小学生の頃は相撲をよく観た。
大鵬とか柏戸とか先代の貴乃花とかの時代。
僕が観たかったのは勝ち負けではなくてドラマだったから
そのうちに外国人力士が力と体の大きさを嵩(かさ)に着て、ただ押し出すだけの工事中のブルドーザーみたいな相撲が増えてつまらなくなった。
不利な形勢から逆転するというカタルシスが欲しかったのだろう。
もちろん相撲にはカタルシスだけではなくていろんな魅力があるだろうが、そんなことは子供にはわからないから、単純にテレビの相撲を観なくなって幾星霜。
このごろはチャンネルを変える途中に相撲の番付表なんかがチラッと見えても知らない名前ばかりで
「ああ、まだ相撲というのはやっているのか」。昔よりさらに外人力士が増えて今では日本人は数えるばかり。
「おーい、みんなちょっと見てご覧。おお、珍しい。今ちらっと映ったあの幕下力士は日本人かもしれないよ」
「わ、ほんとだ!パパ、私が最後に日本人の力士を見たのは2年まえよ。今日は何かいいことがありそう!」
などという会話がお茶の間で囁かれているに違いない。
いや、そうではなくて。
今日話をしたかったのは土俵の話。それも土俵との距離の話。
先日ある所で開かれた会議でつまらない言いがかりをつけてくる男がいて、端(はした)ないと知りながらこちらも怒りに身を震わし口喧嘩になってしまった。
僕はもともと短気な性格なので、侮辱されたマーティーマックフライのようにすぐに自分の感情に火がついてしまう。
怒ったことに後悔はないが、その後数日間はくすぶり続ける感情をどうにも持て余してしまうのがかなわない。
自分で制御できない感情ほどやっかいなものはない。まったくいくつになってもばかである。
腹を立ててしまったら、それはもうおしまい。
この火を消すのは時間だけなのだ。
でもじゃあ、腹を立てないでいられるかといったら、それは本当に難しい。
腹を立てないための、たった一つの方法。
ほんとうのほんとうに、腹を立てないためにはただひとつしか方法はないのだが、それは
「同じ土俵に入らない」ということだ。
土俵に入ってしまったが最後、相手と二人してやっさもっさ相撲をとるはめになる。
だから腹を立てないためには、土俵の中で一人でうんうんシコを踏んでいる相手を見ながら自分は決して土俵に入らずに
「うん、そんな考えもあるかもしれないね。まぁ君もそんなに興奮しないで、えーと、何が言いたいのか
(その弱い)頭を整理してから発言してもらえないかね」とでも言えばよかったのだが。
この、条件反射的に自分も着の身着のままいきり立って「土俵入り」してしまうというそそっかしさを何とかしなくてはいけない。
まったくいまいましい。
さて、では常に土俵に入らない高踏的な態度がよいかといえばそれはそれで問題で
例えば土俵の中に入らなければ始まらない話もあるわけで
さらに言えば土俵の俵(タワラ)の上にいて中に入ったり出たりするのが最も適切な場合もある。
土俵との距離をどう取るかというのは、相手をどう打ち負かすかとか自分の感情をどう処理するかよりもずっと以前に決めておきなさいよ、自戒の言葉として。
ここで一句。
意味のない自戒ばかりで幾星霜。
ワタクシも一句。
返信削除自戒すら忘れて脳卒中。
お粗末。
わはは。t-s-wegnerさん、きわどいコメントありがとうございます。
返信削除こんばんは^^
返信削除私がここにコメントしていいのかどうか分かりませんが(大爆)
無鉄砲に体当たりすることがありますが、
そのときは相手にする価値があるかどうかが、
実行に移す基準になってます。
それさえクリアできていれば負けても嫌われても
後悔ないです(爆)
ところで、shinさんのユーモアのセンスについては
かなり高い評価をしています。
その路線も、ぜひ極めて下さい^^
お願いしますm(__)m
cahier-bさんありがとうございます。
返信削除>相手にする価値があるかどうか・・・
うーむ、僕の場合は見境なく腹を立ててしまいます。
むかしはこういうのを瞬間湯沸かし器といいましたよね。
今ならティファール?
ちょっとおしゃれ?
いや単なるばかですね(笑)。