2017/02/12
water scene
僕は滋賀の浜大津に住んでいたことがある。
昨日大学卒後三十年の同期会があったので久しぶりに同地を訪れた。
ホテルまでは大津で降りて歩いて行けばいいのだが、京阪電車に乗りたくて山科でJRを降りて京津線に乗り換えた。
京阪の京津線はのんびりした電車で、山科から四宮、追分、大谷を過ぎるとスキール音をたてながら古い市街の曲がりくねった軌道を民家をかすめながら走るのが相変わらず楽しい。
浜大津に到着したが同期会までまだ五時間ある。
溶けかかった雪の残る道を当時の面影をたどりながら歩いた。
住んでいたアパートは持ち主が変わって見た目も変貌し、よく利用していたマーケットは閉店、銭湯は更地になっていた。
それでもあれこれ思い出すことも多く、でもなぜかあまり写真を撮る気にもなれず気がついたら琵琶湖の畔まできていた。
湖面を眺めているうちに写真を撮りたくなってD800EにAi AF Nikkor 28mm F2.8Dを付けて写真を撮る。
同期会が始まるまでホテルの風呂に浸かって芯まで冷えた身体を温めた。
2017/02/04
an uphill path
登り坂の上あたりに柵らしきものが見える。
実際それは鉄柵なのだが、ピントが合っていないせいかぼやけて見える。
いや、ピントは合っている。と撮影者である私が言う。
しかし鉄柵の輪郭がフレアでぼけてしまっている。
フレアのせいでピントが合っていないように見える。
ニッコール50mmF1.2Sとはそういうレンズだ。
以前の私ならこういうショットは何のためらいもなく捨てていた(私は元来くっきりしたものが好きなのだ)。
しかし最近私はこういう写真を捨てられないでいる。
それはこの写真全体に漂う独特の空気と光のせいだ。
ちょっとバルビゾン派の絵画みたいな。
光と空気の印象はどこから来るのだろう。
「光をフレアとしてとらえる」
と呟いてみる。
2017/01/26
fallen tree
山道を登っていくと溜め池がある。
結構大きな溜め池で、池と言うよりも湖といった方が良いかもしれない。
その湖の畔に倒木を見つけた。
湖面に倒木の白い木肌が映えて美しかった。
湖畔から撮ると俯瞰になる。
湖の向こう側からなら湖面すれすれに撮ることができそうなので、向こう側の湿地帯に回り込むことにした。
ところがその湿地帯は本当のぬかるみで、ブーツを履いた足が泥から抜けない。
おまけに湿地帯を覆っていたのはイバラのヤブで、手袋をしていなかった手に無数の引っ掻き傷。
ようやくたどり着いた樹の根元でファインダーを覗いたら今度は近すぎて絵にならない。
それでその年はあきらめて、今年同じ場所を訪れたらそのまま俯瞰で撮れそうな気がした。
135ミリで覗いてみたらなんとかなりそうだ。
手応えがあったのに帰宅してPSで処理してみたらいい絵にならない。
だいぶ頑張ったけどだめだ。
四日経ってもう一度写真を見た。
画面に占める樹の領域が広すぎるようなのだ。
それでPSを使って周囲を広げ、広がった周囲を周辺減光や色調補正などで調整した。
何よりここ数日僕の頭を占めていた個人的で陰鬱な悩みが写真のトーンとタイトルに表れて、四日前にはただ美しいだけで成立しなかった写真がようやく立った。
2017/01/23
2017/01/21
peppermint can
それだけ自分が必要とされているのだから、不満を言えば罰が当たるが過重労働のために身も心も悲鳴を上げている。
今年の春で還暦60歳を迎える。
僕は一人前になるのに30年かかった。この世界に対しては、後半の30年で十分おかえししたじゃないか。
春には退職しよう。もうこの稼業からは足を洗うのだ。これからは自分のために自分の時間を使おう。
そしていつしれずそのフレーズを口ずさむことで、辛い日々にわずかな希望の灯がともった。
「春になったらライカを買って旅に出よう」
そう口ずさむことで日々を乗り切ってきた。
しかし好事魔多し。
訳あって退職はお流れになった。
今は帰りの車の中で吸う一本の煙草を楽しみに日々を乗り切っている。
このペパーミント缶は灰皿がわりである。
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