When you are listening to a patient, do not do anything else.
Just listen.
患者の話を聴きながらほかのことをしてはならない。
ただ聴きなさい。
It is impossible to think and listen simultaneously.
Listen
Think
Listen
Think
聴きながら考えている時、私たちは本当には「聴いて」いない。
だからこうしなさい。
聴く。
考える。
聴く。
考える。
Listening requires practice.
Learn to stop thinking.
Learn to listen.
Just listen.
「聴く」には練習がいる。
その間考えないでいられる練習。
「ただ聴く」練習。
ただ聴くのだ。
Unless you can repeat what another person says and have that person nod agreement,
you have not listened accurately.
Practice this until it becomes natural for you.
患者が言ったことを復唱してみなさい。
患者がうなずかなかったら、あなたは正しく聴いていなかったとわかる。
自然にそれが出来るようになりなさい。
「聴く」こと。
この本から教わった最も大切なことの一つです。。
だが常に守ることは困難。
(A)駄目な時。
患者の話の中から自分に治せる病気に関連のあるセンテンスだけを取り出してキーボードを叩く。
(B)ましな時。
患者の話を聞きつつその内容をそのままキーボードを叩く。
(C)よい時。
患者の目を見て話を聞き、全て聞き終わった後で病歴を復唱し、患者がうなずくのを見てからキーボードを叩く。
いろいろ事情はあるんですが言い訳はやめておきましょう。
Just listenという言葉は僕らの胸を打つ。
天恵の言葉の一つです。
2010/05/07
2010/05/05
狂わず腐らず生きていく
このブログの読者は一般の方が圧倒的に多いと思うので
まず言っておかなければならないことがあります。
急に止めてはならない薬は決して少なくありません。
一般的に血圧、心臓血管系、不整脈、うつ病などの精神科領域の薬とステロイドなどを
素人判断で突然中止してはなりません。
決して
決して
決して。
3回言いましたよ。いいですね。
以上を理解した上でお読み下さい。
If a drug is not working, stop it.
効いていないと思う薬は、処方するのを止めなさい。
Use the smallest number of drugs possible.
どうしてもこれ以上減らせないと思う位、薬の種類を減らしなさい。
Stop all drugs if possible.
If impossible, stop as many as possible.
ひょっとしてこの患者にはどの薬も要らないんじゃないかと自問して、
可能ならすべての薬を止めなさい。
それが無理なら、止められるだけの薬を止めなさい。
There is no such thing as an organ-specific drug.
All drugs work throughout the body.
ある臓器だけに効く薬などというものはない。
薬はすべて身体全体に作用を及ぼす。
Use as few drugs as possible in your practice.
Know these in detail.
他人はどうあれ、少なくともあなたは最小限の薬を使う努力をしなさい。
そしてそのわずかに残った薬について知悉しなさい。
When a patient comes to you taking drugs you do not know,
read about them-
and then stop as many as possible.
紹介で来る患者の多くは、当然あなたの知らない薬を処方されている。
何を処方されているかを確かめて、
可能な限り減らしなさい。
たった2ページの間にこんなにも同じ意味合いの箴言が続いているのにはわけがある。
医者は一度出した薬を中止しないので
まるで単純増加関数のように薬の種類はどんどん増えていくのだ。
もちろん患者の病態をきちんと把握した上でやむを得ずたくさんの薬を処方する場合もあるが
あまり感心しない理由で処方していることもある。
薬には大きく分けて三つの種類がある。
A.効果がはっきりしているぶん副作用も出やすい薬
B.その病態に対し使った方がよいとされているがAほどはっきり効果の見えない薬
C.効いているのか効いていないのかよくわからない薬
Aのタイプの薬は管理に気を遣うので、要らないと思ったら医者は自ら進んで減らすか止めるかする。
Bのタイプの薬は医者が半ば義務的に処方している薬で、これは基本的に延々と続く。
さて、問題はCのタイプの薬だ。
効いているのか効いていないのかよくわからないならなぜ処方するのか。
その理由は主に四つある。
1.医者はその有効性に半信半疑だが患者が要求するので仕方なく処方する
2.症状がなかなか取れず、かといって何もしないというわけにもいかないので処方する
3.うるさい患者を追い払うために処方する
4.いつからどんな理由で始まった薬かを調べる時間や気力がないので処方する
え~!?何それ!
許せない!
だめじゃないか!
いや、ごもっともです。
だめなんです。
ほんとに。
だめなんだけれども、
Cのタイプの薬は実は非常に多いし
こういったダメな処方の仕方をなくすことはむつかしい。
誰かがこんなダメなやり方を推奨したわけではないし
医者自身もこのやり方に決して満足しているわけではない。
ただこういった自然発生的に生まれてきたものややり方というのは
やはり何らかの存在理由があるから生まれて存続しているわけで
一人一人の医者が自分自身で減らす努力をするしかないと思う。
いくら言い訳をしても火に油を注ぐだけなのでこれ以上は述べませんが。
特に3.
これは医者が腐ってきた時に見られる徴候です。
大学を卒業して意気揚々と医療を始めても
数年経つと医者は徐々におかしくなってくる。
医者が狂いもせず腐りもせず、まともな心を維持したたままでいつづけることはむつかしい。
狂うというのは、功名心に心を奪われて症例をデータとして扱うことです。
腐るというのは、どうせ自分には大したことは出来ないと観念して惰性で診療を行うことです。
これはおそらく医者に限らず何らかの特別な権能を付与された職種に一般的に見られる現象かもしれません。
私自身もこの可能性から免れているわけではありません。
狂わず腐らず生きていくためにはどうしたらよいか。
たぶんその答えはユーモアです。
まず言っておかなければならないことがあります。
急に止めてはならない薬は決して少なくありません。
一般的に血圧、心臓血管系、不整脈、うつ病などの精神科領域の薬とステロイドなどを
素人判断で突然中止してはなりません。
決して
決して
決して。
3回言いましたよ。いいですね。
以上を理解した上でお読み下さい。
If a drug is not working, stop it.
効いていないと思う薬は、処方するのを止めなさい。
Use the smallest number of drugs possible.
どうしてもこれ以上減らせないと思う位、薬の種類を減らしなさい。
Stop all drugs if possible.
If impossible, stop as many as possible.
ひょっとしてこの患者にはどの薬も要らないんじゃないかと自問して、
可能ならすべての薬を止めなさい。
それが無理なら、止められるだけの薬を止めなさい。
There is no such thing as an organ-specific drug.
All drugs work throughout the body.
ある臓器だけに効く薬などというものはない。
薬はすべて身体全体に作用を及ぼす。
Use as few drugs as possible in your practice.
Know these in detail.
他人はどうあれ、少なくともあなたは最小限の薬を使う努力をしなさい。
そしてそのわずかに残った薬について知悉しなさい。
When a patient comes to you taking drugs you do not know,
read about them-
and then stop as many as possible.
紹介で来る患者の多くは、当然あなたの知らない薬を処方されている。
何を処方されているかを確かめて、
可能な限り減らしなさい。
たった2ページの間にこんなにも同じ意味合いの箴言が続いているのにはわけがある。
医者は一度出した薬を中止しないので
まるで単純増加関数のように薬の種類はどんどん増えていくのだ。
もちろん患者の病態をきちんと把握した上でやむを得ずたくさんの薬を処方する場合もあるが
あまり感心しない理由で処方していることもある。
薬には大きく分けて三つの種類がある。
A.効果がはっきりしているぶん副作用も出やすい薬
B.その病態に対し使った方がよいとされているがAほどはっきり効果の見えない薬
C.効いているのか効いていないのかよくわからない薬
Aのタイプの薬は管理に気を遣うので、要らないと思ったら医者は自ら進んで減らすか止めるかする。
Bのタイプの薬は医者が半ば義務的に処方している薬で、これは基本的に延々と続く。
さて、問題はCのタイプの薬だ。
効いているのか効いていないのかよくわからないならなぜ処方するのか。
その理由は主に四つある。
1.医者はその有効性に半信半疑だが患者が要求するので仕方なく処方する
2.症状がなかなか取れず、かといって何もしないというわけにもいかないので処方する
3.うるさい患者を追い払うために処方する
4.いつからどんな理由で始まった薬かを調べる時間や気力がないので処方する
え~!?何それ!
許せない!
だめじゃないか!
いや、ごもっともです。
だめなんです。
ほんとに。
だめなんだけれども、
Cのタイプの薬は実は非常に多いし
こういったダメな処方の仕方をなくすことはむつかしい。
誰かがこんなダメなやり方を推奨したわけではないし
医者自身もこのやり方に決して満足しているわけではない。
ただこういった自然発生的に生まれてきたものややり方というのは
やはり何らかの存在理由があるから生まれて存続しているわけで
一人一人の医者が自分自身で減らす努力をするしかないと思う。
いくら言い訳をしても火に油を注ぐだけなのでこれ以上は述べませんが。
特に3.
これは医者が腐ってきた時に見られる徴候です。
大学を卒業して意気揚々と医療を始めても
数年経つと医者は徐々におかしくなってくる。
医者が狂いもせず腐りもせず、まともな心を維持したたままでいつづけることはむつかしい。
狂うというのは、功名心に心を奪われて症例をデータとして扱うことです。
腐るというのは、どうせ自分には大したことは出来ないと観念して惰性で診療を行うことです。
これはおそらく医者に限らず何らかの特別な権能を付与された職種に一般的に見られる現象かもしれません。
私自身もこの可能性から免れているわけではありません。
狂わず腐らず生きていくためにはどうしたらよいか。
たぶんその答えはユーモアです。
2010/05/04
唯一の結論
There is no blood or urine test to differentiate a well person from a sick one.
健常人を病人と区別出来る血液・尿検査は存在しない。
この箴言を別の言葉で言い替えると
検査結果で病気の存在を否定することは出来ない。
となる。
否定したい。
特に医者が戦意を失っている時には。
我々は何となくそれが隠れ蓑であることを感じている。
それを自分に許してもよいかどうかは、
患者の訴えが自分の中で腑に落ちたかどうかだ。
どうしても腑に落ちなければ、
もう一度考え直さなければなるまい。
The only way to determine if a person is well or sick is to
listen,
look carefully,
ask good questions,
and make a sound clinical decision.
その人が病気かどうかを知る唯一の方法は、
よく聴いて
注意深く観察し
的確な質問をして
腑に落ちる結論を導き出す以外にはない。
健常人を病人と区別出来る血液・尿検査は存在しない。
この箴言を別の言葉で言い替えると
検査結果で病気の存在を否定することは出来ない。
となる。
否定したい。
特に医者が戦意を失っている時には。
我々は何となくそれが隠れ蓑であることを感じている。
それを自分に許してもよいかどうかは、
患者の訴えが自分の中で腑に落ちたかどうかだ。
どうしても腑に落ちなければ、
もう一度考え直さなければなるまい。
The only way to determine if a person is well or sick is to
listen,
look carefully,
ask good questions,
and make a sound clinical decision.
その人が病気かどうかを知る唯一の方法は、
よく聴いて
注意深く観察し
的確な質問をして
腑に落ちる結論を導き出す以外にはない。
2010/05/03
春風にそよぐ
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ナガミヒナゲシ。
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ヤマツツジ。
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レンゲ畑。
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風にそよぐキンポウゲ。
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キンポウゲを見ると庄司薫が「赤頭巾ちゃん気を付けて」で書いた
カール・マルクスがキンポウゲをふりふり家族と散歩する微笑ましい情景を思い出す。
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Royal Touch
Touch the patient, even if you only shake hands or feel the pulse, especially with old people. But not with paranoids.
握手するか、脈を取るだけでもよいから患者に触れなさい。特に高齢者には。ただし妄想性人格障害は除く。
僕はむかし京都で大学浪人をしていました。大学受験の願書と一緒に提出する健康診断書をもらうために開業医の診察を受けた際に僕の胸部レントゲンを見てその先生はひとことこう言いました。「弱虫の心臓やね」
えーと(笑)、これは滴状心といって胸郭の幅に比べて心臓のサイズが小さいことを彼はそのように表現したわけですが何気なく言った一言を以後30年以上にわたってその青年が覚えているとは彼も予想できなかったでしょう。
また逆の立場の出来事もあります。僕がずっと以前勤めていた病院の僕が一番信頼し親しく思っていた内視鏡室のスタッフの看護婦さんが退職することになりその送別会で彼女が言った一言。
「先生は職員健診の時に私の小さな胸を見てクスッと笑ったでしょう」
僕は彼女のこの言葉に飛び上がるほど驚きました。
一般的に医者は患者の診察をする時に、異性であっても性的な関心で相手を見ることはありません。しかも相手のバストの大きさを値踏みするような気持ちは微塵もないのです。だからその時に僕の表情が笑っているように見えたとしたらそれは相手の緊張をほぐすためだったのかもしれないけど。
そんなつもりでなかったのに、自分の発言や表情や行動が患者に過剰とも言える影響を及ぼしていることは僕の20年以上の医者としての経歴の中でも、その多くがむしろ苦渋の記憶として蓄積されてきました。
さて、一般的に医者は自分の発言や行動を過剰に過小評価しています。
何気なく言った言葉や、その時の自分のちょっとした表情が、患者やその家族の生涯を貫くほど影響力があることをほとんどの医者は自覚していません。
僕らは職業柄、お医者さんってたいへんな仕事ですよねとよく言われます。それに対し僕は「いや、そんなことはないです。ほかの職業と同じですよ。大変なのはどの仕事も同じです。」といつも答えます。医者は皆さんが思っているほど自分たちの仕事を特殊だとは思っていないのです。警察官だって消防士だって人の命に関わる仕事ですし政治家や教師などもひとびとの生活や人生に大きな影響力のある仕事です。
でも最近は、ちょっと違うのかもしれないと考えています。
むしろ僕たちは自分たちの仕事を、あえて特別視すべきなのかもしれない。
それは威張るとかじゃなくて、自分の影響力の大きさをもっと過大評価すべきだということです。一般の方から見れば、今更何を言ってるんだと思われるかもしれませんが。今僕は自分が取り扱っているテーマが、非常に誤解されやすいデリケートなテーマであることを自覚しています。医師という仕事が特殊なものであるとあえて述べることがすぐに傲慢さに直結するからです。だから僕たちは自分たちのことを意識的に卑下したり謙遜したりする。僕はこのデリケートな問題をスッキリさせるために、人とその仕事をわけて考えたいと思います。
二十歳代前半の世間知らずの若者が、いったん白衣を着て病院の廊下を歩くと若者よりもずっと人生経験豊富な年配の人たちからお辞儀される。
自分が偉くなったと誤解してはならない。
彼等はなぜあなたにお辞儀するのか。
それは美術館で素晴らしい絵画を観て人々が感嘆の声を上げるのを額縁が自分が偉いと勘違いしてしまうようなものだ。
あなた自身は絵の外枠に過ぎない。あなたは人類が営々と蓄えてきた生命と病と死に関する知識と知恵の、ただかりそめの窓口なのだ。
人の価値は、あなたという窓枠がどんな風を招き入れるかで決まる。たまたまあなたが、非常に重要な場所の窓枠に指定されただけなのだ。あなたがいなくなったら、またそこに別の窓枠がはめ込まれるだろう。
だから僕はあなたに言う。あなた自身は何者でもない。
ただ、今たまたまあなたは人類にとって重要な場所にいる。
人々は、あなたが特別な場所にいて特別な風を吹かせてくれることで、あなたを特別な窓枠だと考えるだろう。
だからあなたが善意の医者ならそれを意識して利用しなさい。
あなたは触るだけで患者を治すことができるだろう。
だがその一方であなたの一言で患者は死んでしまうのだ。
握手するか、脈を取るだけでもよいから患者に触れなさい。特に高齢者には。ただし妄想性人格障害は除く。
僕はむかし京都で大学浪人をしていました。大学受験の願書と一緒に提出する健康診断書をもらうために開業医の診察を受けた際に僕の胸部レントゲンを見てその先生はひとことこう言いました。「弱虫の心臓やね」
えーと(笑)、これは滴状心といって胸郭の幅に比べて心臓のサイズが小さいことを彼はそのように表現したわけですが何気なく言った一言を以後30年以上にわたってその青年が覚えているとは彼も予想できなかったでしょう。
また逆の立場の出来事もあります。僕がずっと以前勤めていた病院の僕が一番信頼し親しく思っていた内視鏡室のスタッフの看護婦さんが退職することになりその送別会で彼女が言った一言。
「先生は職員健診の時に私の小さな胸を見てクスッと笑ったでしょう」
僕は彼女のこの言葉に飛び上がるほど驚きました。
一般的に医者は患者の診察をする時に、異性であっても性的な関心で相手を見ることはありません。しかも相手のバストの大きさを値踏みするような気持ちは微塵もないのです。だからその時に僕の表情が笑っているように見えたとしたらそれは相手の緊張をほぐすためだったのかもしれないけど。
そんなつもりでなかったのに、自分の発言や表情や行動が患者に過剰とも言える影響を及ぼしていることは僕の20年以上の医者としての経歴の中でも、その多くがむしろ苦渋の記憶として蓄積されてきました。
さて、一般的に医者は自分の発言や行動を過剰に過小評価しています。
何気なく言った言葉や、その時の自分のちょっとした表情が、患者やその家族の生涯を貫くほど影響力があることをほとんどの医者は自覚していません。
僕らは職業柄、お医者さんってたいへんな仕事ですよねとよく言われます。それに対し僕は「いや、そんなことはないです。ほかの職業と同じですよ。大変なのはどの仕事も同じです。」といつも答えます。医者は皆さんが思っているほど自分たちの仕事を特殊だとは思っていないのです。警察官だって消防士だって人の命に関わる仕事ですし政治家や教師などもひとびとの生活や人生に大きな影響力のある仕事です。
でも最近は、ちょっと違うのかもしれないと考えています。
むしろ僕たちは自分たちの仕事を、あえて特別視すべきなのかもしれない。
それは威張るとかじゃなくて、自分の影響力の大きさをもっと過大評価すべきだということです。一般の方から見れば、今更何を言ってるんだと思われるかもしれませんが。今僕は自分が取り扱っているテーマが、非常に誤解されやすいデリケートなテーマであることを自覚しています。医師という仕事が特殊なものであるとあえて述べることがすぐに傲慢さに直結するからです。だから僕たちは自分たちのことを意識的に卑下したり謙遜したりする。僕はこのデリケートな問題をスッキリさせるために、人とその仕事をわけて考えたいと思います。
二十歳代前半の世間知らずの若者が、いったん白衣を着て病院の廊下を歩くと若者よりもずっと人生経験豊富な年配の人たちからお辞儀される。
自分が偉くなったと誤解してはならない。
彼等はなぜあなたにお辞儀するのか。
それは美術館で素晴らしい絵画を観て人々が感嘆の声を上げるのを額縁が自分が偉いと勘違いしてしまうようなものだ。
あなた自身は絵の外枠に過ぎない。あなたは人類が営々と蓄えてきた生命と病と死に関する知識と知恵の、ただかりそめの窓口なのだ。
人の価値は、あなたという窓枠がどんな風を招き入れるかで決まる。たまたまあなたが、非常に重要な場所の窓枠に指定されただけなのだ。あなたがいなくなったら、またそこに別の窓枠がはめ込まれるだろう。
だから僕はあなたに言う。あなた自身は何者でもない。
ただ、今たまたまあなたは人類にとって重要な場所にいる。
人々は、あなたが特別な場所にいて特別な風を吹かせてくれることで、あなたを特別な窓枠だと考えるだろう。
だからあなたが善意の医者ならそれを意識して利用しなさい。
あなたは触るだけで患者を治すことができるだろう。
だがその一方であなたの一言で患者は死んでしまうのだ。
2010/05/02
去り際の一言
The last statement a patient makes as you leave the room is very important.
病室を後にしようとあなたが立ち上がった時に患者が発する最後の言葉に気を付けなさい。
Listen carefully when a patient prefaces a comment with, "This may not be important, but..."
患者が「たぶん関係ないと思うんですが・・」で語り始めた話に耳をそばだてなさい。
なぜ患者は最も大事なサインをきまって診察室をあとにする直前に発するのだろう。
その理由を考えてみました。
僕たちは日々、脳が創り出すお話の中を生きている。
でもナマの現実はお話とは無関係な出来事から成り立っているので
自分に都合の悪いものは無意識の納屋にどんどん放り込まれていく。
山積みになった不都合な現実は納屋からあふれ出し、やがて悪臭を放ち出す。
無意識君は、現実を仕分けしてお話を作っている意識君に
「もう満杯で、何かマズイことがおこりそう。何とかしてもらえない?」
と相談を持ちかけた。
でも意識君はこれに全く耳を貸さず、バタンと意識の扉を閉じてしまった。
困った無意識君はなかよしのカラダ君に相談した。
「意識君は僕の言うことを全然聞いてくれないんだよ」
「うーん、そうかわかった。僕が何とかするよ」
カラダ君は意識君の言うことを聞かないという作戦に出た。
意識君「あれ?最近なんか、身体が重いな。
目もしょぼしょぼするし立ちくらみもする。
よし、根性で乗り切るぞ」
困ったカラダ君は次に痛みのロープを引いた。
だが驚いたことに意識君は何の反応もしない。
意識君は扉を閉じているので痛みを感じないのだ。
不都合な現実はその後も増え続け、やがてその中に病気が発生してきた。
さすがに意識君も何かがおかしいと感じて病院へ行った。
意識君は医者に今感じている身体の不調を自分で考えたお話に翻訳してしゃべる。
「最近つきあいで暴飲暴食が続いているせいか、なんとなく胃腸の調子が悪いんです」
医者「わかりました。消化薬と制酸剤を出しておきましょう」
意識君は納得し、帰ろうとして立ち上がりドアの方に向かう。
無意識君は慌てた。
せっかく病院まで来たのにこのまま帰ってしまったら大変だ。
無意識君はカラダ君に緊急警報を発令した。
「何とか意識君を思いとどまらせて!」
「わかった」。カラダ君は痛みのロープを思いっきり引っ張る。
痛みは固く閉ざされていた意識君の扉を激しく叩く。
ガンガンガンガン!
意識君は握っていた診察室のドアのノブから手を離し、振り向いてこう言った
「あ、そういえば最近背中のあたりが時々痛むんです」
医者「そうですか。じゃあ湿布も一緒に出しておきましょう」
えーと、これはつまり
「関係ないかもしれないけど、いちおう言っておいた方がいいかもしれない」
と患者が考えたことが、実は一番大事だったりするという話です。
何なんでしょうね。
つまりそれは意識が無意識の叫びに耳を傾けた瞬間なのでしょう。
部屋を出る瞬間に、意識は何となく何かを言い忘れたような気がする。
そしてそれを懸命に思い出そうとする。
そのときに無意識がカラダからの訴えを意識に届ける。
意識が自分のお話を話し終えてからでないと、無意識は登場できないのかもしれない。
僕たちはその声を聞き届けることが出来るだろうか。
意識と無意識の間にある扉はなかなか開かない。
そして抑圧されたものはその姿を変えて検問を突破し意識の表層に姿を現す(®内田樹氏(※))。
タイトルをアフォリズムNo.4にしようかどうか悩んだんですが
今回からわかりやすいタイトルにすることにしました。
病室を後にしようとあなたが立ち上がった時に患者が発する最後の言葉に気を付けなさい。
Listen carefully when a patient prefaces a comment with, "This may not be important, but..."
患者が「たぶん関係ないと思うんですが・・」で語り始めた話に耳をそばだてなさい。
なぜ患者は最も大事なサインをきまって診察室をあとにする直前に発するのだろう。
その理由を考えてみました。
僕たちは日々、脳が創り出すお話の中を生きている。
でもナマの現実はお話とは無関係な出来事から成り立っているので
自分に都合の悪いものは無意識の納屋にどんどん放り込まれていく。
山積みになった不都合な現実は納屋からあふれ出し、やがて悪臭を放ち出す。
無意識君は、現実を仕分けしてお話を作っている意識君に
「もう満杯で、何かマズイことがおこりそう。何とかしてもらえない?」
と相談を持ちかけた。
でも意識君はこれに全く耳を貸さず、バタンと意識の扉を閉じてしまった。
困った無意識君はなかよしのカラダ君に相談した。
「意識君は僕の言うことを全然聞いてくれないんだよ」
「うーん、そうかわかった。僕が何とかするよ」
カラダ君は意識君の言うことを聞かないという作戦に出た。
意識君「あれ?最近なんか、身体が重いな。
目もしょぼしょぼするし立ちくらみもする。
よし、根性で乗り切るぞ」
困ったカラダ君は次に痛みのロープを引いた。
だが驚いたことに意識君は何の反応もしない。
意識君は扉を閉じているので痛みを感じないのだ。
不都合な現実はその後も増え続け、やがてその中に病気が発生してきた。
さすがに意識君も何かがおかしいと感じて病院へ行った。
意識君は医者に今感じている身体の不調を自分で考えたお話に翻訳してしゃべる。
「最近つきあいで暴飲暴食が続いているせいか、なんとなく胃腸の調子が悪いんです」
医者「わかりました。消化薬と制酸剤を出しておきましょう」
意識君は納得し、帰ろうとして立ち上がりドアの方に向かう。
無意識君は慌てた。
せっかく病院まで来たのにこのまま帰ってしまったら大変だ。
無意識君はカラダ君に緊急警報を発令した。
「何とか意識君を思いとどまらせて!」
「わかった」。カラダ君は痛みのロープを思いっきり引っ張る。
痛みは固く閉ざされていた意識君の扉を激しく叩く。
ガンガンガンガン!
意識君は握っていた診察室のドアのノブから手を離し、振り向いてこう言った
「あ、そういえば最近背中のあたりが時々痛むんです」
医者「そうですか。じゃあ湿布も一緒に出しておきましょう」
えーと、これはつまり
「関係ないかもしれないけど、いちおう言っておいた方がいいかもしれない」
と患者が考えたことが、実は一番大事だったりするという話です。
何なんでしょうね。
つまりそれは意識が無意識の叫びに耳を傾けた瞬間なのでしょう。
部屋を出る瞬間に、意識は何となく何かを言い忘れたような気がする。
そしてそれを懸命に思い出そうとする。
そのときに無意識がカラダからの訴えを意識に届ける。
意識が自分のお話を話し終えてからでないと、無意識は登場できないのかもしれない。
僕たちはその声を聞き届けることが出来るだろうか。
意識と無意識の間にある扉はなかなか開かない。
そして抑圧されたものはその姿を変えて検問を突破し意識の表層に姿を現す(®内田樹氏(※))。
タイトルをアフォリズムNo.4にしようかどうか悩んだんですが
今回からわかりやすいタイトルにすることにしました。
※:後日記:僕自身彼の著作や京大での講義などから深い共感と示唆を与えていただいたし彼のユーモアも好きなのだが10年ほど前から彼の言動がどんどん左傾化していくにつれ呆れるとともにとても残念に思っている。彼ほどの知性がなぜあんな猿馬見れんだろな世界に入っていったのかは謎でしかない。返す返すも残念
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