2016/01/17
autotelic
リンク先のpetapixelは"Why You Should Keep on Shooting, Even If No One is Watching"というタイトル、つまり「誰も見てくれないのになぜ写真を撮り続けるべきなのか」というテーマです。
社会的に評価されない作者にとって、あのゴッホさえ生前に1枚も絵が売れなかったじゃないかというのはなかなか便利な言い訳ですが、ではなぜ彼が極度の貧困のなか弟テオ以外誰も見るものもいないのに二千枚もの作品を10年間に渡って作り続けたのか、考えてみると不思議です。
このビデオの作者はその鍵は"autotelic"という言葉にあると言います。
The term "autotelic" derives from two Greek words, auto meaning self, and telos meaning goal. It refers to a self-contained activity, one that is done not with the expectation of some future benefit, but simply because the doing itself is the reward. ・・・when the experience is autotelic, the person is paying attention to the activity for its own sake; when it is not, the attention is focused on its consequences.
拙訳「"autotelic"という言葉は二つのギリシャ語が合体したもので、autoは自己、telosはゴール。autotelicとは「自己充足型の活動」のことで、結果による報酬によらずそれを行うこと自体が報酬であるような行動のことです。(中略)その人が経験したことがもしautotelicなら彼に意識の集中を促しているのはその行為自体であり、結果を意識しているようなら、それはautotelicではありません」
これはハンガリーの心理学者ミハイ・チクセントミハイ氏の著書「フロー体験 喜びの現象学」(原著:Flow: The Psychology of Happiness)のなかに出てくる文章です。"doing itself is the reward"というセンテンスは"Virtue is its own reward."(徳の報酬は徳自身なり)というストア派の哲学者キケロの言葉を彷彿とさせますが、要するにゴッホを駆り立てていたのは行為自体の魅力だったのではないかということです。
"Why You Should Keep on Shooting, Even If No One is Watching"という問いは、shouldという助動詞をべきと訳すよりも「そういう事態に陥っている」というニュアンスで、「どうしてあなたは誰も見てくれないのに写真を続けなくちゃならないの?」という意味でしょう。そしてそれに対する(撮影者側の)返事としては「写真の報酬は写真自身なり」ということになります。
誰に認めてもらえなくてもいい、純粋に撮りたいと思う人だけが撮り続けるのです。
そして撮りたいと思わなくなったら私は写真をやめます。
新しいカメラが欲しくなるまでは(笑)。
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