2025/04/20
#823
Meopta Meostigmat 70mm F1.4はCarl Zeiss Jena Biotar 75 mm F1.5と同じレンズ構成(リンク)だが2024年10月18日に発売された銘匠光学 TTArtisan 75mm f/1.5 M42マウント(リンク)も同じレンズ構成。
Meoptaはプロジェクターレンズなので入手や取り付けに難があるがMeoptaの写りに興味がある方はTTArtisanを購入するのがいいかもしれない。
ただしTTArtisanは最短撮影距離が75mmなので上の写真のような近接撮影はM42のヘリコイドアダプターをレンズとカメラの間にかます必要がある。
2025/03/05
曽野綾子さん
曽野綾子さんが亡くなった。
14年前に書いたブログ記事(リンク)を、いただいたコメントとともに再掲する。
title:チェリー
庭のさくらんぼのつぼみも開いてきた。
昔読んだ曽野綾子の「奇蹟」の中の一節を思い出す。
コルベ神父の足跡をたどるためにアウシュビッツ収容所を訪れた彼女は
そのあまりの凄惨さに精神が耐えられなくなった。
その夜彼女はタゴールの詩の一節を思い出す。
少女は少年に言う。
あたしの家の果樹園においでよ。
二人で盗みをしましょうよ。もう二度と、こんな日はあたしたちにないもの。
そして二人は果樹園で茘枝(れいし)の実を盗む。
底知れぬ陰惨さから人間の世界に戻るための足掛かりが
まさにその可愛らしい小さな罪の記憶だった。
秘められた小さな罪。
3 件のコメント:
18年もブログを続けていると、最近あのころのブログを読み直すことが多くていくぶん感傷的になっています(笑)。
当時僕のブログのコメント欄を賑わせて下さったみなさんのお名前を感謝とともに掲載させていただきます。
みなさんどうしておられるのかな。
hiroshipsさん、bouquet-nさん(cahier-bさん)、t-s-wegnerさん、bouillonさん、paradisさん、TiM3さん、とーしさん、youkoさん、みゆさん、とかげさん、SNOOPYさん、blanketx-49さん、DIONさん、jawaさん、wataponzさん、空i7さん、yamさん、yosakuさん、junhassyさん、とど2号さん、BAKENEKOさん、xxxdoggさん、うつわ好きさん、やきもの好きさん、hishiayameさん、twurueさん、chinさん、ひしあやめさん、すずらん☆さん、photosukeさん、swingphotoさん、ぱんだぱんさん、matsuさん、noisyさん、なかまちさん、soltylifeさん、のんくりさん、larywaさん、slosmaさん、NOOGEEKさん、TAKAHASHIさん、いれにょんさん、Leopard Geckoさん、Fukui Shinzoさん、came_lifeさん、ISATTさん、柴犬さん、yamさん
以上の中にはもちろんまだ現役でブログ更新を続けておられる方もおられますが、殆どの方とはもうつながる手立てがありません。
もしよければ近況コメントをいただけると嬉しいです。
2025/02/22
ポール・サイモンとポール・マッカートニー
サタデー・ナイト・ライブ(以下SNL)といえばサムライに扮したジョン・ベルーシがやたらめったら刀を振り回すシーン(リンク)を思い出すが、今月2月16日にSNLは放送開始50周年を記念してニューヨークのラジオシティ・ミュージックホールで2時間のコンサート(SNL50)を行いその様子は記念特別番組で放映された(NBCとPeacockで放映され全米で1500万人が視聴)。
オープニングに登場したポール・サイモン(以下PS)はサブリナ・カーペンター(以下SC)(リンク)とデュエットで"Homeward Bound" 「早く家に帰りたい」を歌った。
歌が始まる前、PSとSCは互いを紹介しあい、PSは自ら曲を紹介した。
PSとSCが登場
-歓声-
PS「皆さん、こちらがサブリナ・カーペンターです」
-歓声-
SC「こちらが正真正銘のポール・サイモンです」
-歓声-
PS「僕は1976年にSNLでこの歌をジョージ・ハリスンと一緒に歌いました」
SC「私はまだ生まれてなかったわ。両親もね」
-会場笑い-
PS「えー、では」
-会場笑い収まらず-
PS「ご両親がこの曲を聞けることをうれしく思います」
SC「私も(笑)」
曲が終わり歓声の中
SC「さて、では、ニューヨークからライブでお届けします!」
PSとSCが声を合わせて「"It's Satuaday Night"!」
オープニングを飾った二人のデュエットのあと多くのスターが登場した?ようなのですが僕がYouTubeで観たのはこのオープニングとフィナーレのポール・マッカートニー。
なんとアルバム「アビー・ロード」の最後を飾るメドレー”Golden Slumbers/Carry That Weight/The End ”です。
Photo credit: Chris Parnell
コンサート終了後談笑するポール・サイモンとポール・マッカートニー。
ポール・サイモンは83歳。ポール・マッカートニーは82歳。
二人とも声はしっかり出なかったけど良い贈り物をありがとう。二人に感謝です。
特にポール・マッカートニーのゴールデンスランバーは僕も一緒に歌いながら「ポール、がんばれ!」と思わず心のなかで叫んでしまいました。
オープニングに登場したポール・サイモン(以下PS)はサブリナ・カーペンター(以下SC)(リンク)とデュエットで"Homeward Bound" 「早く家に帰りたい」を歌った。
歌が始まる前、PSとSCは互いを紹介しあい、PSは自ら曲を紹介した。
PSとSCが登場
-歓声-
PS「皆さん、こちらがサブリナ・カーペンターです」
-歓声-
SC「こちらが正真正銘のポール・サイモンです」
-歓声-
PS「僕は1976年にSNLでこの歌をジョージ・ハリスンと一緒に歌いました」
SC「私はまだ生まれてなかったわ。両親もね」
-会場笑い-
PS「えー、では」
-会場笑い収まらず-
PS「ご両親がこの曲を聞けることをうれしく思います」
SC「私も(笑)」
曲が終わり歓声の中
SC「さて、では、ニューヨークからライブでお届けします!」
PSとSCが声を合わせて「"It's Satuaday Night"!」
オープニングを飾った二人のデュエットのあと多くのスターが登場した?ようなのですが僕がYouTubeで観たのはこのオープニングとフィナーレのポール・マッカートニー。
なんとアルバム「アビー・ロード」の最後を飾るメドレー”Golden Slumbers/Carry That Weight/The End ”です。
Photo credit: Chris Parnell
コンサート終了後談笑するポール・サイモンとポール・マッカートニー。
ポール・サイモンは83歳。ポール・マッカートニーは82歳。
二人とも声はしっかり出なかったけど良い贈り物をありがとう。二人に感謝です。
特にポール・マッカートニーのゴールデンスランバーは僕も一緒に歌いながら「ポール、がんばれ!」と思わず心のなかで叫んでしまいました。
2025/02/16
Olympus E-P2の帰還
15年前に買ったE-P2に付けていたLumix G 20mm F1.7の写りが忘れられない。それで今日娘にE-P2を持ってきてもらった。
久しぶりのE-P2。手触りが懐かしい。小さいのに意外にズシッとくる。中身がギュッと詰まった感じ。あれこれ設定をいじる。モードセレクトは一旦A(絞り優先)モードにしたがARTモードでトイカメラにしてみたら楽しい写真が撮れた。そういえばこのカメラが現役だったときはほかのモードで遊ぶ気持ちの余裕なんかなかった。
シャッターを切るとバシャコン!と。その音が聞きたくて意味もなくシャッターを切る。
散歩で持ち出すのにいいかも。大きめのポケットなら入るし。
ちなみにE-P2で撮っていた頃の写真はこちら(リンク)
2025/01/27
反省
14年前に自分が撮った写真を見ながら思った。
なぜ僕はいい写真(*)が撮れなくなったのだろう。
あの当時使っていたのは4/3Mの量販機(Olympus E-P2)で今使っているGFX100iiとは比較にならない低機能カメラだ。でもあの当時のほうがいい写真を撮っている。
写真は、世界から自分の情熱を掘り出す行為だ。
機材は自分の情熱を木の中から掘り出すためのノミ。
情熱が冷めてきたことをなんとなく自覚していたのだろうか、まるでそれを補うかのようによいノミを手に入れてきた。
よいノミは上手く掘り出すことが出来るが、そもそも木の中に情熱が埋まっていなければ、いいものは出てこない。
もうそれは動かしようのない事実だ。
じゃあもう写真はやめるか?
でも写真はまたそのときどきの自分のありようを映し出す鏡でもある。
駄目なら駄目なりに。
まぁ、ほそぼそと続けるか。
トップの写真はCopilotに「のみを使って丸太から仏像を掘り出す一人の男」というイメージを描くように指示して作ったもの。
(*):それを見て自分が心動かされる写真
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お庭にサクラですか、いいですね^^
返信青い光にピンクの花びらが映えますね。
小さな罪の行為で自由を感じるというのは
自分を傷つけることで生命を確認することにも似ているような気がします。
追い詰められたときに何に依って元の世界も戻れるのか…、
自分なら何を拠り所にするのだろうか。考えてみますね。
僕はcahier-bさんに答えるすべを持たなので
返信曾野綾子の「奇蹟」からもう少し引用してみます。
『このタゴールの晩年の詩を、ここで長々と紹介したのは、
私がその夜、この詩の世界を人生の一つの希望としてはっきりと見たからである。
「カニ(主人公の少女。この詩のタイトル)」はこの地球上のどこにでもありそうな小さな青春の断片であった。
それは穏やかな苦しさと自然な悲しみに塗り込められていた。
いやそのような影を持つ故に、それは私たちの心に迫ってくるのだし、その存在を信じられるのであった。
アウシュヴィッツから帰った夜、私は改めて、信じたかったのだと思う。
人間の一生が、もし普通のものであるならば、大してよくも悪くもないものだ、ということを。
アウシュヴィッツの状況を一口で言いあらわすならば、それは「普通ではない」ということであった。
アウシュヴィッツで凍りついた私の心理は「カニ」によって、少しだけ周囲の部分が融けかけてきたのである。
「カニ」は優しく悲しく、とろとろとうっとうしく、しかも爽やかな「普通」である世界だった。
それはアウシュヴィッツに対する、明らかな解毒剤であった。』
時として小さな悪は底知れぬ不幸の解毒剤になるのかもしれません。
引用してくださって、ありがとうございます。
「小さな悪」というのは「普通の日常」の象徴なわけですね^^
「普通でないもの」から普通への道筋を示してくれるもの。
なるほど。
参考にできるといいな。
ああ、でもなんて平和な解毒剤^^