2009/04/30

言葉と電流

最近僕達の社会では言葉に対する関心が高くなっている。
古典を読もうとか、良い文章を声を出して読もうとか、テレビでも漢字に関するクイズはよく見るし、言葉をたくさん知っている芸能人が尊敬される風潮もある。そういった傾向は、再び日本の社会が自分たちのバーチャル世界を構築している言葉の大切さを意識し始めたせいかもしれない。

先日朝日新聞に夜間中学を存続させるために奔走している男性の話が載っていた。
彼は満州で生まれ日本に帰ってからも文字を学ぶ機会がなかったのだが、山谷で働いているときに年配の在日韓国人からようやく文字を習ったのだという。
初めて自分の名前が書けるようになったとき、彼は自分の身体全体に電気が走るのを感じたという。同時に彼は自分が人間になったと感じたのだそうだ。

身体全体に電流が流れる感じというのはよく使う例えだが、彼の場合は実際に電流が流れるのを感じたのだろう。
それはまるで電源のスイッチが入って動き出した巨大なロボットを連想させる。

人は生物として生きていく限りにおいては言葉を必要としない。
だが人間はそうではない。
コンセントの抜けたパソコンのモニター画面が真っ暗なように、言葉は人間というバーチャル世界を起動している電流そのものなのだ。
言葉も大事なのではない。言葉こそが大事なのだ。
我々の社会を動かしているものは、実は言葉だけなのかもしれない。

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