
Norita66 Noritar 2/80 Fuji Velvia50 EPSON GT-X820
修理から帰ってきたNorita66でうさ太郎をモデルに撮影。

Norita66 Noritar 2/80 Fuji Velvia50 EPSON GT-X820

Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC
右端に縦の露光不足が出ています。これはもう直らないのかな。

Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC
35ミリでこの距離だと平面的になりますが中判だと 被写界深度が浅いので
ボケの中に対象が浮かび上がってとても印象的になる訳ですね。
ボケの中に対象が浮かび上がるというのはマクロですよね。
つまりこれはマクロのボケ方ですよ。
それなのに対象は(マクロで撮る虫とかじゃなくて)普通の大きさなわけです。
ということは例えば仮に僕らがガリバーになって小人国に 来て
マクロレンズで小人国の世界を覗いたらこんなふうに見えるんじゃないか。
それが中判の写真の不思議な立体感の秘密なんじゃないか。

Norita66 with Noritar 2/80 Kodak Portra 160NC
あるいは本来僕らには世界はこんなふうに見えているのに
35mmで普通に撮ると立体感が乏しいのに
6×6で撮ると僕たちが見ている立体感に近く見えるから印象的なのか。
確かに僕たちの左右の目の間隔は6cmなんだし。
対象に焦点を合わせると、周りにある距離の違うものは焦点が合わないわけですが、
100m先の電柱と110m先の木は、左右の目の間隔が6cmの僕らの眼から対象まで線分を引くと
どちらの対象も眼からの線分の角度はほぼ同じなので
一方に焦点をあわせても、他方はボケない。
でも10cm先のペンと11cm先の鉛筆は、左右の距離が6cm離れた我々の眼から対象までの線分を引くと角度が大きく違うので、どちらかに焦点を合わせるともう一方には焦点が合わないのでボケる。
そしてこのボケを、我々は立体感という感覚に置き換えて知覚している。
写真は2次元だが対象とその周囲のボケによって対象までの距離と立体感を感じることが出来る。
それが、我々が感じる対象までの距離に反してボケ量が少ないと立体感が乏しいと感じ
対象までの距離以上にボケ量が多いと立体感が強いと感じる。
また、我々は経験的に、近くにあるふたつのものは一方に焦点を合わせると他方はボケるのに対し
遠方にあるふたつのものはどちらに焦点をあわせてもボケにくい。
つまり大きくボケているものは近くにあるか、小さいものだ。
あまりボケていないものは遠くにあるか、大きいものだ
というふうに解釈する習慣があるとする。
すると6×6で撮った自転車の周囲が大きくボケていると
その自転車は近くにあるか(マクロ)、小さいものだ(マクロ)と感じる。
しかし我々は実際の自転車の大きさを知っているので、実際以上に立体感を感じる。
あるいは逆に、35mmで撮ると自転車の周囲が大きくボケない。
するとその自転車は実際よりも遠くにあるか、大きなものだと感じ、
それが我々の知る自転車の位置や大きさと異なるので、リアル感が少ない。
しかし6×6ではその距離感や大きさが実際の感じ方に近いのでリアル感を感じることが出来る。
さらにいえば、ノクチルックスみたいな開放F値が低い(明るい)レンズは
絞りを開放した時の光の入ってくる間隔が広いので
我々の左右の目の間隔である6cmに近づくのでボケやすいと。
開放F値の大きな暗いレンズは光の入ってくる窓(絞り)の間隔が狭いために距離感が出にくいと。
撮像素子の大きなカメラはボケやすく撮像素子の小さなコンデジはボケにくいということも
以上のことをイメージすると直感的に理解しやすくなる。
そういう事?
いや単なる想像ですが。