2024/12/15

日常生活の冒険者たち

 

インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国より

日曜日は妻と買い物に行く日課だが今日は妻が出かけているので一人で車で出かけた。走り出してしばらくして携帯を自宅に置き忘れたことに気がついた。あー、やっちまった。携帯がなければ事故ったときに警察にも保険会社に連絡できない。緊急の要件に対応できない。悪い予感ばかりが脳裏をかすめる。戻ろうか?いやいや、悪い予感の9割9分は起きないというじゃないか。ここはハラを決めよう。とにかく慎重に慎重を期して、絶対に事故を起こさないことだ。スピードは控えめに、起こり得るリスクを想定し、右・左折では首振り人形みたいに左右を何度も確認。いやいや、それだけでは不十分だ。フロントピラーに隠れた部分を確認するためには首を左右にシフトする必要がある。
そうやってなんとか無事にショッピングセンターに着いたがまだ油断は禁物だ。階段を降りるときに足をすべらせて転落したらどうする。携帯がないので救急車を呼べないし家族にも連絡できない。あ、向こうから歩いてくる男はひょっとしたらヤバい奴かもしれない。いきなり殴られて喧嘩になったら警察を呼べない。万引き犯と間違われたらどうしよう。そんなふうにいろんなリスクに目を配りながら買い物をしていたら日常が冒険になったことに気がついた。トシを取って頭脳・身体にいろんなハンデを抱え始めると、今までは平和そのものだった日常がまるでトラやライオンが跋扈するジャングルに一変する。これは世界が変わったのではなく、自分が変わったために世界の危険度がアップしたということだ。つまり自分の安全度が低下して、世界の危険度が相対的に上昇するわけだ。

それでなんとか無事に買い物を終えて再び車に乗って帰りながら道を歩いている人達を見るとお年寄りがいっぱいいる。いや僕もお年寄りだがお年寄りがふらふらと危なっかしく歩いている。老人にとって世界は危険に満ちている。そういえば病院で高齢女性が友人の同じく高齢女性にこう言っているのを聞いたことがある。「あのね山本さん、私達は転倒したら終わりだから」。
そうなのだ。目が悪くて視界が十分確保できないひとも、耳が悪くて周りの音がよく聞こえないひとも、頭が悪くなって判断力が低下したひとも、足が悪くてびっこを引いているひとも、みんなジャングルを必死に歩いているのだ。でも考えてみよう。それは悲痛な努力ではない。それはある意味自分にとって未体験の領域に突入したことにほかならず、ワクワクするような冒険を時々刻々体験しているということでもあるのだ。それに気がついた僕は老人を見て「あ、冒険者がいる!」と思わず叫んでしまった。そうなのだ。老人はすべからく冒険者なのだ。そう思った瞬間にしょぼくれてみすぼらしい高齢者はみなカッコいい冒険者に見えてきた。運転しながら、あ、冒険者!あ、また冒険者!あ、またあそこにも冒険者が!という具合に街は冒険者に満ちている。




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