2010/05/04

唯一の結論

There is no blood or urine test to differentiate a well person from a sick one.
健常人を病人と区別出来る血液・尿検査は存在しない。

この箴言を別の言葉で言い替えると
検査結果で病気の存在を否定することは出来ない。
となる。

否定したい。
特に医者が戦意を失っている時には。
我々は何となくそれが隠れ蓑であることを感じている。
それを自分に許してもよいかどうかは、
患者の訴えが自分の中で腑に落ちたかどうかだ。
どうしても腑に落ちなければ、
もう一度考え直さなければなるまい。

The only way to determine if a person is well or sick is to
listen,
look carefully,
ask good questions,
and make a sound clinical decision.

その人が病気かどうかを知る唯一の方法は、
よく聴いて
注意深く観察し
的確な質問をして
腑に落ちる結論を導き出す以外にはない。

2010/05/03

春風にそよぐ

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ナガミヒナゲシ。


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ヤマツツジ。


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レンゲ畑。


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風にそよぐキンポウゲ。


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キンポウゲを見ると庄司薫が「赤頭巾ちゃん気を付けて」で書いた
カール・マルクスがキンポウゲをふりふり家族と散歩する微笑ましい情景を思い出す。


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Royal Touch

Touch the patient, even if you only shake hands or feel the pulse, especially with old people. But not with paranoids.
握手するか、脈を取るだけでもよいから患者に触れなさい。特に高齢者には。ただし妄想性人格障害は除く。

僕はむかし京都で大学浪人をしていました。大学受験の願書と一緒に提出する健康診断書をもらうために開業医の診察を受けた際に僕の胸部レントゲンを見てその先生はひとことこう言いました。「弱虫の心臓やね」
えーと(笑)、これは滴状心といって胸郭の幅に比べて心臓のサイズが小さいことを彼はそのように表現したわけですが何気なく言った一言を以後30年以上にわたってその青年が覚えているとは彼も予想できなかったでしょう。

また逆の立場の出来事もあります。僕がずっと以前勤めていた病院の僕が一番信頼し親しく思っていた内視鏡室のスタッフの看護婦さんが退職することになりその送別会で彼女が言った一言。
「先生は職員健診の時に私の小さな胸を見てクスッと笑ったでしょう」
僕は彼女のこの言葉に飛び上がるほど驚きました。
一般的に医者は患者の診察をする時に、異性であっても性的な関心で相手を見ることはありません。しかも相手のバストの大きさを値踏みするような気持ちは微塵もないのです。だからその時に僕の表情が笑っているように見えたとしたらそれは相手の緊張をほぐすためだったのかもしれないけど。
そんなつもりでなかったのに、自分の発言や表情や行動が患者に過剰とも言える影響を及ぼしていることは僕の20年以上の医者としての経歴の中でも、その多くがむしろ苦渋の記憶として蓄積されてきました。

さて、一般的に医者は自分の発言や行動を過剰に過小評価しています。
何気なく言った言葉や、その時の自分のちょっとした表情が、患者やその家族の生涯を貫くほど影響力があることをほとんどの医者は自覚していません。
僕らは職業柄、お医者さんってたいへんな仕事ですよねとよく言われます。それに対し僕は「いや、そんなことはないです。ほかの職業と同じですよ。大変なのはどの仕事も同じです。」といつも答えます。医者は皆さんが思っているほど自分たちの仕事を特殊だとは思っていないのです。警察官だって消防士だって人の命に関わる仕事ですし政治家や教師などもひとびとの生活や人生に大きな影響力のある仕事です。

でも最近は、ちょっと違うのかもしれないと考えています。
むしろ僕たちは自分たちの仕事を、あえて特別視すべきなのかもしれない。
それは威張るとかじゃなくて、自分の影響力の大きさをもっと過大評価すべきだということです。一般の方から見れば、今更何を言ってるんだと思われるかもしれませんが。今僕は自分が取り扱っているテーマが、非常に誤解されやすいデリケートなテーマであることを自覚しています。医師という仕事が特殊なものであるとあえて述べることがすぐに傲慢さに直結するからです。だから僕たちは自分たちのことを意識的に卑下したり謙遜したりする。僕はこのデリケートな問題をスッキリさせるために、人とその仕事をわけて考えたいと思います。

二十歳代前半の世間知らずの若者が、いったん白衣を着て病院の廊下を歩くと若者よりもずっと人生経験豊富な年配の人たちからお辞儀される。
自分が偉くなったと誤解してはならない。
彼等はなぜあなたにお辞儀するのか。
それは美術館で素晴らしい絵画を観て人々が感嘆の声を上げるのを額縁が自分が偉いと勘違いしてしまうようなものだ。
あなた自身は絵の外枠に過ぎない。あなたは人類が営々と蓄えてきた生命と病と死に関する知識と知恵の、ただかりそめの窓口なのだ。
人の価値は、あなたという窓枠がどんな風を招き入れるかで決まる。たまたまあなたが、非常に重要な場所の窓枠に指定されただけなのだ。あなたがいなくなったら、またそこに別の窓枠がはめ込まれるだろう。

だから僕はあなたに言う。あなた自身は何者でもない。
ただ、今たまたまあなたは人類にとって重要な場所にいる。
人々は、あなたが特別な場所にいて特別な風を吹かせてくれることで、あなたを特別な窓枠だと考えるだろう。
だからあなたが善意の医者ならそれを意識して利用しなさい。
あなたは触るだけで患者を治すことができるだろう。
だがその一方であなたの一言で患者は死んでしまうのだ。







2010/05/02

去り際の一言

The last statement a patient makes as you leave the room is very important.
病室を後にしようとあなたが立ち上がった時に患者が発する最後の言葉に気を付けなさい。

Listen carefully when a patient prefaces a comment with, "This may not be important, but..."
患者が「たぶん関係ないと思うんですが・・」で語り始めた話に耳をそばだてなさい。


なぜ患者は最も大事なサインをきまって診察室をあとにする直前に発するのだろう。
その理由を考えてみました。

僕たちは日々、脳が創り出すお話の中を生きている。
でもナマの現実はお話とは無関係な出来事から成り立っているので
自分に都合の悪いものは無意識の納屋にどんどん放り込まれていく。
山積みになった不都合な現実は納屋からあふれ出し、やがて悪臭を放ち出す。

無意識君は、現実を仕分けしてお話を作っている意識君に
「もう満杯で、何かマズイことがおこりそう。何とかしてもらえない?」
と相談を持ちかけた。

でも意識君はこれに全く耳を貸さず、バタンと意識の扉を閉じてしまった。
困った無意識君はなかよしのカラダ君に相談した。

「意識君は僕の言うことを全然聞いてくれないんだよ」
「うーん、そうかわかった。僕が何とかするよ」

カラダ君は意識君の言うことを聞かないという作戦に出た。

意識君「あれ?最近なんか、身体が重いな。
目もしょぼしょぼするし立ちくらみもする。
よし、根性で乗り切るぞ」

困ったカラダ君は次に痛みのロープを引いた。
だが驚いたことに意識君は何の反応もしない。
意識君は扉を閉じているので痛みを感じないのだ。

不都合な現実はその後も増え続け、やがてその中に病気が発生してきた。
さすがに意識君も何かがおかしいと感じて病院へ行った。

意識君は医者に今感じている身体の不調を自分で考えたお話に翻訳してしゃべる。
「最近つきあいで暴飲暴食が続いているせいか、なんとなく胃腸の調子が悪いんです」

医者「わかりました。消化薬と制酸剤を出しておきましょう」
意識君は納得し、帰ろうとして立ち上がりドアの方に向かう。
無意識君は慌てた。
せっかく病院まで来たのにこのまま帰ってしまったら大変だ。
無意識君はカラダ君に緊急警報を発令した。
「何とか意識君を思いとどまらせて!」
「わかった」。カラダ君は痛みのロープを思いっきり引っ張る。
痛みは固く閉ざされていた意識君の扉を激しく叩く。
ガンガンガンガン!

意識君は握っていた診察室のドアのノブから手を離し、振り向いてこう言った
「あ、そういえば最近背中のあたりが時々痛むんです」
医者「そうですか。じゃあ湿布も一緒に出しておきましょう」


えーと、これはつまり
「関係ないかもしれないけど、いちおう言っておいた方がいいかもしれない」
と患者が考えたことが、実は一番大事だったりするという話です。

何なんでしょうね。
つまりそれは意識が無意識の叫びに耳を傾けた瞬間なのでしょう。
部屋を出る瞬間に、意識は何となく何かを言い忘れたような気がする。
そしてそれを懸命に思い出そうとする。
そのときに無意識がカラダからの訴えを意識に届ける。
意識が自分のお話を話し終えてからでないと、無意識は登場できないのかもしれない。

僕たちはその声を聞き届けることが出来るだろうか。
意識と無意識の間にある扉はなかなか開かない。
そして抑圧されたものはその姿を変えて検問を突破し意識の表層に姿を現す(®内田樹師匠)。

タイトルをアフォリズムNo.4にしようかどうか悩んだんですが
今回からわかりやすいタイトルにすることにしました。



2010/04/30

アフォリズムNo.3

Don't look for zebra.

これは今取り上げている本には載っていません。
いつ覚えた言葉かは忘れてしまいましたが、強い印象と共に記憶した言葉。

シマウマを探すな。

これじゃ何のことかわかりませんね。
略さずに書くと
When you hear hoofbeats, don’t look for zebras.

背後でパカランパカランという蹄(ひづめ)の音がしたら
あ、シマウマだ、と誰が想像するだろうか、いや誰も想像しまい。
そうです。ひづめの音が聞こえたら、普通は馬を想像するわけです。
シマウマよりも馬に出会う可能性のほうがずっと高いですもんね。

つまりこれは安易に珍しい病名を思いつくことを戒める箴言です。

症状、身体所見、画像所見、血液生化学検査などの複数のサインが
すべてたったひとつの疾患を指し示しているなら話は簡単です。
でも実際の現場ではひとつの疾患ですべてのサインを合理的に説明できることは
むしろまれですし、矛盾するサインが同居していることもよくあります。

ではどうするか。

すべてのサインを説明できるような非常に珍しい病気を一つ考えるか
あるいは複数の病気の併存を考えるか。

前者がシマウマであることはおわかりと思いますが
いずれも情報の軽重を勘案していないという点では同じです。
全ての情報を等しく扱おうとすると、必然的に
全部のサインを網羅する珍しい疾患を考えるか
複数の疾患で全部のサインをおおわなくてはならないからです。

旧約聖書に「天の下に新しきものなし」という言葉がありますが
出来るだけポピュラーな病気を第一に考えるべきでしょう。
どの情報が重要で、どの情報は無視しても良いのかを知らなければなりません。

そのために必要なのは経験です。
経験が十分でない場合はどうすればよいでしょう。
この箴言はそのときに意味を持つのです。







アフォリズム No.2

Always examine the part that hurts. Put your hand on the area.

examineというのは、詳しく調べるという意味。
直訳すれば
痛む場所を常に詳しく調べなさい。あなたの手をそこに当ててみなさい。

ごく当たり前のことだ。
そんなわかりきったことを、なぜあえて書くのか。
もしあなたが医者なら、それが必ずしも当たり前ではないことを知っているだろう。

医者は患者の訴えを聴きながら何を考えているのか。
それはある種の連想ゲームに似ている。
パエリア、セルバンテス、サグラダ・ファミリアと聞いてスペインを連想するように
医師はいくつかのキーワードに共通する疾患を連想する。

だが患者の訴えは多岐にわたる。
それら全てが今患者を悩ませている特定の疾患を指し示しているのではない。
洪水のあと滔々と目の前の河を流れていく椅子や机やその他諸々の家具のなかから
医者は判断の材料になる家具だけを河から引きあげていく。
そして疾患名の目星が付いたら、その疾患に特有の徴候がないかを直接患者から聴き出したり、患者の身体を見たり触ったりして確かめる。

問題は、医師が「わかった」と思ったあとなのだ。
わかってしまったあとでは、何が河を流れていこうと医師はそれを河から引き上げない。
たとえ河をイタリアの国旗が流れていこうとも、スペインはスペインなのだ。

そして、えてして最も重要な情報は患者が診察室をあとにする直前に発せられる。必ず。
「そういえば数日前から右の腰のあたりが少し痛むんです」
医者はキーボードを叩きながらこう言う。
「わかりました。湿布を出しておきましょう」

ああ、我々はこれで何度痛い目にあったことか。

患者が痛いという場所は、必ずそこを手で触って確認しなければならない。
手で触るためには、そこにある衣類をどけて、まずそこを見なければならない。
胸痛を主訴に来院した患者に、あなたが心電図と心エコーと採血をオーダーする前にそこを見れば
わずかな発疹を発見して初期の帯状疱疹だと判断できるかもしれない。
痛みを訴える老人の膝を触れば、その熱感と腫脹から偽痛風と診断が付くかもしれない。

だがそれらはすべて見て、触ることからしか始まらない。
そして我々がそこを見ず、触りもしない理由は同業の故に痛いほどわかるのだが、
それゆえにこそこれは守るべきルールのひとつなのだ。





2010/04/29

アフォリズム




吸引細胞診の勉強で1992年に渡米した時、大学の生協でこの本を見つけた。
これは医師が守るべきルールを集めた小さな本である。
編者が医師としての短かからぬ経歴の中で少しずつ拾い集めた425の箴言が記載されている。

僕自身はこの本から多くを学んだ。
研修委員長をしていた頃はレジデントが修練期間を終える時に1本のワインにこの本を付けてプレゼントしたりした。

いずれこのブログで取り上げたいと思っていたが、日本ではすでに翻訳本が市場にあるため、僕が勝手に訳してブログに掲載すると著作権法に違反する可能性もあるだろう。

ただこういったアフォリズムは編者も述べているとおり、誰がその箴言を思いついたかよりも、無名の医師が口にし、その有用性によって人口に膾炙していくことによって命脈を保っていくものだから、その職務に従事するものにとっての共通の財産と考えるべきだろう。

あからさまに著作権に抵触しないよう、一回に一文だけを取り上げていきたいと思う。
またここに取り上げる箴言は網羅的ではなくかつ逐次的でもない。
その記念すべき一回目に取り上げる箴言は、

Sit down when you talk with patients.

中学で習う単語ばかりで出来た短い一文。
「患者と話をする時には、座りなさい」

この一文を読んだだけで、ざわついていた心のおりが底に沈んで、
僕の心はしーんとする。

立ったまま患者と話をしてはならない。
通りすがりに患者と話をしてはならない。
立ち去りながら患者に話をしてはならない。

つまり、そういうことだ。






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