時々無性にライカが欲しくなる。
ライカでひとを撮りたくなる。
僕にとってライカを買うというのは
ひとを撮るということと同じ意味だ。
なぜひとを撮るのにライカでないといけないかといえば
ひとを撮ることの象徴のようなカメラがライカだからだ。
この同義反復は僕以外のひとにとっては意味が無い。
でもそういうふうにしか、言えない。
僕は隠し撮りのようなことはしたくないので
撮りたいひとにお願いして撮らせてもらうことになる。
これだけでもすごく難しい。
ましてや僕がひとの写真を撮るとしたら
ひとの幸せではなく影のようなものを撮りたくなるだろうから
そういったものを同意の上ではたして撮れるものだろうか。
それから僕は写真を撮ったらブログに上げたい。
僕にとって写真を撮るというのはブログに上げることと不可分だ。
それは誰かの賞賛を得たいからではなく
仮想的な他者の目を通じて自分のモチーフをもう一度外から見たいからだ。
翻ってもし僕が誰かに写真を撮られて
しかもそれが決して幸せな表情とはいえず影のようなものだったら
ブログに上げられることに果たして僕は同意するだろうか。
やっぱりそれは無理だと思う。
欲しいけど、やっぱりライカは買えない。
そこにしか、今の僕の関心がないにもかかわらず。
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