こんにちは。shinさんが「美しき」と形容したのは逆立ちしてクロスしている、中央の美脚でしょうか?^^、、、なるほど。何が「なるほど」なのか分かりませんが、納得しましたw>あれは魅力的な車だったな。買わなかったけれど何故にここでシーマなのか分かりませんが、シーマの曲線美とこの「脚」の曲線美に共通点があるのかもしれませんね^^謎が深まるエントリーでしたw
シーマはねー、日本中がバブルで沸き立っていた頃の日産の高級車ですね。当時の僕は映画コンバットのサンダー軍曹みたいに砲弾飛び交う下で泥の中を這いずりまわるような研修医生活。それから10年位たってようやくあのころ日本はバブルだったと人から聞かされてあっけにとられたものでした(横井庄一さんかよ)。でもそんな僕も雑誌NAVIはかかさずお風呂で読んでいたので、Jaguar XJ6にちょっと似たスラントノーズのシーマには甘い憧れを抱いていたのでした。「あれは誰のシーマだろう。誰のでもいいけれど・・・。」まるで手の届かない高級車でしたが、まさに僕の気持ちを代弁しているようなコピーでした^^。あ、樹体とはなんの関係もなかったですね。まー個人のブログなんてそんなもんです(笑)。
こんにちはフルサイズだと55mmはマクロよりこちらの方がイイ画角ですね.彩度もたまにはこれぐらいが目に優しいです.というつまらない理屈は置いといて...この写真も好きです.森によく行きますが,たくさん木があっても全部が少しづつ違って,撮りたいなって思うのは意外に限られています.で,撮ろうとして近づいたり角度を変えたりと工夫しだすと表情は変わってつまらなくなってしまいます.ありふれた木で,どこを撮影してもいいんじゃないかっていうのは,人の顔だってありふれてるのだからどう撮っても同じというぐらい愚かしいことで...いいなって思った瞬間に撮ると,いい表情が残るみたいです.だから特別ではないものを撮影した場合って,どこがイイってうまく説明はできないんでど...美意識を刺激してくれる組み合わせって言うのでしょうか?
とど2号さんありがとうございます。カメラを持って散歩しながら、「おっ」って思うわけですよ。そこに思考は関わっていない。思考よりも速く「おっ」って思う。でもじゃあ意識というフィルターをまったく通していないかというと、一眼とレンジファインダーでは何に「おっ」って思うかは違うだろう。それはピストルを持って狩りに行く時とライフル銃を持って狩りに行く時では狙う獲物が違うのと同じような気がする。だからある程度の意識の射程範囲は、持つ道具によって変わってくるだろう。でもその意識の射程範囲の中で何に「おっ」って思うかは銃の種類とは関係がない。言語化出来ない主題をそこに見ているような気がする。言語化出来る主題が表層的な主題だとしたら、言語化出来ない主題は言語以前の、意識のより深い領域の主題なんだろう。だから無意識から伸びているアンテナに引っかかったシーンを最初にとった一枚が一番アンテナに忠実なショットということになるわけで意識で近づこうとあれこれやってもなかなか1枚目の写真を凌駕できなかったりする。とど2号さんに頂いたコメントを読んでいてそんなことを考えました。
こんにちは。
返信削除shinさんが「美しき」と形容したのは
逆立ちしてクロスしている、中央の美脚でしょうか?^^
、、、なるほど。
何が「なるほど」なのか分かりませんが、納得しましたw
>あれは魅力的な車だったな。買わなかったけれど
何故にここでシーマなのか分かりませんが、
シーマの曲線美とこの「脚」の曲線美に共通点があるのかもしれませんね^^
謎が深まるエントリーでしたw
シーマはねー、日本中がバブルで沸き立っていた頃の日産の高級車ですね。
返信削除当時の僕は映画コンバットのサンダー軍曹みたいに砲弾飛び交う下で泥の中を這いずりまわるような研修医生活。
それから10年位たってようやくあのころ日本はバブルだったと人から聞かされてあっけにとられたものでした(横井庄一さんかよ)。
でもそんな僕も雑誌NAVIはかかさずお風呂で読んでいたので、Jaguar XJ6にちょっと似たスラントノーズのシーマには甘い憧れを抱いていたのでした。
「あれは誰のシーマだろう。誰のでもいいけれど・・・。」
まるで手の届かない高級車でしたが、まさに僕の気持ちを代弁しているようなコピーでした^^。
あ、樹体とはなんの関係もなかったですね。まー個人のブログなんてそんなもんです(笑)。
こんにちは
返信削除フルサイズだと55mmはマクロよりこちらの方がイイ画角ですね.彩度もたまにはこれぐらいが目に優しいです.
というつまらない理屈は置いといて...
この写真も好きです.
森によく行きますが,たくさん木があっても全部が少しづつ違って,撮りたいなって思うのは意外に限られています.で,撮ろうとして近づいたり角度を変えたりと工夫しだすと表情は変わってつまらなくなってしまいます.
ありふれた木で,どこを撮影してもいいんじゃないかっていうのは,人の顔だってありふれてるのだからどう撮っても同じというぐらい愚かしいことで...
いいなって思った瞬間に撮ると,いい表情が残るみたいです.
だから特別ではないものを撮影した場合って,どこがイイってうまく説明はできないんでど...美意識を刺激してくれる組み合わせって言うのでしょうか?
とど2号さんありがとうございます。
返信削除カメラを持って散歩しながら、「おっ」って思うわけですよ。
そこに思考は関わっていない。思考よりも速く「おっ」って思う。
でもじゃあ意識というフィルターをまったく通していないかというと、
一眼とレンジファインダーでは何に「おっ」って思うかは違うだろう。
それはピストルを持って狩りに行く時とライフル銃を持って狩りに行く時では狙う獲物が違うのと同じような気がする。
だからある程度の意識の射程範囲は、持つ道具によって変わってくるだろう。
でもその意識の射程範囲の中で何に「おっ」って思うかは銃の種類とは関係がない。
言語化出来ない主題をそこに見ているような気がする。
言語化出来る主題が表層的な主題だとしたら、言語化出来ない主題は言語以前の、意識のより深い領域の主題なんだろう。
だから無意識から伸びているアンテナに引っかかったシーンを最初にとった一枚が一番アンテナに忠実なショットということになるわけで
意識で近づこうとあれこれやってもなかなか1枚目の写真を凌駕できなかったりする。
とど2号さんに頂いたコメントを読んでいてそんなことを考えました。