ある人がなくなるとそこに欠落が生まれる。
その欠落という穴が僕を引きつける。
同じ眼鏡を掛ければなにか見えるかもしれない。
何が見えるというわけでもないけれど水丸さんと同じようなウエリントン眼鏡を新調してみた。
むかし買って、気に入ってどこへでも持って行った二冊。
それは思い出という眼鏡越しにみるひとやものの切なさだったのではないか。
河出書房の特集、そのなかに
ちょっと俳優さんが描いてみた絵が雑誌などで取り上げられる程度には上手くても、ポスターなんかになると全然ダメなのは
イラストレーションの背後にあるグラフィックデザインを彼らが知らないからだというようなことを彼が書いている。
あるマテリアルを上手に作れても、それをどのようにマーケットに乗せるか。
独りよがりを脱すること、それはパーソナルなのかパブリックなのか。
「ぼくはグラフィック・デザインを学ぶことによって
そのことが、人生にとって、さらに音楽、文学、演劇などというジャンルにとっても
おろそかにできないことであることを知らされた」
届くことの大切さ。
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