Nikon D800E with AF MICRO NIKKOR 2.8/55
2013/09/05
candid
インドで仕事をされているflickrのコンタクトさんが撮った牛追いする少年の写真にいくつか英語のコメントが付いていて
そのうち2人がcandidという単語を使っていました。
Aさんは"very candid!"
Bさんは"Lovely candid!"
AさんもBさんも写真を称える言葉を添えているということは分かるものの
candidという単語の意味がわからなかったのでリーダーズ英和辞典で調べてみました。
するとこの単語には
率直な, 腹蔵のない; 誠実な, ごまかしのない; 歯に衣きせぬ, 手きびしいという意味と
偏見のない, 公平なという二つの意味があって
さらに「a candid photograph」、あるいは「candid」だけで「スナップ写真」という意味があったんですね。知らなかった!
このお二人はコンタクトさんの写真がとてもスナップ的と感じてこのようなコメントを残したのでしょう。
(僕もfav(お気に入り)させていただきました^^)
さて、candidという単語は
率直である、偏見がない、スナップ写真という3つの意味を併せ持つことになります。
これらの意味は確かに似かよっていますが、では例えば試験の時にこの三つをそろって思い出せるかといえばむつかしい。
特に[率直」と「偏見がない」は少し離れている感じがします。少し距離があるというか。
だって世の中にはズケズケと率直に偏見を述べ立てるひともいるわけだし。誰とは云いませんが(笑)。
でもそれを一つの単語が担っているわけだから
今は3本の枝に分かれていても、枝分かれする前の根源的な幹の部分は共通するはずです。
もしもcandidと聞いてその幹の部分をイメージできれば、そこから自然と3つの意味を連想することが出来るでしょう。
そこで更に調べてみると、candidという単語は古語では「汚れのない」という意味だったらしい。
するとつまりこの単語は、「手が加わっていない」、「汚れていない」というのがもともとの意味で
そこから
1.率直な, 誠実な, ごまかしのない(←小細工していない)
2.偏見のない, 公平な (←操作が加わっていない)
3.スナップ写真 (←無造作な)
という意味が派生してきたということがわかります。
ちなみに18世紀のフランスの啓蒙思想家ヴォルテールの小説に「カンディード」という作品があるそうで
人を疑うことを知らない純真な若者(その名もCandide)が辛酸のかぎりを舐め尽くして
「この世界に起きることは全て善である」という思想に決別するという物語だそうで
面白そうですね。岩波文庫に訳本が出ているようなので読んでみようかと思います。
2013/09/04
絵作り擁護論(それが相手に届くかどうかという視点から)
Sigma DP3 Merrill
真っ白なキャンバスに筆記具を使って描く絵画の場合、手を加えることが問題になることはありません。
写真に手を加えることの是非がしばしば問題になるのはその出自が写実にあるからでしょう。
写真の本質がそのドキュメント性にあるなら写真に手を加えるなど、もってのほかということになります。
写真に手を加えることのやましさは偽物の真実を創りだすということにありそうです。
しかし例えば料理を提供するときに適切な量を適切な味付けでサーブするように、写真が自分や他人の心に届くかどうかという視点に立って手を加えるのは恥ずかしいことではありません。
逆に、未加工でありさえすればいいというのでは、それが相手に届くかどうかを全く考慮に入れていないという点からみてむしろひとりよがりということにならないでしょうか。
以上をわかりやすく図式化すると
ひとりよがりの未加工<<<・・・・・・・適切に手が加えられた作品・・・・・・・>>>ひとりよがりの過剰な加工
ということになるかと思います。
ここにはもう一つ問題があって、それは自分と他人とでは感性が異なるという点です。
自分の感性と他人の感性の距離が小さければ問題はないんですが感性の距離が大きいと、自分にとっては適切でも他人から見ると過剰だったり不足だったりする。
でもそこには個人の裁量権があります。
距離が大きくても自分用のサーブを優先するか
見る人のpopularityを優先するか。
それはあなた次第なのです。
2013/09/03
打球の行方
先日テレビ番組の「世界一受けたい授業」で長嶋茂雄氏の特集があって、
ゲストの江川卓氏から彼にまつわる意外なエピソードをいろいろ聞くことが出来た。
その中で僕が一番興味を持ったのは彼が現役を引退したときのインタビューだった。
「以前なら野手のいない方向へ打球がバウンドしたのに、野手の正面にバウンドするようになった」
彼が引退を決意するに至った要因はいろいろあろうが
その中のひとつのきっかけとしてこの言葉が取り上げられていたように思う。
それにしても不思議な発言である。
普通なら「体力の限界を感じるようになった」とか「ボールの速さに追いつけなくなった」というような
加齢に伴う気力、体力、反射神経の衰えを引退の理由にすると思うのだが
彼はボールのバウンドの方向が変わったと言う。
なんだ、運が悪くなったから引退するのかと思うのは浅膚な判断だろう。
おそらく彼の世界観からすれば打球は気迫の延長線上にあって野手のいない方向に「逃げる」のである。
それが逃げなくなったということはボールの先まで気迫が届かなくなったということだろう。
あるいはそれは彼自身の気迫というよりも
精一杯力を尽くした時に自分の外からやってくる「神通力」のようなものが遠ざかってしまったということかもしれない。
何を馬鹿なと思うかもしれない。
僕自身同じようなことを感じたときがある。
四半世紀近く現場の仕事をやってきた僕は訳あって最近手を降ろすことになった。
それは周囲からの強い要請であったにしろ、自らの技量への未練に言外の感慨もあったのだ。
それがむしろ腹をくくる気持ちになったのは「野手の正面にボールがバウンドするようになった」からで
かつて自分の味方だった神通力が降りてこなくなったことにある日寒々と気が付いたからだ。
誰の人生にも潮目というものがある。
2013/09/01
ノック式の蛍光ペン
雨で写真を撮りに行けないので文具系の小ネタを一つ。
みなさんはラインマーカーは何をお使いでしょうか。
最近僕が気に入っているのがこの「ぺんてる ハンディラインS」です。
勉強中にはラインを引きたい箇所がいっぱいありますが、そこでいちいちキャップをつけたりはずしたりするのはとても面倒。
かと言ってキャップを外しっぱなしにしているとすぐにペン先が乾燥してしまう。
このマーカーはノック式になっていてボールペンのようにお尻をノックすると
乾燥防止のシールドがまぶたのように開いてペン先があらわれます。
もう一度お尻をノックするとペン先が引っ込みます。
またクリップが秀逸で、うっかりペン先が出たまま胸ポケットに差し込むとペン先が引っ込む仕様になっています。
さらにこのマーカーはお尻のノック部を反時計回りに3回転すると
こんなふうに
簡単にカートリッジが交換できます。
新しいカートリッジはうしろから差し込んで時計回りに3回転するだけですぐに使えます。
ネット通販ではペン本体は100円程度、カートリッジは55円などで売られています。
安いのでカートリッジをこんなに買ってしまった。
このタイプのマーカーではペン軸が細身なのも気に入っています。
ただ難点が一つあって、爪で引っ掻くとボディの塗装が簡単に剥がれてしまうことです。
ぺんてるはノック式マーカーを2004年から販売しているそうで
このHandy-line Sは2011年発売だそうです。
以上ハードに勉強する人用の小ネタでした。
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