2024/08/30

お作法


#742
OM SYSTEM OM-1 Meyer-Optic Diaplan 80mm F2.8




赤瀬川原平さんの「千利休 無言の前衛]を読んでいたらそのなかの"古新聞の安らぎ"という段落で彼はひとつの思い出を語っている。
ある時彼がアパートの廊下を見ると見事に正確に折り畳んだ古新聞の山があった。普通はざっくり束ねてゴミの日に出す新聞紙がきちんと折り畳まれて立方体の角が驚くほどの垂直線で切り立っていることに彼は強いショックを受け、それ以後彼も垂直に切り立った古新聞を出すようになった。その理由を彼は「不安を優しく包みこんだリズム」にあるという。古新聞をきちんと畳むという行為が不安を和らげるというのだ。

出勤前の忙しい朝、慌ただしく食事を済ませて家を出ようとすると妻から古新聞をゴミステーションに出しておいてと頼まれる。なんだよ!と思いながらバサバサと乱雑に広がった新聞の束を袋に入れようとするが縦横斜めにはみ出して上手く袋に収まらない。あーっもう!とイライラしながらも結局は新聞を全部袋から出して一束ずつ袋に収めなおしていく。そうしている間にもバスに乗り遅れるのではないかと不安になる。こんな意味のないことをしている間にバスは出発してしまうのだ。

家を出るというA地点からバスに乗るというB地点のあいだにあるのは意味のない時空間だ。そして古新聞はその時空間に存在する。こういった無意味な時空間をなくすために便利な商品が存在する。パナソニックの「古新聞まとめる君」。もうあなたは古新聞を触る必要もありません。読み終わったらまとめる君にポイと放り込むだけ!あとはゴミの日に勝手にごみ集積所に運んでくれます今なら税込19,800円!でもまだ燃えるゴミを運んでくれる商品はないし燃えるゴミと燃えないゴミを分別してくれる商品もない。

A地点からB地点の間に存在する無意味な時空間に存在する古新聞。その古新聞に関わる自分もその時無意味な存在になる。無意味なことをしている自分は無意味なのだ。永遠に無意味な時空間に奇跡のように現れた自分という有意味な存在は死ぬと再び無意味な時空間に溶け込んでいく。ひとはその無意味に帰するという不安に耐えられないからせめて今やっていることに意味を求める。それでひとは退職後にそば打ちをはじめたりブログを書いたりする。
原平さんの先ほどの文章の続きで駅の改札口の切符切りが客と客の合間に切符切りをカチャカチャいわせている行為についても書いている。今はもうそんな光景は目にすることはないが、あれも客と客の間の無意味な時間をカチャカチャ切り刻んでいるのではないか。何もしていない不安を切符きりで切り刻む。

さて長々とこんなことを書いてきたがこの本は千利休の話でつまりは茶道について。
お茶粉の入った湯呑みにティファールでお湯を注げばあっという間にお茶が飲めるのになぜわざわざ面倒なお作法が介在するのか。お作法以前にそもそもお茶の時間は必要なのか。それは無駄な時間ではないだろうか。
そう、お茶の時間やお茶の作法が存在するのはA地点からB地点のあいだの「無意味な時空間」だ。茶道はその無意味な時空間に木枠で入り組んだ水路を構築する。その迷路のような水路を水はきちんとルールに従った道筋で流れていく。お作法という水路を流れる自分に自我はなくそこには作法だけがある。そしてやがてはその作法も消えていく。









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