でした。そしてありがとう。
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