今日お風呂に入りながら吉田拓郎の「結婚しようよ」を口ずさんでいるうちにふと気が付いたのは、
あの頃僕たちの周りには青春があふれていたということ。
それこそ右を向いても左を向いても青春だらけで、天動説とか地動説とかいう言葉があるけれども、
そんな言葉があるなら青春動説というか。あ、それだと青春が中心じゃないから青春中心説、
誰が何と言おうと世界は青春を中心にして回っている(®ガリレオ)という学説。
中学を卒業する頃には、さあ、いよいよ青春だ。青春まっただ中だというわけで、乗り遅れちゃいかん、
俺は青春なのか?そうなのか?どう青春なのだ?いややっぱり青春だ! えっ、君はまだ青春じゃないのか?それは恥ずかしいぞ!(笑)
なんていう時代だった。それはつまり当時はみんな青春という制服をそろって着ていたわけだ。
フォークとかロックとか歌謡曲もそうだったし、雑誌はもちろんテレビや映画に出てくる人たちもみんな青春を着ていた。
でもやがて青春もOIL じゃなくて老いる。
青春だった人たちも老いるけど、制服を脱がずに老いていくもんだから青春が老いる。
うーむ、青春がオイルというのはすごい言葉だ。オイルサーディンというのもあるけど
オイル缶に入った青春。
でももちろん青春としてもムザムザ老いるに任せる訳にはいかないので、いやオイラは絶対老いない、
こうなったら老いる前に死んでやるとばかりにずかずか死んでいった人も多いけど、
そんな勇気のないほとんどの人は青春を着たまま老いていく。
たぶん青春を脱ぐチャンスを失ったままズルズル来てしまったのだろう。
今はそんな人達が僕も含めてゴロゴロしている。
気持ちさえ若ければいつまでも青春だと言う人もいるけど、どう考えてもそれは無理だろう。
でも気の毒なのでだれも君の青春はもう終わりだとは言わない。
今の人は青春じゃないのでそのまま粛々と老いていくわけで、年をとってもしがみつく言葉がないのはちょっとうらやましい。
【追記】
僕には娘が一人いるけれども彼女たちの世代を見ていて思うのは彼らは青春を持っていないということ。
それは若さが無いという意味ではなくて、二本足でトコトコ歩く青春と並走していないという意味です。
つまり僕らの世代にはあってあたりまえだったものが彼女たちにはないようなのです。とても不思議。
一つの脳を一色に染め上げその存在を微塵も疑わないという信憑を仮に宗教と名付けるなら、
青春とはまさに僕らの世代の宗教だったのではないか。
そして「青春の門」(®五木寛之)に入るというのは、まさしく入信という行為であり、一度入ったらまず抜け出すことは不可能で、
だから青春という言葉が若さと不可分であるにもかかわらず年老いても辞めることが出来ないのはそれが背信行為だからなのだ。
そう。あれは宗教だったのだ。
とまぁそんなことにハタと気が付いて、それを文章化するに際してですね、ちょうど最近お風呂に持って入るのが
赤瀬川原平さんの「純文学の素」という本なんですが、原平さんの文体で書いてみたらどうなるだろうと思ってやってみました。